マルコによる福音書16:19-20
既に学んできたように、16章の9~20節は後代の加筆によるものである。他の福音書に記載されている「復活」「顕現」「昇天」の記事を加えることにより、マルコの信仰共同体の人々に、「福音宣教」「世界伝道」への招きを伝えるため、このような加筆がなされたのであろう。
「主イエスは、弟子たちに話した後、天に上げられ、神の右の座に着かれた」(19節)。「マルコによる福音書」において、主イエスについてはほとんど「イエス」と記されてきたが、この19節では「主イエス」となっている。このような点も、これらの部分が後代の加筆によるものであるという判断基準になっている。「神の右の座」とは、特定の「場所」ということではなく、「神の子としての権威」を示す表現である。主イエスをそのような方として理解することは、初代教会において重要なことであった。マルコは自身の福音書を「神の子イエス・キリストの福音の初め」(1:1)と書き出している。そして主イエスが十字架上で死なれた時、百人隊長の口を通して「本当に、この人は神の子であった」(15:39)と語らせた。マルコは、「ナザレのイエスはまことに神の子であった」ということを知らせる目的で福音書を記したのである。そしてこの19節もまた、そのようなマルコの意図を十分に理解した人物によって記され、やはり「主イエスはまことに神の子である」ことを共に訴えている。主イエスの「昇天」に関して記している福音書はルカのみである(24:50-51)。そして「主イエスが神の右の座に着かれる」というニュアンスの表現は、福音書においては2ヶ所でしか用いられていない(マルコ16:19、ルカ22:69)。しかし、「ステファノの殉教」(使徒7:56)をはじめ、その他の部分では多く用いられている(ローマ8:34、エフェソ1:20、コロサイ3:1、ヘブライ1:3、8:1、10:12、Ⅰペトロ3:22)。初代教会のキリスト者たちは、かなり早い時期から「主イエスが神の子として神の右の座から父なる神に執り成してくださっている」という信仰を頂き、「今」という時を歩いていくことができたのである。
20節は、「使徒言行録」に記されている、弟子たちによる福音宣教活動の要約、働きの実際と報告であると言うことができる。その「使徒言行録」が90年代に執筆されたものであることもまた、マルコにおける「結び」の部分が後代の加筆によるものであることの裏付けにもなっている(「マルコによる福音書」そのものの成立は70年代中頃という説が有力)。
なぜ、「マルコによる福音書」にはこれらの記事が加筆されていったのであろうか。マルコの信仰共同体は、70年頃にシリアのアンティオキアに設立されたと言われている。彼らは、復活の主イエスによって力づけられ、その宣教命令に忠実に従った弟子たちの宣教により、生き生きとした信仰に生きていた。それゆえ、彼らはマルコが記さなかった事柄を、他の福音書の記事を再解釈し付け加えることができたのである。主イエスの十字架と復活によって明らかになったすべての人のための救いを、すべての人に伝えなければならないという彼らの情熱が、これらの記事を付け加えさせたと推測することが可能である。
今日の我々もまた、当時の信仰共同体と全く同じである。主イエスはすでにこの世におられない。しかし信仰共同体は、今も生きて働いておられる主イエスに生き生きと力づけられ、そのメッセージを世界に宣べ伝えなければならない。キリスト教会とは、そのような団体である。我々もまた御言葉を頂くときに、マルコの信仰共同体と同じような情熱を頂き、メッセージを伝えに出て行く。その時確かに、「主は彼らと共に働き、彼らの語る言葉が真実であることを、それに伴うしるしによってはっきりとお示しになった」(20節)という言葉が真実であることを経験するであろう。我々もまた、そのように告白できるような教会でありたい。