聖書学の成果により、今日でも常に修正が加えられ新しい写本の版が出る。最も大きく修正されたのは、「クムラン文書」が出た時期であった。洞窟で羊飼いの少年が発見したパピルスの断片は、やがて「死海写本」として知られるようになり大きな話題を呼んだ。その内容はほとんどが従来の写本の通りではあったが、一部それによって修正が加えられた。聖書の原文に忠実に近づこうという努力は、現在も続いている。
さて、「サムエル記」とはどのような書物であろうか。「サムエル記」は、紀元前6世紀に成立した書物である。バビロン捕囚により南ユダ王国の主だった者たちはバビロンへ移ることを余儀なくされたが、やがて解放され祖国に戻った。その時期にある一定の立場から編集され書き直された文書のひとつが、この「サムエル記」である。もちろん、それらの元になる多くの資料、断片が存在した。紀元前9−10世紀のソロモンの頃に、それらはある程度編集された。宮廷には書記官がおり主にそのような仕事にあたったが、彼らには「史実を忠実に記そう」というよりも「自分たちの王を賛美する」という傾向があったと思われる。
一方、「サムエル記」などを編纂した著者たちの視点はどうであったか。彼らは「バビロン捕囚」という大打撃を受けた世代の人物である。イスラエルの民が約束の地カナンに入り、徐々に土地が広がりやがて王国ができ、ダビデやソロモンのような王がそこに登場してくるが、イスラエル王国は南北に分裂し、やがて北イスラエル王国が、そして南ユダ王国は滅んでいった。50年ほどの捕囚期を経て、捕囚の民はペルシャ王キュロスにより解放され帰還の時を迎える。「サムエル記」は、このように再びイスラエルの国が復興する中で成立したものである。
そこには「どうして我々は神の約束の地に導かれ、そこに王国までできたのに、その後分裂を重ね、国を滅ぼしてしまったのだろう、何が悪かったのだろう」という問いかけがある。そして「なおイスラエルが救いの希望を頂くとしたら、我々はどのようにあらねばならぬのであろうか」という視点がそこにはある。
既に学んできたように、士師の時代には、神の霊に導かれたリーダーたちがその都度立てられていった。そのような時期はやがて終わり、ここでサムエルが登場する。
このサムエルとはどのような人物であろうか。また、イスラエルはどのような次第で王制を敷くようになっていったのであろうか。初代の王サウルの擁立に関してはサムエル記上8章に詳しい。イスラエルには王制ができたが、一方で宗教的な事柄を指導する祭司も、出来事の中で神の霊に導かれ、王に対してさえも批判をしていく預言者も同時に存在した。ダビデの罪を糾弾した預言者ナタン(サムエル記下12章)の例にもあるように、イスラエルは「王は絶対!」というシステムのもとにあったのではなかった。
サムエル記上8章には、イスラエルの民が王を求める場面が描かれている。サムエルは祭司エリのもとに託せられ、育てられた。そして祭司の務めに立てられ働いたが、年老いた時にその務めを息子たちに託した。しかしサムエルの息子たちは裁きを曲げるようになった。それゆえにイスラエルには「他の国々のように王を立てたい」という声があがってきたのである。当時は祭司がイスラエルの様々の事柄を指導し裁きを行っていたが、その務めが「世襲制」になっていったとき、当然のように祭司になった者たちは堕落していった。
しかしながら「裁きを行う王を与えよとの彼らの言い分は、サムエルの目には悪と映った」(サムエル記上8:6)。 イスラエルに王がいないのは神を王とし、神の指導の元で事柄を決めていくためであったからである。「王が欲しい」というのは神を退けたいという願いに他ならない。
神はサムエルを通じて、「君臨する王の権能」をあらかじめ人々に伝えた。王が立つということは、人々が「王の奴隷になる」ということを意味したのである。王制を神は認めるが、「王というのはこのような存在である」と注意を喚起し警告を与えた。「・・・こうして、あなたたちは王の奴隷となる。その日あなたたちは、自分の選んだ王のゆえに泣き叫ぶ。しかし、主はその日、あなたたちに答えてはくださらない」(8:17−18)。しかしイスラエルの民は頑なに「王が欲しい」と言い張った。こうして初代の王サウルが立てられる。
旧約の歴史を物語る編著者たちは、王制にたいするひとつの批判を行っている。結局、イスラエルの多くの王は勝手なことをし、人々を苦しめ神に背いた。その原因は何か、という批判である。また当時、祭司は世襲される務めとなっていた。そしてそれに対する神の裁きがあったのだという視点もここにはある。エリの実子たちも悪い祭司であった(3:13)。親子が同じ仕事をすること自体が悪いのではない。王も祭司も、当然のように世襲で受け継がれる職務ではなく、「神が立てる」働きだということが忘れられてはならない。
王制はイスラエルにおいてどのように成立していったのか、祭司の家系がどのように確立したのか、祭司の役割は何か、預言者(2:27)とはどのような仕事をするのか、などということを含め、イスラエルが王制に移行する歴史を語りながら「神の御心は何か」ということを語ろうとしているのが、この「サムエル記」である。