1/31日ヨハネ9章35節~10章6節「これがわたしの羊」
総合テーマ キリストに何を期待すべきか?
黙想のポイント1
・41節の「見えなかったのであれば、罪はなかったであろう。しかし、今、『見える』とあなたたちは言っている。だから、あなたたちの罪は残る。」と言われた主イエスでした。この意味を黙想しましょう。
黙想のポイント2
・6節にファリサイ人たちは分からなかったとあります。私たちはどうでしょうか?黙想しましょう。
・仮庵の祭りが近づく>兄弟たちがエルサレムへ行くよう>エルサレムへ>姦通の女>そして今回の箇所…
>>>生まれつきの盲人を癒された主イエス、弟子たちはその盲人が目が見えない障害を負っているのは罪と関係があるのか尋ねたところ、神の栄光が現れるためと説明します。そして唾で土をこねたものを盲人の目に塗ってシロアムの池「遣わされた者」の意で目を洗うようにと指示し、その盲人は癒されてしまいます。しかし、その出来事が安息日に行われたことを問題視したファリサイ人たちは盲人に癒しを行った人物を聞き出そうとしますが、盲人は応えることができませんでした。またその盲人は主イエスの指示に従ったこと、および主イエスを神から遣わされた者として主張したために会堂から追い出されてしまいます。今回の箇所はそのような経緯で会堂から追放され、見放された人に主イエスが近づき、受け止めて下さる場面です。
なお、聖書教育誌には理解を深める多くの示唆に富んだ内容が含まれていますので合わせてご参照下さい。
◆ファリサイ派の人々の罪
9:35 イエスは彼が外に追い出されたことをお聞きになった。そして彼に出会うと、「あなたは人の子を信じるか」と言われた。
>>>盲人だった人が会堂から追放されたことを聞き、主イエスの方から会堂を追放された元盲人に会いに行きました。「あなたは人の子を信じるか」とはかなり大胆で担当直入な質問のように思われます。人の子とは当時、聖書で預言されている救い主を意味する言葉でした。きっと愛情を込めて「これであなたは救い主がいることを信じることができるようになったか」と問われたのではないでしょうか。
9:36 彼は答えて言った。「主よ、その方はどんな人ですか。その方を信じたいのですが。」
9:37 イエスは言われた。「あなたは、もうその人を見ている。あなたと話しているのが、その人だ。」
9:38 彼が、「主よ、信じます」と言って、ひざまずくと、
>>>生まれた時から視力の障害を追いながら、罪深い人間として時にはさげすまれて生きてきたその男は、本当に自分のことを神は顧みて下さっているのだろうかと疑念を抱いてきたことでしょう。神に自分の身の不幸を苦情交じりに訴えたこともあったかも知れません。ひょっとすると彼はこの時に生まれて初めて心の底から神に感謝の礼拝を捧げたい気持ちになったかも知れません。そんな彼の目の前に主イエスの方から再び近づいて来て、声を掛けます。そして主イエスの方から自分こそ救い主だということを明らかにします。彼はその場で「主よ、信じます」と信仰告白してすぐさま主イエスの御前にひざまづきました。
失われていた羊が飼い主の元に戻った瞬間でした。
9:39 イエスは言われた。「わたしがこの世に来たのは、裁くためである。こうして、見えない者は見えるようになり、見える者は見えないようになる。」
9:40 イエスと一緒に居合わせたファリサイ派の人々は、これらのことを聞いて、「我々も見えないということか」と言った。
9:41 イエスは言われた。「見えなかったのであれば、罪はなかったであろう。しかし、今、『見える』とあなたたちは言っている。だから、あなたたちの罪は残る。」
>>>主イエスの言葉の意味を少しは理解したかようなファリサイ派の人々の反応だしたが、それよりも他の人から盲目な人々と言われたことに心外な思いを抱くファリサイ人たちでした。主イエスはどのような意味でこのように語られたのでしょうか。あなたはどう理解されるでしょうか。黙想のポイントその1です。
◆「羊の囲い」のたとえ
10:1 「はっきり言っておく。羊の囲いに入るのに、門を通らないでほかの所を乗り越えて来る者は、盗人であり、強盗である。
10:2 門から入る者が羊飼いである。
10:3 門番は羊飼いには門を開き、羊はその声を聞き分ける。羊飼いは自分の羊の名を呼んで連れ出す。
10:4 自分の羊をすべて連れ出すと、先頭に立って行く。羊はその声を知っているので、ついて行く。
10:5 しかし、ほかの者には決してついて行かず、逃げ去る。ほかの者たちの声を知らないからである。」
>>>門から入る羊飼いとその声に従う羊たち、しかしその声に聴き従わない羊は飼い主の認識がないことを意味し、却ってその人物から離れ去ってしまうことを主イエスは語られました。
10:6 イエスは、このたとえをファリサイ派の人々に話されたが、彼らはその話が何のことか分からなかった。
>>>残念ながら2番目の喩えの方はファリサイ人にはまったく通じなかったことが分かります。最初の喩え同様、あなたはどのように受け取られたでしょうか。今回の黙想のポイントその2です。