エレミヤ書32章6~15節「回復の証書」
総合テーマ 本当に大切な信仰とは?
黙想のポイント
その1 今回の聖書教育の箇所は6~15節ですが、32章全体を視野に入れて御言葉に聞いて行きましょう。
その2 目の前の現実に即した生き方をするのは常識的に考えて当たり前のことかも知れません。しかし、クリスチャンは同時に天に国籍を持つ者として、時にはこの世的には損な生き方であったり、非常識と思える生き方を選択すべき時があることが示されます。私たちの日常ではどんなことがあるでしょうか。
◆エレミヤの拘留
32:1 主からエレミヤに臨んだ言葉。ユダの王ゼデキヤの第十年、ネブカドレツァルの第十八年のことであった。
32:2 そのとき、バビロンの王の軍隊がエルサレムを包囲していた。預言者エレミヤは、ユダの王の宮殿にある獄舎に拘留されていた。
32:3 ユダの王ゼデキヤが、「なぜ、お前はこんなことを預言するのか」と言って、彼を拘留したのである。エレミヤの預言はこうである。「主はこう言われる。見よ、わたしはこの都をバビロンの王の手に渡す。彼はこの町を占領する。
32:4 ユダの王ゼデキヤはカルデア人の手から逃げることはできない。彼は必ずバビロンの王の手に渡され、王の前に引き出されて直接尋問される。
32:5 ゼデキヤはバビロンへ連行され、わたしが彼を顧みるときまで、そこにとどめ置かれるであろう、と主は言われる。お前たちはカルデア人と戦っても、決して勝つことはできない。」
>>>今回の箇所の前提としてエレミヤは宮殿の獄舎に拘留されていました。王がバビロンへ連行されると預言したからでした。
◆アナトトの畑を買う
32:6 さて、エレミヤは言った。「主の言葉がわたしに臨んだ。
32:7 見よ、お前の伯父シャルムの子ハナムエルが、お前のところに来て、『アナトトにあるわたしの畑を買い取ってください。あなたが、親族として買い取り、所有する権利があるのです』と言うであろう。」
>>>レビ記25章の律法の規程などにより、それぞれの部族の土地が他の部族や民族の所有になっていかないように同族の者にのみ土地を相続あるいは譲渡できることになっていました。
32:8 主の言葉どおり、いとこのハナムエルが獄舎にいるわたしのところに来て言った。「ベニヤミン族の所領に属する、アナトトの畑を買い取ってください。あなたに親族として相続し所有する権利があるのですから、どうか買い取ってください。」わたしは、これが主の言葉によることを知っていた。
32:9 そこで、わたしはいとこのハナムエルからアナトトにある畑を買い取り、銀十七シェケルを量って支払った。
>>>聖書教育誌にもある通り、今にもバビロンに攻め滅ぼされて全ての財産が没収されそうな時に、土地を購入するなど常識的には愚かなことだと考えられます。しかし、エレミヤの親族ハナムエルはエレミヤを頼って土地を譲渡する話しを持ちかけ、エレミヤは主のご計画の中にあることを予め知っていたのでその土地を買うことにしました。
32:10 わたしは、証書を作成して、封印し、証人を立て、銀を秤で量った。
32:11 そしてわたしは、定められた慣習どおり、封印した購入証書と、封印されていない写しを取って、
32:12 マフセヤの孫であり、ネリヤの子であるバルクにそれを手渡した。いとこのハナムエルと、購入証書に署名した証人たちと、獄舎にいたユダの人々全員がそれを見ていた。
>>>当時の正当な契約の取り交わし方に従って客観的にも証明できるような仕方で契約が取り交わされました。その際にエレミヤの世話をし、書記を務めたバルクにその証書を預けました。
32:13 そして、彼らの見ている前でバルクに命じた。
32:14 「イスラエルの神、万軍の主はこう言われる。これらの証書、すなわち、封印した購入証書と、その写しを取り、素焼きの器に納めて長く保存せよ。
32:15 イスラエルの神、万軍の主が、『この国で家、畑、ぶどう園を再び買い取る時が来る』と言われるからだ。」
>>>常識的には愚かなことのように思える土地の売買と契約の締結でしたが、主なる神のご契約の中ではとても重要な意味を持っていました。この行為はこの先、一時はバビロンの手にイスラエルが落ちるとも、イスラエルは必ず再びこの土地を取り戻すことができる日が来るという神の希望の約束を伝える手段として用いられたのです。
◆エレミヤの祈り
32:16 購入証書をネリヤの子バルクに渡したあとで、わたしは主に祈った。
32:17 「ああ、主なる神よ、あなたは大いなる力を振るい、腕を伸ばして天と地を造られました。あなたの御力の及ばない事は何一つありません。
32:18 あなたは恵みを幾千代に及ぼし、父祖の罪を子孫の身に報いられます。大いなる神、力ある神、その御名は万軍の主。
32:19 その謀は偉大であり、御業は力強い。あなたの目は人の歩みをすべて御覧になり、各人の道、行いの実りに応じて報いられます。
32:20 あなたはエジプトの国で現されたように今日に至るまで、イスラエルをはじめ全人類に対してしるしと奇跡を現し、今日のように御名があがめられるようにされました。
32:21 あなたは、しるしと奇跡をもって強い力を振るい、腕を伸ばして大いなる恐れを与え、あなたの民イスラエルをエジプトの国から導き出されました。
32:22 そして、かつて先祖に誓われたとおり、この土地を彼らに賜りました。乳と蜜の流れるこの土地です。
32:23 ところが、彼らはここに来て、土地を所有すると、あなたの声に聞き従わず、またあなたの律法に従って歩まず、あなたが命じられたことを何一つ行わなかったので、あなたは彼らにこの災いをくだされました。
