エレミヤ書1章1~10節「エレミヤの召命」
総合テーマ 本当に大切な信仰とは?
黙想のポイント
その1 神様に仕えるのに必要な条件とは何でしょうか?今日の箇所からそれはなんだと教えられるでしょうか。
その2 10節の御言葉から神様から授かる言葉の効力を黙想しましょう。
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1:1 エレミヤの言葉。彼はベニヤミンの地のアナトトの祭司ヒルキヤの子であった。
>>>聖書教育の通り、アナトトはレビ人の町の一つでした。エレミヤはその町の祭司ヒルキヤの子でした。従って、彼が神の預言者として選ばれたのはこの流れからすればそれほど不自然なことではありませんでした。
1:2 主の言葉が彼に臨んだのは、ユダの王、アモンの子ヨシヤの時代、その治世の第十三年のことであり、
>>>ヨシヤ王は紀元前640年~609年まで王を務めた人物でした。その治世第13年ということは、紀元前627年頃のことだということになります。因みにヨシヤ王は聖書教育誌に書かれている通り、8歳で王となりましたので(列王記下22章1節、歴代誌下34章1節)、この時ヨシヤ王は21歳位だったことになります。エレミヤも18~23歳位だったということですので、二人ともまだ若かったと言うことができるでしょう。
1:3 更にユダの王、ヨシヤの子ヨヤキムの時代にも臨み、ユダの王、ヨシヤの子ゼデキヤの治世の第十一年の終わり、すなわち、その年の五月に、エルサレムの住民が捕囚となるまで続いた。
>>>エレミヤはヨシヤの子で次に王となったヨヤキムの時代も、その孫でユダの王となったゼデキヤの時代まで続いたことが語られています。即ち、バビロン捕囚でユダの人々が連れ去られてしまうまで。エルサレムが陥落したのは紀元前587年頃です。
◆エレミヤの召命
1:4 主の言葉がわたしに臨んだ。
1:5 「わたしはあなたを母の胎内に造る前から/あなたを知っていた。母の胎から生まれる前に/わたしはあなたを聖別し/諸国民の預言者として立てた。」
>>>エレミヤは神の大いなるご計画の中で預言者として選ばれたことが語られます。また、単にユダの預言者としてではなく、諸国民(世界と私たちも含む)の預言者として選ばれていることに注目したいと思います。
1:6 わたしは言った。「ああ、わが主なる神よ/わたしは語る言葉を知りません。わたしは若者にすぎませんから。」
>>>当時二十歳前後だった若者です。このように思ったとしても不思議ではありません。
1:7 しかし、主はわたしに言われた。「若者にすぎないと言ってはならない。わたしがあなたを、だれのところへ/遣わそうとも、行って/わたしが命じることをすべて語れ。
>>>主にお仕えする者の重要な信仰基準がここで語られて行きます。まず、年齢は関係ないと言うことです。神に選ばれることこそが、その使命を成し遂げるための最重要条件であることを理解したいと思います。次に神に召された者は、だれのところであっても、つまりどんなに苦手な人や行きたくない人のところへでも行くようにとの教えです。このハードルは決して低くはないでしょう。
1:8 彼らを恐れるな。わたしがあなたと共にいて/必ず救い出す」と主は言われた。
>>>重要なのは神が責任を取って下さるということ。神に信頼して服従することが問われているのです。
1:9 主は手を伸ばして、わたしの口に触れ/主はわたしに言われた。「見よ、わたしはあなたの口に/わたしの言葉を授ける。
>>>次に重要なのは、語る能力と言葉は神が与えて下さるということです。神に口を聖別していただける人は幸いです。
1:10 見よ、今日、あなたに/諸国民、諸王国に対する権威をゆだねる。抜き、壊し、滅ぼし、破壊し/あるいは建て、植えるために。」
>>>神は「今日」と宣言されながら毎日私たちを新しく用いて下さるお方です。最後に注目したいのは、単に新しく植えたり、建てたりするためだけでなく、その前に植えられていたものを抜いたり、建てられていたものを敢えて壊し、滅ぼし、破壊することから始めるようにと語っておられることです。神の宣教は別の言い方をすれば、悔い改めの宣教から始まることに通じるのではないでしょうか。罪深い生き方をして来た者は、その上に正しい生き方を積み上げていくことはできません。一度、徹底的に古い罪深い自分を壊し、滅ぼし、破壊する必要があるのです。その上でキリストに倣って新しく自分を建て上げていく必要があるのです。すべて、これらは私たちの力で勝負する必要がないことが救いです。ただ信頼して主に用いられて参りましょう。エレミヤのように。