ルカによる福音書2章22~38節 「シメオンとアンナ」
総合テーマ キリストの誕生を喜んだ人々
・今月のみことばの学びの視点…その1 なぜ、彼らが選ばれたのでしょうか。神が選ばれる人材とは…。
・今月のみことばの学びの視点…その2 喜んだ後で彼らが取った行動とはどのようなものだったでしょうか。
◆黙想のポイント
1.シメオンとアンナという二人の高齢者がキリストの誕生にみ霊によって示されるという驚くべき出来事を共に確認しましょう。
*聖書はイエスの誕生に際して、三つのグループの人々に目を向けさせている。
別の言い方をすると、神様は救い主の誕生をいち早く3つのタイプの人々に優先して知らせている。その人々のことを主は忘れてはおられないこと、そしてその人々が救いに招かれていることを強調するためでもあった。その人々とは…
1.マタイ…博士たち=異邦人(我々も含まれる)
2.ルカ…羊飼いたち=社会的に地位が低い、低所得者層の人々
3.ルカ…老人たち=先が短い人たち?…必ずしもそうではなく今回は以下の視点で読んでいく。
・高齢者たちの場合は1と2とは次元が違うように思われる。信仰がここまで成熟していくことができるとの希望と励ましをこの箇所から与えられる!1節づつみ言葉を味わいましょう。
◆神殿で献げられる
2:22 さて、モーセの律法に定められた彼らの清めの期間が過ぎたとき、両親はその子を主に献げるため、エルサレムに連れて行った。
*イエスの両親も律法の教えに忠実に従おうとしたことを示す。
2:23 それは主の律法に、「初めて生まれる男子は皆、主のために聖別される」と書いてあるからである。
*イエスも神に聖別していただくために神殿に連れて行かれた。
2:24 また、主の律法に言われているとおりに、山鳩一つがいか、家鳩の雛二羽をいけにえとして献げるためであった。
*レビ記1章の学びを通して、この献げものは経済的に最下層の人々を示す。このことからイエスの両親はかなり貧しい暮らしをしていたことが伺える。そのような者たちだったので、さぞ質素なみなりでむしろ目立たない一組の家族だったのではないでしょうか。それでもその一家にしっかりと目を留めることができた人々が少なくとも二人いたのです。
2:25 そのとき、エルサレムにシメオンという人がいた。この人は正しい人で信仰があつく、イスラエルの慰められるのを待ち望み、聖霊が彼にとどまっていた。
*特筆すべきことは聖霊降臨以前に聖霊が留まっていた人物が存在したこと。このような表現をしてもらえる人物がいたということに励まされる。
2:26 そして、主が遣わすメシアに会うまでは決して死なない、とのお告げを聖霊から受けていた。
*天使からではなく、聖霊から確かな約束をいただいていたこと。このような信仰を培っていけることに励ましを受けます。
2:27 シメオンが“霊”に導かれて神殿の境内に入って来たとき、両親は、幼子のために律法の規定どおりにいけにえを献げようとして、イエスを連れて来た。
*シメオンを聖霊が導き、彼は幼子があの約束のメシアであることを確信できたのです。
2:28 シメオンは幼子を腕に抱き、神をたたえて言った。
*羊飼いたちも、博士たちも幼子イエスを抱かせてもらえなかったのではないでしょうか。…抱かせてもらったシメオンの幸せはいかほどだったでしょうか。うらやましい限りです。
2:29 「主よ、今こそあなたは、お言葉どおり/この僕を安らかに去らせてくださいます。
*人生の目的を全うしたと宣言できる生涯を送ることができる人の幸いを見ます。
2:30 わたしはこの目であなたの救いを見たからです。
*キリストだと確信している者のことばです!信仰告白です!
2:31 これは万民のために整えてくださった救いで、
*…ここからは聖霊に導かれて将来について預言しています。
2:32 異邦人を照らす啓示の光、/あなたの民イスラエルの誉れです。」
*…世界の人々の救いが視野にしっかりと入っています。
2:33 父と母は、幼子についてこのように言われたことに驚いていた。
*確かに驚きだったでしょう。しかし、マリアはこれらの預言をしっかりと胸に刻みつけていました。その記憶がやがてルカに伝わり、ルカによる福音書によって私たちに伝承されることになりました。
2:34 シメオンは彼らを祝福し、母親のマリアに言った。「御覧なさい。この子は、イスラエルの多くの人を倒したり立ち上がらせたりするためにと定められ、また、反対を受けるしるしとして定められています。
*聖書教育が指摘している通り…祝福として厳しいことも語るシメオン⇒熟練した信仰者ならではのもの。試練の中にも神のご計画と祝福があることを理解できるようになっているシメオンに信仰の模範があります。
2:35 ――あなた自身も剣で心を刺し貫かれます――多くの人の心にある思いがあらわにされるためです。」
*キリストの受難を自分のことのようにマリアの心が傷つくことが預言されています。私たちも聖霊によってキリストの受難を自分のこととして痛みを持って受け止めたいと思います。十字架は私たちのためだったのですから。そして、我々にもイエスを十字架に付けた責任があるのですから。
2:36 また、アシェル族のファヌエルの娘で、アンナという女預言者がいた。非常に年をとっていて、若いとき嫁いでから七年間夫と共に暮らしたが、
*これからという時に人生の苦難を味わった女性がいました。
2:37 夫に死に別れ、八十四歳になっていた。彼女は神殿を離れず、断食したり祈ったりして、夜も昼も神に仕えていたが、
*主に生涯を献身して長年生きてきた女性の美しさと忍耐がここにあります。
2:38 そのとき、近づいて来て神を賛美し、エルサレムの救いを待ち望んでいる人々皆に幼子のことを話した。
*彼女もキリストに気づくことができたことへの驚き!そして人々に伝えたことへの驚き!
ここにもキリストを伝道した最初期のクリスチャンの姿があります!あの時代に、世界最初のクリスマスの時期に幼子イエスがキリストであると確信することができた信仰者たちがいたこと。そしてそのことを喜び、賛美し、クリスマス=キリストを礼拝する熟練のクリスチャンたちが存在したことに私たちへの希望があります。シメオンやアンナのような信仰を導かれる者たちでありたいと願わされます。