・・・彼らは“霊”に動かされ、エルサレムへ行かないようにとパウロに繰り返して言った。(21:4後半)
この言葉は、「そして今、わたしは“霊”に促されてエルサレムに行きます」(20:22)という言葉に矛盾するように見える。しかし、ここで彼らが“霊”によって示されたことは、あくまでも「エルサレムではパウロにとっての困難が待ち受けている」ということであり、「行かないほうが良い」とは彼ら自身の判断である。
[翌日そこをたってカイサリアに赴き、例の七人の一人である福音宣教者フィリポの家に行き、そこに泊まった。(21:8)
「例の七人」とは、6:1−7の場面で教会の働きのために選ばれたあの七人のことである。彼らは単に教会の世話をするだけではなく、福音を宣教した。彼らはヘレニスタイ(ギリシャ語を話すユダヤ人)であった。エルサレム教会の迫害が起こった際、主に標的となったのはヘレニスタイであった。ちなみにこのフィリポは8章に登場するフィリポである。
わたしたちはこれを聞き、土地の人と一緒になって、エルサレムへは上らないようにと、パウロにしきりに頼んだ。(21:12)
「わたしたち」とは、使徒言行録の著者といわれるルカをはじめ、パウロと共に第三次伝道旅行に赴いた仲間のことである。20:4に同行者のリストがあるが、彼らはずいぶんと大勢で旅行をしていたようである。
そのとき、パウロは答えた。「泣いたり、わたしの心をくじいたり、いったいこれはどういうことですか。主イエスの名のためならば、エルサレムで縛られることばかりか死ぬことさえも、わたしは覚悟しているのです。(21:13)
パウロは、なぜエルサレムで迫害を受けなければならなかったのであろうか。その理由は、ユダヤ教徒あるいはユダヤ主義的キリスト者とパウロの間にある対立であった。ユダヤ人たちは律法を守ることにより自分たちだけが神に選ばれている民族なのだという自覚を強く持っていた。外国人が同じ神を信仰するとしても、彼らは神殿の「異邦人の庭」までしか入れない存在であった。もしも外国人が本当に改修するのなら、ユダヤ人になれば救われるというのである。パウロはそのような理解と伝統を引き継いだユダヤ教的キリスト教に対して「否」を突きつけた。ユダヤ主義的キリスト教徒たちにとって、それは許しがたいことであった。
このような理由で、パウロはたびたび暗殺の危機にさらされた。パウロは、その都度逃げ回った。彼は殉教を美化したわけではなかったのである。しかし、この場面ではなぜ敢えて命の危険が待つエルサレムに向かおうとするのであろうか。エルサレム教会への献金を届けたいというだけであれば、他の人に託せば良かったのではないか。
パウロは、ある使命感を持っていた。エルサレム教会に直接赴き、エルサレム教会を本拠地とするユダヤ主義的キリスト者たちと再び「福音と律法」の問題について話し合い、共通理解を持ちたい、エルサレム教会と異邦人教会が良い交わりに導かれるよう、その橋渡しをするのが自分の使命である、とパウロは強く感じていた。エルサレム教会に届けようとした献金は、その交わり・関係の大切なしるしだったのである。