斎藤 信一郎 牧師
<原則として、ご自分で聖書本文を読み、黙想してから以下の文章、聖書教育誌、その他の参考文献を読むことをお奨めします。また、黙想の際に聖書地図で確認し、違う聖書訳を比較して読むこともお奨めします。>※『聖書教育』誌は日本バプテスト連盟から発行されています。詳細は下記のURLでご照会下さい。 http://www.bapren.com/index.html (『聖書教育』ホームページ)
◆黙想のポイント
これまでは、一時的に聖書教育誌の流れから離れ、ヨセフと主イエス、あるいはヨセフ物語と福音書との類似性に着目して参りましたが、今回は聖書の本文からのメッセージに主眼を戻したいと思います。
ヨセフのこれまでの人生の苦労の意味と、夢を説く力が与えられてきた意味が判明していくこととなる今回のヨセフ物語。私たちの人生においても、過去の出来事と似た出来事が繰り返されることによって、過去の経験が神に用いられたと感じた体験はないでしょうか。それらを分かち合うのもいいでしょう。
◆ファラオの夢を解く
41:1 二年の後、ファラオは夢を見た。ナイル川のほとりに立っていると、 41:2 突然、つややかな、よく肥えた七頭の雌牛が川から上がって来て、葦辺で草を食べ始めた。 41:3 すると、その後から、今度は醜い、やせ細った七頭の雌牛が川から上がって来て、岸辺にいる雌牛のそばに立った。 41:4 そして、醜い、やせ細った雌牛が、つややかな、よく肥えた七頭の雌牛を食い尽くした。ファラオは、そこで目が覚めた。 41:5 ファラオがまた眠ると、再び夢を見た。今度は、太って、よく実った七つの穂が、一本の茎から出てきた。 41:6 すると、その後から、実が入っていない、東風で干からびた七つの穂が生えてきて、 41:7 実の入っていない穂が、太って、実の入った七つの穂をのみ込んでしまった。ファラオは、そこで目が覚めた。それは夢であった。
*聖書教育誌が指摘しているように、ヨセフ物語で繰り返し登場するのが「意味のある夢」です。最初はヨセフ、続いて給仕役の長と料理役の長、それから今回のファラオで三回目になります。神は、様々な人々の夢さえ用いて、これから中東地域一帯を脅かすことになる大飢饉から多くの命を救うためのみ業を実現しようとしておられます。それに一早く気づくことになるヨセフでした。
41:8 朝になって、ファラオはひどく心が騒ぎ、エジプト中の魔術師と賢者をすべて呼び集めさせ、自分の見た夢を彼らに話した。しかし、ファラオに解き明かすことができる者はいなかった。 41:9 そのとき、例の給仕役の長がファラオに申し出た。「わたしは、今日になって自分の過ちを思い出しました。 41:10 かつてファラオが僕どもについて憤られて、侍従長の家にある牢獄にわたしと料理役の長を入れられたとき、 41:11 同じ夜に、わたしたちはそれぞれ夢を見たのですが、そのどちらにも意味が隠されていました。 41:12 そこには、侍従長に仕えていたヘブライ人の若者がおりまして、彼に話をしたところ、わたしたちの夢を解き明かし、それぞれ、その夢に応じて解き明かしたのです。 41:13 そしてまさしく、解き明かしたとおりになって、わたしは元の職務に復帰することを許され、彼は木にかけられました。」
*ついに、神のご計画に従って、ヨセフが夢の解き明かしをする時が来ました。料理役の長がヨセフの期待通りに速やかに夢を思い出しファラオに告げなかったことにも、神の側では理由があったことが暗示されています。
41:14 そこで、ファラオはヨセフを呼びにやった。ヨセフは直ちに牢屋から連れ出され、散髪をし着物を着替えてから、ファラオの前に出た。
*着替えをする度に劇的に人生が変わるヨセフ物語です。最初は父から受け取った特別な晴れ着を着ることによって兄弟の憎しみを買い、その服を剥ぎ取られ(37章23節)、殺害されかけます。連れてこられたエジプトでは侍従長の家で、召し使いの服を着せられますが、その服を妻によって無理矢理脱がされ、今度は囚人の服を着せられることになります。そして、ついに囚人の服からファラオの前に出るために身を整え、着替えたことが語られます。今回の着替えはこれまでのものとは違い、全能の神の使者としての役割を果たすための着替でした。
