4/17日 ヨハネの黙示録 5章1-14節「 巻物の封印を開く者はだれか 」
総合テーマ 神様のこれからのご計画
…すぐにも起こるはずのこと…そしてすでに始まっていること…
黙想のポイント
・4章に続き、天国における礼拝の素晴らしさに加え、礼拝とはどうあるべきかという黙示録が指し示す真の礼拝の条件について見ていきましょう。
★そのために、今回もかなり思い切った自由な解釈をして行きたいと思います。これまで牧師から聞いたり、注解書で読んだことがなくてもご安心下さい。聖書全体の信仰とテーマからそれないように心がけながら、ここに示されている豊かな真理を紐解いてみたいと思います。聖霊が正しく導いて下さることを祈ります。
◆小羊こそ巻物を開くにふさわしい
5:1 またわたしは、玉座に座っておられる方の右の手に巻物があるのを見た。表にも裏にも字が書いてあり、七つの封印で封じられていた。
>>>通常、片面にしか書かれない巻物ですが、この特別な巻物には表と裏に文字が書かれていました。表面上の言葉だけでなく、裏の意味(その背後にある神の御心、ご計画、真理のことでしょうか?)を読み解くことが求められる巻物と受け止めることもできます。
5:2 また、一人の力強い天使が、「封印を解いて、この巻物を開くのにふさわしい者はだれか」と大声で告げるのを見た。
>>>この巻物は普通には開かず、役に立たないことが語られます。その鍵を握るのはそれを説き明かすことができる特別な存在の登場を待つことになります。
5:3 しかし、天にも地にも地の下にも、この巻物を開くことのできる者、見ることのできる者は、だれもいなかった。
>>>しかしながら、神が創造された世界にはどこを見渡してもその巻物を正しく取り扱い、その中に書かれていることを明るみに出せる存在はいないことが語られます。
5:4 この巻物を開くにも、見るにも、ふさわしい者がだれも見当たらなかったので、わたしは激しく泣いていた。
>>>ヨハネはその現実にたまらなく切なくなったのでしょうか。多大な人類の損失に激しく涙します。しかし、実は神が創造されたこの世界と霊の天の世界には、その巻物を紐解くことができる者はいませんでしたが、神の御元にはおられたのです。
5:5 すると、長老の一人がわたしに言った。「泣くな。見よ。ユダ族から出た獅子、ダビデのひこばえが勝利を得たので、七つの封印を開いて、その巻物を開くことができる。」
>>>ひこばえとは…もはや死んでしまったと思われるような切り株から命を継承していく新たな芽が伸びて来て、そこから若い枝が育ってくることがあります。それをひこばえと呼ぶのだそうです。これらのことが指し示しているのは、復活されたイエス・キリストと、キリストに遣わされ、私たちにキリストを理解させ、証しする聖霊の存在に他なりません。
5:6 わたしはまた、玉座と四つの生き物の間、長老たちの間に、屠られたような小羊が立っているのを見た。小羊には七つの角と七つの目があった。この七つの目は、全地に遣わされている神の七つの霊である。
>>>罪のあがないの死を遂げ、三日目に復活されたキリストを象徴する「屠られたような小羊」が登場します。また、大胆な解釈としては、屠られる時は火が用いられます。聖霊の火で屠られた神の小羊イエス・キリストと理解するのも面白いのではないでしょうか。
5:7 小羊は進み出て、玉座に座っておられる方の右の手から、巻物を受け取った。
>>>以前に玉座に座っておられるのはキリストだと解釈しました。それにも関わらず、小羊もイエス・キリストと理解するのは矛盾があると思われるかも知れません。しかし、世界の創造時から存在しておられたキリストがおられる一方で、人となり、全人類の罪をあがなわれた神の小羊としてのキリスト、あるいは、それを私たちに認識できるように働かれる聖霊だと解釈するのが一番自然のように思います。なぜなら、先ほど巻物を開くことができる存在は天にも地にも地下にもいないことが語られていました。それではこの小羊はどこにおられたのでしょうか。…答えは天と地を越えた神の領域におられたキリストと聖霊だと理解すると腑に落ちるのです。言うまでもなく、父子聖霊は三位一体の唯一の神です。
