災いの日、主はわたしの支えとなり、わたしを広い所に導き出し、助けとなり、喜び迎えてくださる。(サムエル記下22章19、20節)
ダビデは晩年に波乱万丈の人生を振り返り、神が幾度も苦難から救ってくださったこと、神に罪を叱責され、怒りを買ったこと、罪を赦されたことなどを思い起こし、感謝して、神を賛美した。冒頭の言葉はその一節である。
私たちの祈り、叫びは、常に神に届いている。しかし、そのことが私たちに分からない時がある。しかし、神は時を定めて、「高い天から御手を伸ばしてわたしをとらえ、大水の中から引き上げてくださる」(17節)。私たちを狭い所に追い詰め、魂までも滅ぼそうとする敵の力は強く、勝ち誇っているように思える時がある。しかし、その時にも「主はわたしの支えとなり」、狭い所から「広い所に導き出し」てくださる。
ダビデは人生において体験した神の憐れみを思い、この人生を終えた時、神がその憐れみのゆえに自分を「喜び迎えてくださる」と確信しているのである。;;”145″