ヨハネによる福音書9:13-23
安息日になされた主イエスによる癒しのわざ(14節)を驚き怪しみ、「人々は、前に盲人であった人をファリサイ派の人々のところへ連れていった」(13節)。「ファリサイ派」の人々は律法に非常に忠実な人々であった。その中にはユダヤの最高議会(サンヘドリン)に属し、宗教に関する事柄に最終的判決を下していた人々や、律法学者として人々の日常の諸問題を律法に照らして人々を指導する人々が存在した。この時、人々がどちらの「ファリサイ派の人々」のところに行ったのかは不明である。しかし、最終的にこの「前に盲人であった人」が「外に追い出された」(35節)、すなわちユダヤ人の会堂から追放されたということを見ると、恐らく前者だったのであろう。
人々は「安息日に起こった事柄」に対してどのように対応すべきか、ファリサイ派の人々に判断を仰ごうとしたのである。「安息日」とは「十戒」に定められた規定の一つである(出エジプト記20:8「安息日を心に留め、これを聖別せよ」)。その日は「いかなる仕事もしてはならない」(出エジプト記20:10)とあるが、それはどういうことであろうか。その後、「安息日にしても良いこと・悪いこと」の規定が事細かに定められた。「安息日」に歩く距離はこれまでなら良い、これ以上の物を持つのは「労働」と見なされて悪い、などである。「病人の癒し」に関しては、「命にかかわる場合のみ許される」とされていた。「見えない目を見えるようにする」という行為は命にかかわる状態に対応したということには当たらず、また「唾で土をこねてその人の目にお塗りになった」(6節)という行為は、「安息日」に禁じられている「労働」と見なされたのである。律法に違反した者は裁かれ、罪人として会堂から追放された。ユダヤ人たちは皆、会堂に属していたため、そこから追放されるということは両親からも仲間からも切り離されることを意味した。そのため、「律法違反」の判決を受けるということは、ユダヤ人にとって大きな裁きだったのである。
ファリサイ派の立場からすれば、このたび主イエスのされたことは「安息日の規定を守らない」という明らかな律法違反であった。そのため「その人は、安息日を守らないから、神のもとから来た者ではない」(16節)という反応が起こるのは当然である。一方、ファリサイ派の中にも「どうして罪のある人間が、こんなしるしを行うことができるだろうか」(16節)と言う者たちもいた。律法の教理に従って「イエスは罪人だ」という立場と、癒しの事実をもって「イエスは神から来た人ではないか」という立場に分かれたのである。
そこで人々が、目を癒された人に「いったい、お前はあの人をどう思うのか」と問いただすと、彼は「あの方は預言者です」と答えた(17節)。「預言者」とは、この時代、必ずしも「未来のことを予見して語る」というだけではなく、「神から遣わされて神の言葉を告げる」人物のことを指していた。それゆえ、この告白は主イエスを言い表わすのに必ずしも十分ではないが、しかし「主イエスは神から来られた方だ」という告白である。そして物語の中でだんだんと彼は主イエスに対する霊の目を開かれ、まことに主イエスを信じる告白へと導かれていくようになる。
しかし、そのような証言を聞き入れたくない人々は、今度は「ついに、目が見えるようになった人の両親を呼び出して、尋ねた」(18-19節)。彼らは、あの盲人と、この「目が見えるようになった人」が別人であるという証言を期待したのである。人違いであるなら、彼らの論法は破たんせずに済む。しかし両親はその人が我が子であることを認めつつも、何故見えるようになったか、誰が見えるようにしてくれたかは「分かりません」と繰り返す(20-21節)。両親はユダヤ人指導者たちを「恐れていた」(22節)。もしも「主イエスが息子を癒してくださったのです」などと証言するならば、自分たちもユダヤ人の会堂、すなわちユダヤ人社会から追放されるのではないかと考えたのである。ここに「ユダヤ人たちは既に、イエスをメシアであると公に言い表わす者がいれば、会堂から追放すると決めていたのである」(21節)と書かれている。