41:15 ファラオはヨセフに言った。「わたしは夢を見たのだが、それを解き明かす者がいない。聞くところによれば、お前は夢の話を聞いて、解き明かすことができるそうだが。」 41:16 ヨセフはファラオに答えた。「わたしではありません。神がファラオの幸いについて告げられるのです。」 41:17 ファラオはヨセフに話した。「夢の中で、わたしがナイル川の岸に立っていると、 41:18 突然、よく肥えて、つややかな七頭の雌牛が川から上がって来て、葦辺で草を食べ始めた。 41:19 すると、その後から、今度は貧弱で、とても醜い、やせた七頭の雌牛が上がって来た。あれほどひどいのは、エジプトでは見たことがない。 41:20 そして、そのやせた、醜い雌牛が、初めのよく肥えた七頭の雌牛を食い尽くしてしまった。 41:21 ところが、確かに腹の中に入れたのに、腹の中に入れたことがまるで分からないほど、最初と同じように醜いままなのだ。わたしは、そこで目が覚めた。 41:22 それからまた、夢の中でわたしは見たのだが、今度は、とてもよく実の入った七つの穂が一本の茎から出てきた。 41:23 すると、その後から、やせ細り、実が入っておらず、東風で干からびた七つの穂が生えてきた。 41:24 そして、実の入っていないその穂が、よく実った七つの穂をのみ込んでしまった。わたしは魔術師たちに話したが、その意味を告げうる者は一人もいなかった。」
*ファラオの夢がこれで二度語られることになります。この箇所の中で注目すべきは16節のヨセフの言葉です。
「わたしではありません。神がファラオの幸いについて告げられるのです。」
ここでヨセフが使った「幸い」という言葉について、聖書教育誌は原語に遡り、これが最も有名なヘブライ語の一つである「シャローム」だということに着目しています。この言葉は「神の幸い」、「神の平和」と訳される言葉であると共に、日本語の「こんにちは」や「さようなら」のような日常挨拶にも使われる言葉です。神は夢を通してみ心とご計画を明らかにされる、しかも、これから行う夢の解き明かしは、自分の力によるものではなく、神が大事な目的のために彼に授けて下さった賜物なのだと、ヨセフは理解し始めています。
41:25 ヨセフはファラオに言った。「ファラオの夢は、どちらも同じ意味でございます。神がこれからなさろうとしていることを、ファラオにお告げになったのです。 41:26 七頭のよく育った雌牛は七年のことです。七つのよく実った穂も七年のことです。どちらの夢も同じ意味でございます。 41:27 その後から上がって来た七頭のやせた、醜い雌牛も七年のことです。また、やせて、東風で干からびた七つの穂も同じで、これらは七年の飢饉のことです。 41:28 これは、先程ファラオに申し上げましたように、神がこれからなさろうとしていることを、ファラオにお示しになったのです。 41:29 今から七年間、エジプトの国全体に大豊作が訪れます。 41:30 しかし、その後に七年間、飢饉が続き、エジプトの国に豊作があったことなど、すっかり忘れられてしまうでしょう。飢饉が国を滅ぼしてしまうのです。 41:31 この国に豊作があったことは、その後に続く飢饉のために全く忘れられてしまうでしょう。飢饉はそれほどひどいのです。 41:32 ファラオが夢を二度も重ねて見られたのは、神がこのことを既に決定しておられ、神が間もなく実行されようとしておられるからです。41:33 このような次第ですから、ファラオは今すぐ、聡明で知恵のある人物をお見つけになって、エジプトの国を治めさせ、 41:34 また、国中に監督官をお立てになり、豊作の七年の間、エジプトの国の産物の五分の一を徴収なさいますように。 41:35 このようにして、これから訪れる豊年の間に食糧をできるかぎり集めさせ、町々の食糧となる穀物をファラオの管理の下に蓄え、保管させるのです。41:36 そうすれば、その食糧がエジプトの国を襲う七年の飢饉に対する国の備蓄となり、飢饉によって国が滅びることはないでしょう。」
*ヨセフはファラオの前で、見事に夢の解き明かしを行いました。しかも、32節で語られるように、夢を重ねて二度見るのは、「神がこのことを既に決定しておられ、神が間もなく実行されようとしておられるから」だと宣教することができました。そして神は、これから起きる非常事態に「どう賢明に対処すべきか」という知恵さえもヨセフに与えたのでした。
*ヨセフ物語の根底には、神のみ言葉は最善の時期に必ず成就するというテーマも垣間見えて来ます。最悪の状況の中においても神の最善が待ち受けていることを、信仰の目で見据えることの大切さを示されます。