32:24 今や、この都を攻め落とそうとして、城攻めの土塁が築かれています。間もなくこの都は剣、飢饉、疫病のゆえに、攻め囲んでいるカルデア人の手に落ちようとしています。あなたの御言葉どおりになっていることは、御覧のとおりです。
32:25 それにもかかわらず、主なる神よ、あなたはわたしに、『銀で畑を買い、証人を立てよ』と言われました。この都がカルデア人の手に落ちようとしているこのときにです。」
>>>エレミヤにはうすうす主の御心は理解できていたのではないかと思います。それでも、このタイミングでなぜ土地を手にいれるのか、エレミヤは確信が欲しかったのでしょう。なおも、御心を明確に知ろうと神に尋ね祈りました。そして、神はエレミヤに誠実に応えて下さいました。…
32:26 主の言葉がエレミヤに臨んだ。
32:27 「見よ、わたしは生きとし生けるものの神、主である。わたしの力の及ばないことが、ひとつでもあるだろうか。
32:28 それゆえ、主はこう言われる。わたしはこの都をカルデア人の手に、またバビロンの王ネブカドレツァルの手に渡す。王はこの都を占領する。
32:29 この都を攻撃しているカルデア人が突入し、火を放って焼き払う。屋上でバアルに香をたき、また他の神々に酒を供えて、わたしを怒らせた多くの家を焼き払う。
32:30 その初めから、イスラエルの人々とユダの人々は、わが前に悪のみを行ってきた。実にイスラエルの人々は、その手の業によって甚だしくわたしを怒らせてきた、と主は言われる。
32:31 この都は、建てられた日から今日に至るまで、わたしを怒らせ憤らせてきたので、これをわたしの前から取り除く。
32:32 イスラエルの人々、ユダの人々が犯して、わたしを怒らせたそのすべての悪事のゆえである。王、高官、祭司、預言者、ユダの人々、エルサレムの住民、皆同罪である。
32:33 彼らはわたしに背を向け、顔を向けようとしなかった。わたしは繰り返し教え諭したが、聞こうとせず、戒めを受け入れようとはしなかった。
32:34 彼らは忌むべき偶像を置いて、わたしの名で呼ばれる神殿を汚し、
32:35 ベン・ヒノムの谷に、バアルの聖なる高台を建て、息子、娘たちをモレクにささげた。しかし、わたしはこのようなことを命じたことはないし、ユダの人々が、この忌むべき行いによって、罪に陥るなどとは思ってもみなかった。」
>>>やはり、神は大昔より預言されていた通りのことを実行に移すことをエレミヤに告げられました。また、Ⅲ5節にもある通り、自分たちの息子や娘を生贄として神に捧げるなど、とんでもない最も神を悲しませ、怒らせるような仕方の偶像礼拝を行っているのかも明らかにされています。これ以上、民が神の御心に背き続けることを見て見ぬ振りは出来なくなっていたことが告げられます。
32:36 しかし今や、お前たちがバビロンの王、剣、飢饉、疫病に渡されてしまったと言っている、この都について、イスラエルの神、主はこう言われる。
32:37 「かつてわたしが大いに怒り、憤り、激怒して、追い払った国々から彼らを集め、この場所に帰らせ、安らかに住まわせる。
32:38 彼らはわたしの民となり、わたしは彼らの神となる。
32:39 わたしは彼らに一つの心、一つの道を与えて常にわたしに従わせる。それが、彼ら自身とその子孫にとって幸いとなる。
32:40 わたしは、彼らと永遠の契約を結び、彼らの子孫に恵みを与えてやまない。またわたしに従う心を彼らに与え、わたしから離れることのないようにする。
32:41 わたしは彼らに恵みを与えることを喜びとし、心と思いを込めて確かに彼らをこの土地に植える。
32:42 まことに、主はこう言われる。かつて、この民にこの大きな災いをくだしたが、今や、彼らに約束したとおり、あらゆる恵みを与える。
32:43 この国で、人々はまた畑を買うようになる。それは今、カルデア人の手に渡って人も獣も住まない荒れ地になる、とお前たちが言っているこの国においてである。
32:44 人々は銀を支払い、証書を作成して、封印をし、証人を立てて、ベニヤミン族の所領や、エルサレムの周辺、ユダの町々、山あいの町々、シェフェラの町々、ネゲブの町々で畑を買うようになる。わたしが彼らの繁栄を回復するからである、と主は言われる。」
>>>今やユダヤの民には絶望と将来への不安が支配していました。しかし、そのただ中で神は将来への希望をエレミヤを通して語られました。エレミヤはこれまで同様に象徴的な行為(今回は土地をこの時期に譲り受ける手続きを行うこと)を通して、神が計画されている福音について語ります。しかも、そこで語られた福音は単にイスラエルの民が再び国に帰国し、繁栄を取り戻すということに留まりませんでした。38節からの箇所は注意深く読むと救い主イエス・キリストを指し示す重要な預言の箇所にもなっていることがわかります。また、40節の御言葉はどうでしょうか。神が心から喜んでこのことを行うことが表現されています。
>>>これらの神の預言は、単に過去のバビロン捕囚とそこからの救いの出来事を語ったものではありません。この箇所は今日の私たちの世界にも当てはまるように出来ています。世界は確実に、そして巧妙に悪魔の支配下に置かれ、バビロン帝国のような強力な国と指導者が世界を統一することが福音書にも黙示録にも預言されています。その過程の中に生きる私たちはどのような時にも、将来必ず導くと神が約束して下さっている天国を信じて今を生きることが求められているのではないでしょうか。神の約束を信じる者にふさわしく常に行動し、生きる者でありたいと願わされます。