エレミヤ書42章18~43章7節「聞く(聞いて従う)と言ったのに」
総合テーマ 本当に大切な信仰とは?・・・聞いて従う信仰
黙想のポイント
その1 聞いて従うと約束しながら、聞いても言い訳をして従わなかった民が描かれています。なぜ彼らは約束を覆したのでしょうか。私たちにも同じようなところはないでしょうか。反面教師の一例として黙想しましょう。
その2 今回でエレミヤ書の学びの最後となりました。それぞれにエレミヤ書の学びを通して受けた恵み、特に学んだことを分かち合いましょう。
◆エジプト行きに対する警告
>>>今回の箇所を正しく理解するためには1節から内容を抑えていくことが大変重要となります。それはエレミヤの方から神の御言葉を伝えたのではなく、彼らの方からエレミヤに神の御心と指示を求め、彼らがその内容如何を問わず、その指示に従いますと事前にエレミヤにお願いしているからです。その箇所をご一緒に確認しましょう。
42:1 カレアの子ヨハナンとホシャヤの子エザンヤをはじめ、すべての軍の長と民の全員が、身分の上下を問わず、訪ねて来て、
42:2 預言者エレミヤに言った。「どうか、我々の願いを受け入れてください。我々のため、またこの残った人々のために、あなたの神である主に祈ってください。御覧のとおり、大勢の中からわずかに、我々だけが残ったのです。
42:3 あなたの神である主に求めて、我々に歩むべき道、なすべきことを示していただきたいのです。」
42:4 預言者エレミヤは答えた。「承知しました。おっしゃるとおり、あなたたちの神である主に祈りましょう。主があなたたちに答えられるなら、そのすべての言葉をお伝えします。」
42:5 すると、人々はエレミヤに言った。「主が我々に対して真実の証人となられますように。わたしたちは、必ずあなたの神である主が、あなたを我々に遣わして告げられる言葉のとおり、すべて実行することを誓います。
42:6 良くても悪くても、我々はあなたを遣わして語られる我々の神である主の御声に聞き従います。我々の神である主の御声に聞き従うことこそ最善なのですから。」
>>>これほどの自覚を持っていながら、この後で明らかとなるように、どうして結果的に彼らはエレミヤの語った言葉を神の言葉として受け止めず、真逆の行動を選択していくことになるのでしょうか。どうして?と問う一方で、この人間の姿こそ、私たちにもあてはまる現実なのではないでしょうか。
42:7 十日たって、主の言葉がエレミヤに臨んだ。
42:8 そこで、エレミヤはカレアの子ヨハナンと、彼と共にいたすべての軍の長たちをはじめ、身分の上下を問わず、民の全員を召集し、
42:9 次のように語った。
>>>即答を避け、必要な時間をかけて常に祈って神の御心を確認するのが今回のエレミヤ書の学びで見受けられた預言者エレミヤの姿でした。この模範に学びましょう。
…途中省略して今回の箇所へ…
42:18 まことに、イスラエルの神、万軍の主はこう言われる。あなたたちがエジプトへ行けば、わたしの怒りと憤りがエルサレムの住民にふりかかったように、あなたたちにふりかかる。あなたたちは、呪い、恐怖、ののしり、恥辱の的となり、二度とこの場所を見ることはできない。
42:19 ユダの残った人々よ、主はあなたたちに対して、『エジプトへ行ってはならない』と語られた。今日、わたしがこの警告を伝えたことを、しっかり心に留めなさい。
42:20 あなたたちは、致命的な誤りを犯そうとしている。『我々のために我々の神である主に祈ってください。我々の神である主が語られることを知らせてくださるなら、すべてそのとおりにします』と言って、わたしをあなたたちの神である主のもとに遣わしたのは、あなたたち自身である。
42:21 そこで、わたしが今日それを告げたのに、自分の神である主の声を聞こうとせず、主がわたしを遣わして語られたことを全く聞こうとしない。
42:22 だから今、行って寄留しようとしているその場所で、あなたたちは剣、飢饉、疫病によって死ぬことを、しっかりと知らねばならない。」
◆エジプトへの逃亡
43:1 彼らの神である主がエレミヤを遣わして伝えさせたすべての言葉を、彼が民の全員に語り終えたとき、
43:2 ホシャヤの子アザルヤ、カレアの子ヨハナンおよび高慢な人々はエレミヤに向かって言った。「あなたの言っていることは偽りだ。我々の神である主はあなたを遣わしていない。主は、『エジプトへ行って寄留してはならない』と言ってはおられない。
43:3 ネリヤの子バルクがあなたを唆して、我々に対立させ、我々をカルデア人に渡して殺すか、あるいは捕囚としてバビロンへ行かせようとしているのだ。」
43:4 こうして、カレアの子ヨハナンと軍の長たちすべて、および民の全員は、ユダの地にとどまれ、という主の声に聞き従わなかった。
43:5 カレアの子ヨハナンと軍の長たちはすべて、避難先の国々からユダの国に引き揚げて来たユダの残留民をすべて集めた。
43:6 そこには、親衛隊長ネブザルアダンが、シャファンの孫でアヒカムの子であるゲダルヤに託した男、女、子供、王の娘たちをはじめすべての人々、および預言者エレミヤ、ネリヤの子バルクがいた。
43:7 そして彼らは主の声に聞き従わず、エジプトの地へ赴き、タフパンヘスにたどりついた。
>>>彼らは結局エジプトへ行くことにした。しかも、彼らは預言者エレミヤとバルクをも道ずれにしました。ここで今回のエレミヤ書の聖書教育の学びは終了します。中途半端にも思えますが、この余韻が私たちに考えさせるのかも知れません。エレミヤ書全体を通して私たちに訴えられていたテーマもここにあるように思います。時代がどうであれ、大勢の人がどう考えようと、私たちは神の教えと導きに聞き従い続けることができるでしょうか。共にそのように生きることができるように励まし合い、祈り合って参りましょう。
*預言者であるエレミヤは、どんなに自分を不利な立場に置くような言いにくい神の言葉(今で言う聖書の言葉)でも勇気を出して自分の民に伝える使命、そしてどんなに不本意でつらいこと(聖書の教え)でも神の御心だと示されたことは聞くだけでなく、実行に移す責任を与えられていました。
その神様の指示に従順に従うことが結果的には一番安全で、長く続く幸福への近道であり、逆に自分勝手に判断して神の教えに反して生きる時に自滅していく人々の姿が描き続けられているのがエレミヤ書ではなかったでしょうか。最後に次の新約聖書の聖句と共に今回のエレミヤ書の学びを閉じたいと思います。
マタイ福音書
7:24 「そこで、わたしのこれらの言葉を聞いて行う者は皆、岩の上に自分の家を建てた賢い人に似ている。
ルカ福音書
8:21 するとイエスは、「わたしの母、わたしの兄弟とは、神の言葉を聞いて行う人たちのことである」とお答えになった。
ヤコブ書
1:21 だから、あらゆる汚れやあふれるほどの悪を素直に捨て去り、心に植え付けられた御言葉を受け入れなさい。この御言葉は、あなたがたの魂を救うことができます。
1:22 御言葉を行う人になりなさい。自分を欺いて、聞くだけで終わる者になってはいけません。