するとセラフィムは「炭火」をイザヤの唇に触れさせた。この「炭火」は「罪を贖い清める神の力と恵み」を表す。 イザヤは自らの罪を自覚しそれを言い表すことで、神から罪赦される者とされたのである。
その時、イザヤの耳に「誰を遣わすべきか。誰が我々に代わって行くだろうか」(8節)という神の声を聞いた。万軍の主が御言葉を伝える者を募っておられるのを知り、イザヤは「わたしがここにおります。わたしを遣わしてください」(9節)と答えるのであった。
6章9節以下においては、預言者が神の言葉を聞き、民に伝える働きに立つが、民は頑迷な不信仰のゆえにそれを聞かないであろうことが語られる。そのような状態に期限があれば、預言者も安心してその使命が果たせようが、「主よ、いつまででしょうか」(11節)というイザヤの問いに、神は明確な期限を示されない。ここに、預言者は民の反応によって失望したり語るのをやめたりするのではなく、神に命じられる通りに語り続ける者として召されているのだということが示されている。そのような失望の中で、イザヤは自らの召命のできごとを回想して、今日の箇所(6章)を書いたのであろう。
南ユダの名門の出であると想定され、王に対して直々に語ることのできる立場にあったイザヤは、時代の中で具体的な出来事に対して語った預言者であった。40年間エルサレムで預言者として活動したイザヤが神に召された時、彼は青年であった。イザヤの卓越した人物や言葉のゆえに、イザヤはエレミヤと並ぶ「二大預言者」とさえ称される。北も南も物質的に繁栄し通商が発達し牧畜業が盛んだったこの時代、国民の間には不正な裁判、道徳的退廃、不道徳がはびこっており、イザヤは同胞に対して神の言葉を語るためにその生涯をささげることになる。「聖なる神」の強調が、イザヤの預言の特色である。神は不正を見逃されず怒りをもって裁く方であるということをイザヤは繰り返し語った。
紀元前740年頃、強大な勢力を誇ったのはアッシリアであったが、周囲には反アッシリア連合もあったがアッシリアはそれを打ち破った。アッシリア王テグラテピレセルⅢ世の年代記には反アッシリア諸国のリストがある。南ユダはそこに加わらなかったが北イスラエルは加わっていたためにアッシリアに攻められ、王に貢ぎ物を出すようになる(前738年)。しかしアッシリアの政治的変化に乗じて反アッシリア同盟が成立し、北イスラエルは再びそこに加わる(前737年)。反アッシリア同盟は南ユダも仲間に加えたいと願うが、南ユダ王アハズはそれを拒んだ。それゆえ南ユダは連合軍の攻撃にさらされる立場に置かれた。南ユダ王アハズは恐れ、救いをアッシリアに求めようとする。その際、イザヤは「そうではなく、神に信頼して動くな」と語った(7:4「落ち着いて、静かにしていなさい。恐れることはない」)。しかし南ユダ王アハズはその忠告を聞き入れず、貢ぎ物をもってアッシリアに降伏、援助を求めた(前734年)。反諸国を攻めるアッシリアは北イスラエルの首都サマリアを攻め落とし、北イスラエル王国は滅亡した(前722−721年)。
南ユダではアハズの後にヒゼキヤが王となり(前715年)、宗教改革を行った(参照:列王記下18章など)。 アッシリアでは王サルゴンが死にセンナケリブが即位した(前705年)。南ユダ王ヒゼキヤは「アッシリアの王に刃向かい、彼に服従しなかった」(列王記下18:7)ため、アッシリア王センナケリブはエルサレムを包囲する(前701年)。南ユダ王ヒゼキヤは従来のように貢ぎ物をささげ、この時南ユダはかろうじて滅亡を免れた。アッシリアから来た3人の使者は神を冒涜しアッシリアへの降伏を要求するが、イザヤは「神が守られるのだから断固拒否せよ」と進言する。南ユダではヒゼキヤの死後、マナセが王となった(前687年)。マナセは偶像礼拝を復活させた「悪い王」として旧約聖書で語られているが、マナセの治世にイザヤは殉教の死を遂げた。
イザヤは歴史的変動の中であわてふためく王たちに「まず神を信じなさい」と語り続けた。落ち着いていること、 神を信じることのほうが先であることを教えたのである。世界の神である主は歴史を導く主であり、そのわざを成すために様々な国を用いられるという信仰に立つイザヤは、同時に「不信仰と不義を憎まれるが、近づきがたい神ではなく、この世界にご自身の義と平和を建設しようとする神」を語る。イザヤは政治・道徳・社会的状況のただ中で、時代を見抜く見識と徹底した信仰に立ち、国のために語り続けた偉大な預言者であった。イザヤなの預言の中では「残れる者」という思想もよく知られる。神が選んだイスラエルは頑迷なために滅ぼされるが信仰に立ち続ける少数の「残れる者」がおり、その中からメシアが出現する(イザヤ7:14、9:1−6)という預言である。イザヤは混迷した世界に神の義と平和が打ち立てられるという希望を与えられ、「安らかに神に信頼していることこそ力になる」と人々を励まし続けたのである。