エレミヤ書28章1~17節「あぁ、ハナンヤ」
総合テーマ 本当に大切な信仰とは?
黙想のポイント
その1 エレミヤが自分とは正反対の預言をするハナンヤに対して取った態度に学びましょう。
その2 神の御心に確信が持てなくなった時、どうすべきかエレミヤに学びましょう。
◆ハナンヤとの対決
28:1 その同じ年、ユダの王ゼデキヤの治世の初め、第四年の五月に、主の神殿において、ギブオン出身の預言者、アズルの子ハナンヤが、祭司とすべての民の前でわたしに言った。
28:2 「イスラエルの神、万軍の主はこう言われる。わたしはバビロンの王の軛を打ち砕く。
28:3 二年のうちに、わたしはバビロンの王ネブカドネツァルがこの場所から奪って行った主の神殿の祭具をすべてこの場所に持ち帰らせる。
28:4 また、バビロンへ連行されたユダの王、ヨヤキムの子エコンヤおよびバビロンへ行ったユダの捕囚の民をすべて、わたしはこの場所へ連れ帰る、と主は言われる。なぜなら、わたしがバビロンの王の軛を打ち砕くからである。」
>>>確かに主なる神はエレミヤに再び神殿の祭具を時期がくればエルサレムに戻るように約束された(27章19~22節参照)。しかし、ハナンヤが預言したような時期については明確にされていませんでした。25章11~12節にはイスラエルがバビロンにおいて捕囚の身となるのは70年であることも預言されています。従って、神が予定を変更されたと考えることは不可能ではありませんでしたが、エレミヤには疑うに十分な理由がありました。
28:5 そこで、預言者エレミヤは主の神殿に立っていた祭司たちとすべての民の前で、預言者ハナンヤに言った。
28:6 預言者エレミヤは言った。「アーメン、どうか主がそのとおりにしてくださるように。どうか主があなたの預言の言葉を実現し、主の神殿の祭具と捕囚の民すべてをバビロンからこの場所に戻してくださるように。
28:7 だが、わたしがあなたと民すべての耳に告げるこの言葉をよく聞け。
28:8 あなたやわたしに先立つ昔の預言者たちは、多くの国、強大な王国に対して、戦争や災害や疫病を預言した。
28:9 平和を預言する者は、その言葉が成就するとき初めて、まことに主が遣わされた預言者であることが分かる。」
>>>エレミヤは真の預言者は預言が成就して初めて真の預言者として認められるという表現に留めてそれ以上言い争うのを止めました。エレミヤはハナンヤの預言が自分に神が下されたこれまでの預言の趣旨と違うので、恐らくハナンヤは間違ったことを預言しているのだろうと考えていましたが、あるいは神が考えを何かの事情で変更されたのかも知れないと考えたのでしょうか?彼はことさらに他の預言者たちと言い争いになることを避けて行きました。
28:10 すると預言者ハナンヤは、預言者エレミヤの首から軛をはずして打ち砕いた。
28:11 そして、ハナンヤは民すべての前で言った。「主はこう言われる。わたしはこのように、二年のうちに、あらゆる国々の首にはめられているバビロンの王ネブカドネツァルの軛を打ち砕く。」そこで、預言者エレミヤは立ち去った。
>>>ハナンヤはエレミヤもしていたように、見える形で象徴的に民が解放されることをエレミヤ本人を用いて預言しました。エレミヤはそれにも従順になすがままになり、その後立ち去りました。
28:12 預言者ハナンヤが、預言者エレミヤの首から軛をはずして打ち砕いた後に、主の言葉がエレミヤに臨んだ。
28:13 「行って、ハナンヤに言え。主はこう言われる。お前は木の軛を打ち砕いたが、その代わりに、鉄の軛を作った。
28:14 イスラエルの神、万軍の主はこう言われる。わたしは、これらの国すべての首に鉄の軛をはめて、バビロンの王ネブカドネツァルに仕えさせる。彼らはその奴隷となる。わたしは野の獣まで彼に与えた。」
>>>この主からの託宣により、先にハナンヤがした預言は偽物だと確信し、かつ新たな預言を主から託されたエレミヤはエコンヤの預言と真っ向から対立する預言をすることになりました。
28:15 更に、預言者エレミヤは、預言者ハナンヤに言った。「ハナンヤよ、よく聞け。主はお前を遣わされていない。お前はこの民を安心させようとしているが、それは偽りだ。
28:16 それゆえ、主はこう言われる。『わたしはお前を地の面から追い払う』と。お前は今年のうちに死ぬ。主に逆らって語ったからだ。」
28:17 預言者ハナンヤは、その年の七月に死んだ。
>>>預言者ハナンヤは本気で残されたイスラエルの民を勇気づけようとしていたのかも知れません。しかし、嘘も方便というのはこのような状況では用いてはなりませんでした。身の回りに起きることに対して簡単にこれは主が与えられた罰だとか、主なる神はすぐに状況を変えて下さるなどといい加減なことを語ってはならないことを教えられます。どのような状況の中であっても、たとえそれが厳しい状況であっても、すべてを支配しておられる主の御手に信頼して与えられているマイナスの状況を忍耐して待つことも必要な時があることを教えられます。
また、時にはエレミヤのように主の御心が正確にはわからなくなることもあります。そのような時は一歩下がって、主の御心が明確になるまで静まって御心が明確にされるのを待つ時も必要だということを教えられます。どのような時にも忍耐しつつ、主なる神に忠実に歩んで参りましょう。