西川口キリスト教会 斎藤 信一郎 牧師
今月の主題…「主なる神が用いられる器」
◆前回までのあらすじ
サムソンは隣国のペリシテ人の女性が好きになり、結婚する運びとなります。結婚式の際にサムソンが景品付きクイズを出したことがきっかけで、ペリシテ人たちはサムソンの結婚相手を脅迫し、答えを強引に聞き出します。怒ったサムソンはペリシテ人たちに報復することになります。ここからサムソンとペリシテ人たちとの凄惨な報復合戦が始まります。神の特別な力をその都度注がれたサムソンは、彼一人を退治するために攻めてきたペリシテ軍にさえ大勝利を治めることになります。
◆今回の箇所を理解するための16章前半のあらすじ
やがてデリラという女性を愛するようになるサムソン。ペリシテ人たちは彼女を通してサムソンの弱点を探り出そうとします。そんなデリラにサムソンは再三にわたって偽りの情報を流し続けますが、ついにデリラの泣き落としに負けて彼の力の秘密を打ち明けます。その秘密は彼の一度も切ったことがない髪の毛にあると…。
<原則として、ご自分で聖書本文を読み、黙想してから以下の文章、聖書教育誌、その他の参考文献を読むことをお奨めします。また、黙想の際に聖書地図で確認し、違う聖書訳を比較して読むこともお奨めします。>
※『聖書教育』誌は日本バプテスト連盟発行の教会学校教案誌です。詳細は下記のURLでご照会下さい。 http://www.bapren.com/index.html (『聖書教育』ホームページ)
◆黙想のポイント
今回の箇所で注目したい表現が20節にあります。「主の力が彼から離れた」ではなく、「主が彼を離れられた」とあります。この表現が示すサムソンの過ち、彼の人生を決定的に主なる神の使命から遠ざけたことについて黙想しましょう。また、合わせてナジル人の掟について書かれている民数記6章1-21節を参照しましょう。
◆16:18 デリラは、彼が心の中を一切打ち明けたことを見て取り、ペリシテ人の領主たちに使いをやり、「上って来てください。今度こそ、彼は心の中を一切打ち明けました」と言わせた。ペリシテ人の領主たちは銀を携えて彼女のところに来た。16:19 彼女は膝を枕にサムソンを眠らせ、人を呼んで、彼の髪の毛七房をそらせた。彼女はこうして彼を抑え始め、彼の力は抜けた。16:20 彼女が、「サムソン、ペリシテ人があなたに」と言うと、サムソンは眠りから覚め、「いつものように出て行って暴れて来る」と言ったが、主が彼を離れられたことには気づいていなかった。
>>>民数記6章1-21節によれば、ナジル人として神に聖別されている間は、献身のしるしとして髪の毛を切ることはできませんでした。そして、サムソンの場合は生涯切ってはならないはずでした。それを剃ってしまうことは、ナジル人として生きる使命を放棄することを意味していました。神にナジル人として聖別されていることが、彼の力の源だと理解していたサムソン。神の使命を死守するよりも、愛する女性の要求を優先してしまった時から、彼は生涯の使命を放棄しなければならなくなってしまいます。
16:21 ペリシテ人は彼を捕らえ、目をえぐり出してガザに連れて下り、青銅の足枷をはめ、牢屋で粉をひかせた。 16:22 しかし、彼の髪の毛はそられた後、また伸び始めていた。16:23 ペリシテ人の領主たちは集まって、彼らの神ダゴンに盛大ないけにえをささげ、喜び祝って言った。「我々の神は敵サムソンを/我々の手に渡してくださった。」16:24 その民もまたサムソンを見て、彼らの神をたたえて言った。「わが国を荒らし、数多くの同胞を殺した敵を/我々の神は、我々の手に渡してくださった。」。16:25 彼らは上機嫌になり、「サムソンを呼べ。見せ物にして楽しもう」と言い出した。こうしてサムソンは牢屋から呼び出され、笑いものにされた。柱の間に立たされたとき、16:26 サムソンは彼の手をつかんでいた若者に、「わたしを引いて、この建物を支えている柱に触らせてくれ。寄りかかりたい」と頼んだ。16:27 建物の中は男女でいっぱいであり、ペリシテの領主たちも皆、これに加わっていた。屋上にも三千人もの男女がいて、見せ物にされたサムソンを見ていた。16:28 サムソンは主に祈って言った。「わたしの神なる主よ。わたしを思い起こしてください。神よ、今一度だけわたしに力を与え、ペリシテ人に対してわたしの二つの目の復讐を一気にさせてください。」16:29 それからサムソンは、建物を支えている真ん中の二本を探りあて、一方に右手を、他方に左手をつけて柱にもたれかかった。16:30 そこでサムソンは、「わたしの命はペリシテ人と共に絶えればよい」と言って、力を込めて押した。建物は領主たちだけでなく、そこにいたすべての民の上に崩れ落ちた。彼がその死をもって殺した者は、生きている間に殺した者より多かった。16:31 彼の兄弟たち、家族の者たちが皆、下って来て、彼を引き取り、ツォルアとエシュタオルの間にある父マノアの墓に運び、そこに葬った。彼は二十年間、士師としてイスラエルを裁いた。
>>>22節に「髪の毛がそられた後、また伸び始めていた。」と書いてあるのは、民数記6章に、ナジル人の掟を守れなかった時、髪の毛を剃ることと犠牲を献げることによって、ナジル人としての請願を再開できることが書かれている箇所を連想させます。しかし、仮にサムソンが再び神から力を得ることができたのだとしても、神殿でサムソンが大勢のペリシテ人たちを巻き添えにしながら、壮絶な死を遂げていく復讐劇として捉えてはならない場面です。復讐は、聖書ではどんな理由であれ、神が嫌われることです。それではなぜこのような大惨事が起きたのでしょうか。問題は、ペリシテ人たちが集っていたのが神殿だったことです。ダゴンを祀る神殿は、屋上にも三千人収容できる立派な礼拝施設だったようです。そこで、偶像礼拝をしながら酒に酔い、目をえぐり出された上に、重労働で虐待されていたサムソンを見せものにして、全員で楽しんだことが語られています。本来、罪の赦しと愛で満たされるべき礼拝所で、神が最も忌み嫌われることが繰り広げられていたことに対する神の裁きだったと考えられます。
この物語は、主イエスの十字架のあがないの場面に通じています。エルサレムという、神が特別に聖別しておられた神殿がある場所において、神の子を有罪にし、虐待し、笑い者にした話に。その時に地震が起きて、神殿にも被害が出ています。礼拝する場所が、主イエスが教えられたように人の過ちを7の70十倍するまで赦すよりも、裁きや復讐に傾いていくことの問題性をサムソン物語は教えています。現代のキリスト教会の内実を問い直される話ではないでしょうか。様々な欠点や誤りがある者たちをあえて用いて、愛と赦しに生きる道を示し続けて下さっている救い主がおられることを、信仰の目で受け止めて参りましょう。
◆話し合いのポイント
- 聖書教育誌の「話し合いのポイント」および少年少女科の「活動」などを参考にして下さい。
- 青年成人科の「話し合いのポイント」や少年少女科の「おはなし」少年少女科のコラムも考えさせられます。