斎藤 信一郎 牧師
<原則として、ご自分で聖書本文を読み、黙想してから以下の文章、聖書教育誌、その他の参考文献を読むことをお奨めします。また、黙想の際に聖書地図で確認し、違う聖書訳を比較して読むこともお奨めします。>
※『聖書教育』誌は日本バプテスト連盟から発行されています。詳細は下記のURLでご照会下さい。 http://www.bapren.com/index.html (『聖書教育』ホームページ)
◆前回からのあらすじ
前回41章)ファラオの夢を見事に解釈し、認められて王の次に位の高い役職に就くヨセフ。新しいエジプト名を得て、祭司の娘を妻に迎える。エジプトの生活に染まる中で、生まれた二人の子どもにはヘブライ語名「マナセ」と「エフライム」と命名。
42章)大飢饉の影響がカナン地方でも深刻になり、ヤコブは一番下のベニヤミン以外の兄弟たちを、エジプトに食糧調達のために送り出す。それに気づいたヨセフはシメオンを人質にして、弟ベニヤミンをエジプトへ連れてくることを条件に、彼らを食糧と共に故郷へ帰す。ヤコブはエジプトでの報告を受けるが、末の息子を行かせるべきか迷う。
43章)ついにヤコブは、息子たちの求めに応じてベニヤミンを同行させることを決断。エジプトに戻った一行はヨセフの屋敷に招待され、特別なもてなしを受けて戸惑う。
44章1~17節まで)これで一見落着かに見えた、エジプトへの食糧買い付けの旅。しかし、ヨセフの策略によって弟ベニヤミンの荷物に銀の杯が仕込まれ、それを理由にヨセフの元へ戻ることになる兄弟たち。ヨセフはベニヤミンだけを奴隷として残し、他の者は故郷に帰っていいと伝えるが…ここから今回の箇所へと繋がる。
◆黙想のポイント
43章では、もし弟を無事に連れ戻せない場合には、生涯その罪を負い続けることをヤコブに訴え、執り成しをするユダ。
44章でも弟ヨセフとは知らずに、「自分がベニヤミンの代わりに奴隷になる」と執り成しをするユダが描かれています。
ユダがこのように執り成すことができるようになったのはなぜでしょうか。神が信仰の成長を導いておられたのはヨセフだけではありませんでした。
◆ユダの嘆願
44:18 ユダはヨセフの前に進み出て言った。「ああ、御主君様。何とぞお怒りにならず、僕の申し上げますことに耳を傾けてください。あなたはファラオに等しいお方でいらっしゃいますから。 44:19 御主君は僕どもに向かって、『父や兄弟がいるのか』とお尋ねになりましたが、 44:20 そのとき、御主君に、『年とった父と、それに父の年寄り子である末の弟がおります。その兄は亡くなり、同じ母の子で残っているのはその子だけですから、父は彼をかわいがっております』と申し上げました。 44:21 すると、あなたさまは、『その子をここへ連れて来い。自分の目で確かめることにする』と僕どもにお命じになりました。 44:22 わたしどもは、御主君に、『あの子は、父親のもとから離れるわけにはまいりません。あの子が父親のもとを離れれば、父は死んでしまいます』と申しましたが、 44:23 あなたさまは、『その末の弟が一緒に来なければ、再びわたしの顔を見ることは許さぬ』と僕どもにおっしゃいました。 44:24 わたしどもは、あなたさまの僕である父のところへ帰り、御主君のお言葉を伝えました。 44:25 そして父が、『もう一度行って、我々の食糧を少し買って来い』と申しました折にも、 44:26 『行くことはできません。もし、末の弟が一緒なら、行って参ります。末の弟が一緒でないかぎり、あの方の顔を見ることはできないのです』と答えました。 44:27 すると、あなたさまの僕である父は、『お前たちも知っているように、わたしの妻は二人の息子を産んだ。 44:28 ところが、そのうちの一人はわたしのところから出て行ったきりだ。きっとかみ裂かれてしまったと思うが、それ以来、会っていない。 44:29 それなのに、お前たちはこの子までも、わたしから取り上げようとする。もしも、何か不幸なことがこの子の身に起こりでもしたら、お前たちはこの白髪の父を、苦しめて陰府に下らせることになるのだ』と申しました。 44:30 今わたしが、この子を一緒に連れずに、あなたさまの僕である父のところへ帰れば、父の魂はこの子の魂と堅く結ばれていますから、 44:31 この子がいないことを知って、父は死んでしまうでしょう。そして、僕どもは白髪の父を、悲嘆のうちに陰府に下らせることになるのです。 44:32 実は、この僕が父にこの子の安全を保障して、『もしも、この子をあなたのもとに連れて帰らないようなことがあれば、わたしが父に対して生涯その罪を負い続けます』と言ったのです。44:33 何とぞ、この子の代わりに、この僕を御主君の奴隷としてここに残し、この子はほかの兄弟たちと一緒に帰らせてください。 44:34 この子を一緒に連れずに、どうしてわたしは父のもとへ帰ることができましょう。父に襲いかかる苦悶を見るに忍びません。」
>>>38章を読むと、突如としてユダ物語が語られます。ユダは長男と次男を相次いで失っています。そのために三男を特別に大切に扱ったことが語れています。ユダは子どもを失うという経験を通して、父親が子を失うことの悲しみに寄り添うことができるようになったのでしょう。それが今回のユダの決断に繋がったと考えられます。神が、総合的に万事が益となるように、一人一人を忍耐強く導き続けておられることに励まされます。