そのような中でイスラエルの民はまことの主なる神に助けを呼び求めるようになる(6:7)。そして神はその働きのためにギデオンを召し出された。神の使いが「勇者よ、主はあなたと共におられます」(6:12)と呼びかけたそのとき、「ギデオンは、ミディアン人に奪われるのを免れるため、酒船の中で小麦を打っていた」(6:11)。ミディアン人を恐れて広場ではなく隠れたところで麦を打っているギデオンは、いわゆる「英雄」ではなかったのである。
しかし神はそのようなギデオンを選び、使命を与えた。第一の任務は、「バアルの祭壇を壊し、その傍らのアシェラ像を切り倒せ。あなたの神、主のために、この砦の頂上に、よく整えられた祭壇を造り、切り倒したアシェラ像を薪にして、あの第二の雄牛を焼き尽くす献げ物としてささげよ」(6:25−26)というものであった。この「アシェラ」も、当地の豊穣の女神である。カナンに定住し農耕をも始めたイスラエルの民の多くが、収穫をもたらすバアルやアシェラを拝むようになった。そしてバアル宗教はイスラエルの民を神の義と真実から遠ざけてしまった。まず何よりも「イスラエルの民の信仰を建て直す」ことが、ギデオンに与えられた使命であった。
しかしこれは非常に危険な任務であった(6:27)。当然のことながら町は大騒ぎになり、ギデオンは戦いの先頭に立たなければならなくなった。その際、「主の霊がギデオンを覆った。ギデオンが角笛を吹くと、アビエゼルは彼に従って集まってきた。彼がマナセの隅々にまで使者を送ると、そこの人々もまた彼に従って集まって来た。アシェル、ゼブルン、ナフタリにも使者を遣わすと、彼らも上ってきて合流した」(6:34−35)。ここにイスラエルの緩やかな部族連合の姿を見ることができる。
ここにおいて、ギデオンは人々から選び立てられてリーダーになったのではなかった。神がご自身の働きのためにギデオンを選び、「主の霊」を与えて士師としたのである。これはイスラエルの特徴である。繰り返し学んでいるように、旧約聖書の記事は単なる歴史書ではない。「神がどのように救いのわざをあらわしていかれたのか」というテーマがその根幹にある書物であり、「士師記」もその一断面を描き出しているものである。
ギデオンは決して勇敢な、強い人物ではなかった。ギデオンだけではなく、旧約聖書の物語において神が働き人として選び立てられる人物は、「自分はこの働きができます」と胸を張るような特別に強い立派な人物ではなく、むしろ神の召しがあったときに「自分は弱い」「若すぎる」「貧弱だ」「とてもできない」と恐れるような人物ばかりであった。それは、ひとたびその働きにおいて神の御心が成ったときに、「あれは自分の力で成し遂げたことだ」と、働き人自身が誇らないようにという、神の計らいでもあった(7:2)。