5:8 巻物を受け取ったとき、四つの生き物と二十四人の長老は、おのおの、竪琴と、香のいっぱい入った金の鉢とを手に持って、小羊の前にひれ伏した。この香は聖なる者たちの祈りである。
>>>礼拝の対象である三位一体の神が揃ったところで、世界のすべての領域のすべての時間帯の礼拝を司るとの解釈を前回行った24人の長老は、竪琴という賛美を導く楽器と祈りを象徴する香が一杯に満たされた金の鉢を手にして小羊にひれ伏し、礼拝します。天においても三位一体の神が礼拝の対象になっていることが分かります。
5:9 そして、彼らは新しい歌をうたった。「あなたは、巻物を受け取り、/その封印を開くのにふさわしい方です。あなたは、屠られて、/あらゆる種族と言葉の違う民、/あらゆる民族と国民の中から、/御自分の血で、神のために人々を贖われ、
>>>新しい歌という意味として考えられるのは、キリストが復活し、聖霊が降臨するまでは、罪のあがないによって私たちを罪とその呪いから解放して下さった神の小羊イエス・キリストという理解は旧約聖書にはありませんでした。しかし、今や私たちは新約聖書の時代を生きています。キリストの十字架のあがないを歌詞にした賛美は今日まで受け継がれています。
5:10 彼らをわたしたちの神に仕える王、/また、祭司となさったからです。彼らは地上を統治します。」
>>>彼らとはクリスチャンを指しています。クリスチャンにはどんな使命が与えられているのでしょうか。ここでは地上を統治する王と祭司として表現されています。それはどんな役割を指すのでしょうか。王とは自分の責任範囲にいる者たちの生活全般とその安全に責任を持つ存在です。祭司は礼拝と礼拝者の教育の責任を持つ存在です。神は私たちが協力してその責任を果たすように望まれているということでしょう。その責任領域は様々です。ある人にとっては家庭を意味し、ある人にとっては教会、またある人にとっては社会的な役割を意味します。また、これらを重複して責任を神から託されていると理解することもできます。そして、これらは個人に任されていると言うよりも、教会に託されていると解釈することができます。
5:11 また、わたしは見た。そして、玉座と生き物と長老たちとの周りに、多くの天使の声を聞いた。その数は万の数万倍、千の数千倍であった。
>>>ここで天使も登場します。その数は数万倍、数千倍ということですので、少なくとも万の3万倍=3億、千の3千倍で300万ということになるのでしょうか。いずれにしてもこの世では考えられない無数の天使が参加する天の礼拝の桁違いの規模の大きさが伺えます。
5:12 天使たちは大声でこう言った。「屠られた小羊は、/力、富、知恵、威力、/誉れ、栄光、そして賛美を/受けるにふさわしい方です。」
>>>これほどの規模の天使たちによる一斉に大声で唱える神への賛美は想像を超えたものがあります。
5:13 また、わたしは、天と地と地の下と海にいるすべての被造物、そして、そこにいるあらゆるものがこう言うのを聞いた。「玉座に座っておられる方と小羊とに、/賛美、誉れ、栄光、そして権力が、/世々限りなくありますように。」
>>>今日の礼拝式で、祝祷と呼ばれる部分の言葉を天の礼拝に出席するすべての存在が唱和します。しかもそれだけでなく、地と地の下と海にいる全被造物が口をそろえてこのように唱和すると言うのはどういう意味でしょうか。地上にいる私たちの礼拝も、天における礼拝につながっているということでしょうか。
5:14 四つの生き物は「アーメン」と言い、長老たちはひれ伏して礼拝した。
>>>礼拝の最後はアーメンの言葉で閉じられ、長老たちがひれ伏して礼拝が捧げられます。私たちの礼拝でも祝祷の後に後奏を聞きながら黙祷を捧げるように、最後まで心のこもった天における礼拝が行われる情景が示されています。日々のデボーションと祈り、そして主日礼拝を大切にしながら、天における礼拝にやがて参加するその日を待ち望みたいと思います。