西川口キリスト教会 斎藤 信一郎 牧師
総合テーマ 「 苦難に正しく向き合うための信仰 」
◆今回の学びを始めるにあたって
今月はヨブ記を通して苦難の僕とも呼ばれる主人公のヨブと仲間たち、そして神との対話から「苦難に正しく向き合うための信仰」について御言葉に聞いて行きます。苦難に遭いたくなくても避けられないことがしばしばあります。降りかかった苦難に耐えられなくなることもあります。そんな私たちの現実に、ヨブ記が豊かな示唆を与えてくれます。ご一緒に御言葉に聞いて参りましょう。
黙想のポイント
・自分がヨブだったら、どうだろうかと誰もが考えさせられます。それと同時にヨブにここまでの忍耐と冷静さ、そして神への無垢な信仰を持ち続けさせているのは何かと問いたくなります。まずは、主人公のヨブが1章と2章で受けている苦難、苦痛の性質や種類を黙想してみましょう。ハリケーンには1~5までの段階別に分けられた災害をもたらす危険度の指標がありますが、ヨブが受けている苦難は私たちの人生ではどのカテゴリー(苦難度)に相当するでしょうか。また、何重の苦しみを受けていると言えるでしょうか。
・黙想した後で、聖書教育誌をお持ちの方は14ページの「ヨブ記を読む視点」も是非ご参照下さい。
※『聖書教育誌』は日本バプテスト連盟発行の教案誌です。ご購入のお問い合わせはこちらまでどうぞ↓
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◆ヨブ記第2章
2:1 またある日、主の前に神の使いたちが集まり、サタンも来て、主の前に進み出た。
2:2 主はサタンに言われた。「お前はどこから来た。」「地上を巡回しておりました。ほうぼうを歩きまわっていました」とサタンは答えた。
2:3 主はサタンに言われた。「お前はわたしの僕ヨブに気づいたか。地上に彼ほどの者はいまい。無垢な正しい人で、神を畏れ、悪を避けて生きている。お前は理由もなく、わたしを唆して彼を破滅させようとしたが、彼はどこまでも無垢だ。」
>>>これは神とサタンとの二度目の会話の場面です。1~3節は1章6~8節と同じ会話を繰り返しています。新共同訳で「無垢」と訳されている言葉は、口語訳聖書では「全く」、新改訳では「潔白」と訳される、日本語に訳すのが難しい言葉です。いずれにしても、ここで繰り返させるヨブの人格こそ、神が私たちに求めておられる理想の人格として語られていることを心に留めておきたいと思います。そのため、ここで語られる人格を良く吟味することは大切です。
2:4 サタンは答えた。「皮には皮を、と申します。まして命のためには全財産を差し出すものです。
2:5 手を伸ばして彼の骨と肉に触れてごらんなさい。面と向かってあなたを呪うにちがいありません。」
2:6 主はサタンに言われた。「それでは、彼をお前のいいようにするがよい。ただし、命だけは奪うな。」
>>>ヨブ記が書かれた時代は、財産の中に子どもたちや使用人たちも含まれていたようです。従って、1章では全家畜だけでなく、10人の子どもたちや大勢の使用人たちの命もサタンの災いによって奪われてしまいました。
その災いにさらにサタンは容赦なく次の攻撃の手を伸ばそうと目論みます。読者の一人として、なぜ神はサタンにこんなむごいことを許されるのか、理解に苦しむ場面です。しかし、サタンは神が提案を禁止したとしても結局は自分の考えを実行に移したことでしょう。
2:7 サタンは主の前から出て行った。サタンはヨブに手を下し、頭のてっぺんから足の裏までひどい皮膚病にかからせた。
2:8 ヨブは灰の中に座り、素焼きのかけらで体中をかきむしった。
2:9 彼の妻は、/「どこまでも無垢でいるのですか。神を呪って、死ぬ方がましでしょう」と言ったが、
2:10 ヨブは答えた。「お前まで愚かなことを言うのか。わたしたちは、神から幸福をいただいたのだから、不幸もいただこうではないか。」このようになっても、彼は唇をもって罪を犯すことをしなかった。
>>>1章の災いで極限の精神的苦痛を受けたヨブに、なおも壮絶な肉体的な苦痛が加えられます。ヨブと同様に1章の出来事で苦しんでいたヨブの妻は、夫のさらなる肉体的な苦痛を目の当たりにします。多くの人が経験することですが、愛する家族が病気や試練で苦しむことをそばで見るのは、時には自分が病気や試練で苦しむよりも辛く感じるものです。ヨブの妻はあまりに壮絶な出来事の連続に、心が折れてしまったのでしょう。やり場のない彼女の苦痛を9節のように夫に向けてしまいますが、彼女を非難する気になれないのは私だけでしょうか。ヨブの妻は神を呪ったわけではありません。彼女は神を呪いたくなる誘惑と戦いながら、ヨブに行き場のない苦悩をぶつけているに過ぎません。ヨブもそれを理解してか、妻が罪を犯したとは言いません。「お前まで愚かなことを言うのか」という言葉には、妻を労わる言葉にさえ聞こえます。
2:11 さて、ヨブと親しいテマン人エリファズ、シュア人ビルダド、ナアマ人ツォファルの三人は、ヨブにふりかかった災難の一部始終を聞くと、見舞い慰めようと相談して、それぞれの国からやって来た。
2:12 遠くからヨブを見ると、それと見分けられないほどの姿になっていたので、嘆きの声をあげ、衣を裂き、天に向かって塵を振りまき、頭にかぶった。
2:13 彼らは七日七晩、ヨブと共に地面に座っていたが、その激しい苦痛を見ると、話しかけることもできなかった。
>>>1章から今回の箇所にかけて、少なくとも4つの極限の人間の苦しみが描かれているのではないでしょうか。
1.子どもの死、僕たちの死、家畜たちの死…それまで生活を共にして来た者たちの突然の悲劇的な死に対する苦
2.自分の身に起きた耐え難き身体的苦痛
3.夫婦が互いに相手の壮絶な苦しみを見ることに対する苦しみ
4.親しい者に起きた極限の苦しみになすすべもなく、見守ることしかできない苦
これらの自分ではどうすることもできない多次元の極限の苦しみを、ヨブ記は最初に描いて見せます。そして、読者に自分ならどうするかを問いかけているのではないでしょうか。これに対する神の御心は次回以降で理解を深めて参ります。
分かち合いのポイント
・大抵の人はヨブほどの極限状態を生涯経験することなく死ぬかも知れません。けれども、これは他人事では済まされないこととして聖書は語っているのです。私たちだったらどうするでしょうか。互いに分かち合いましょう。