『ヨハネによる福音書』が書かれた時代(90-100年頃)のキリスト者たちも同様の事態に直面していた。パウロがあれほどユダヤ人から迫害されたのは、パウロが単に律法に違反するどころか、異邦人に対して「律法を守ることで救われるのではない」と言ったことにより、ユダヤ人指導者たちの怒りを買ったからである。『ヨハネによる福音書』が書かれた時代にも、「イエスをキリストと告白する者」はユダヤ人社会から追放されたのである。例えば、ユダヤ教の18祈祷の一つである「ビルカット ・ハ・ミニーム」を唱えさせ、口ごもれば「この人はユダヤ教徒ではない、キリスト者だ!」ということで迫害の対象とされたなどの事例が伝えられている。「イエスは主なり」と告白するにはいつの時代にも霊的な戦いのあることを思わせられる。
ファリサイ派の人々にとっては律法が大事であり、自分たちは律法を守ることで神から義とされると信じていた。そのために、主イエスを「神から来た者」と認めることができなかった。人間は一つの考え方に凝り固まってしまうと、他者に対して心を開き、事柄を吟味できなくなってしまう。様々な宗教に「宗教右翼」「ラディカリズム」「根本主義」「宗教原理主義」と呼ばれる立場が見られる。キリスト教に当てはめて言うならば、例えば「聖書無謬節」を採る立場の場合、それを自身の信仰の立場として、自分が信じているというのならば良いが、「聖書に『婦人たちは、教会では黙っていなさい。婦人たちには語ることが許されていません』(Ⅰコリ14:34)と書いてある」ということで「女性の教職を認めない」ということになると問題が起きてくる。聖書は全体から解釈されなければならない。聖書も、書かれた当時の世界観の中で語られており、古くからの根強い習慣にとらわれている部分もある。パウロの言葉にすら、そのような部分がある。しかし我々は、パウロの言葉を全体から解釈したい。パウロは「そこではもはや、ユダヤ人もギリシア人もなく、奴隷も自由な身分の者もなく、男も女もありません。あなたがたは皆、キリスト・イエスにおいて一つだからです」(ガラテヤ3:28)と語るのである。
バプテストは「聖書から聞こう」というところから始まっている。聖書と照らし合わせることで現状の問題を発見し、イギリスの国教会から分離する形で信仰の共同体を立ち上げた。バプテストの先達の信仰告白における第一項は「聖書」であった。「まず、聖書に聞いていこう」ということを大事にしたのである。バプテスマについての考え方も、それぞれが聖書から聞いていくため、「浸礼でなければならない」「浸礼を重んじるが『浸礼しか認めない』ということではない」など、理解がばらばらになる面がある。そういう意味でバプテストは「自由」と「混乱」の双方を受け取る。それゆえ、「わたしたちの教会としては、このように捉える」という「信仰告白」が大事になってくる。我々がひとつの教会として主イエスをどのように告白するのか、礼典をどのように捉え、どのようなものとして告白するのか。そのことを言葉化していく際、牧師の指導的役割というものは大きな比重を占める。しかし、その教会のこれまでの歩みを尊重しつつ、変えたほうが良いところがあれば、皆で聖書から聞き、学び、考え、時間をかけて変えていけばよい。「信仰告白」においては「イエスは主である」ということを告白することこそ大切な事柄である。字面の問題で「聖書にこのように書いてある」と言うだけではない。例えば「復活」を信じるというのも、ただ「主イエスが墓からよみがえった」ということを承認するというのではなく、復活の主イエスがいつも生きて我々に働きかけ、教会にその霊の風が吹いているということを、霊の目で見て体験し、告白することが大事である。
聖書の言葉は、一人一人に聖霊の働きかけが起こされていることを告白する。9章の物語は、周囲の人々から疑われ訴えられ、両親との仲を裂かれユダヤ人社会から追い出されるという苦難の中で、主イエスを信じる信仰に導かれていった一人の人の証しの物語である。同じように「だんだんと目が開かれていった」という証しを、我々もしていきたい。