こうして我らは敵の手から救われ、恐れなく主に仕える、生涯、主の御前に清く正しく。(ルカによる福音書1章73−74節)
ザカリアの預言は、まことに救いを成し遂げ得る「救いの角」として、一方的な神の憐れみのゆえに「高い所から」の「あけぼのの光」として主イエス・キリストがこの世に来られたことを語る。クリスマスは、罪の暗闇の中に捨て身で突入してこられ、極限の痛みを背負われた主イエスを思い悔い改める時である。そして、罪と死の力を打ち破った主イエスが、救い主として「神との正しい関係」「平和」の中に我々を連れ戻して下さることを力強く思い起こし賛美する時である。
この「救い」を頂いた我々は、漫然と生きるのではない。「生涯」「恐れなく主に仕える」という新しい人生が我々を待っている。趣味、教養、お飾りとしての「キリスト教」という感覚は、キリスト者とは無縁のものである。主イエスを救い主と信じ従う者は、自分らしくのびのびと、日常の中で神と交わり神の御心を求めて生きるように求められている。そのために、主イエスは命を賭けて我々を解放して下さったのである。;;”157″