ヨハネによる福音書4:16-26
〈旧約時代の歴史〉 イスラエル十二部族連合 → BC1000ダビデによる王国統一 → BC922南ユダと北イスラエルに分裂。「サマリア」は北王国イスラエルの首都。 → BC732北イスラエルはアッシリアの侵略により滅亡。この時、雑婚が起きた(列王記下17:24)のが、純潔志向のユダヤ人がサマリア人を蔑視する一因である(近親憎悪)。
4章1-15節において、サマリアの女は自分に話しかける主イエスがユダヤ人と知って、関わりを持ちまいと、ぞんざいな口をきくが、主は彼女の言葉に怒らず、対応される。
私たちは、今も生きて働かれる聖霊の主イエスが私たちに関わろうとされる愛と忍耐を知る。
4:16 イエスが、「行って、あなたの夫をここに呼んで来なさい」と言われると、4:17 女は答えて、「わたしには夫はいません」と言った。イエスは言われた。「『夫はいません』とは、まさにそのとおりだ。4:18 あなたには五人の夫がいたが、今連れ添っているのは夫ではない。あなたは、ありのままを言ったわけだ。」
当時は、些細なことで男が一方的に離婚ができたため、女性の悲惨な半生を想像できる。
「彼女は意見を明確に表現できる女性。記されていない理由をふしだらな女性と簡単に女性のせいにすることは問題である」(一色義子)。
主イエスの言葉(16節)は、彼女の一番触れられたくない事実であるが、その一番つらい自分のありのままをイエスに告げた時、主イエスは「ありのままを言った」と言って彼女を受けとめられた。人の心を見抜く主イエスは、人々の無理解によって差別され、誤解されている心が痛んでいる女性を、どんなに深く憐れまれたことであろう。
主イエスは、私たちの窮状を私たちよりも良く知っておられ、私たちが求めるもの(井戸の水)よりも良きもの(永遠の命の水)を与えようとされる方である。
4:19 女は言った。「主よ、あなたは預言者だとお見受けします。
女性は主イエスとの対話によって、初めて敬意をもって「主よ」と呼んだ。
4:20 わたしどもの先祖はこの山で礼拝しましたが、あなたがたは、礼拝すべき場所はエルサレムにあると言っています。」
「この山」とはゲリジム山(海抜881メートル)である。サマリア人は山上に神殿を築いたが、BC128、ユダヤの大祭司ヨハネス・ヒルカヌス1世によって破壊された。これも民族憎悪の一因である。
4:21 イエスは言われた。「婦人よ、わたしを信じなさい。あなたがたが、この山でもエルサレムでもない所で、父を礼拝する時が来る。
「時が来る」。「今がその時である」(23節)。今や、主イエスにおいて父なる神がその救いを現わされた今や、神を礼拝する者は礼拝の場所も、民族の対立も問題ではなくなる。
4:22 あなたがたは知らないものを礼拝しているが、わたしたちは知っているものを礼拝している。救いはユダヤ人から来るからだ。
「救いはユダヤ人から来る」。救いはユダヤ人イエスから来る。
4:23 しかし、まことの礼拝をする者たちが、霊と真理をもって父を礼拝する時が来る。今がその時である。なぜなら、父はこのように礼拝する者を求めておられるからだ。
神は、霊と真理をもって礼拝する礼拝者を求めておられる。神は礼拝する神の民を求めて、御子イエス・キリストをこの世に遣わされたのである。
4:24 神は霊である。だから、神を礼拝する者は、霊と真理をもって礼拝しなければならない。」
礼拝の場所ではなく、礼拝の姿勢が問われる。
「神は霊である」。霊である神は、人間のうちに霊を注ぎ、人間を神に応答して生きる者とされた。神は今も生きて働いて、人間の応答を求め、人間に霊的命を与える方である。
「霊をもって礼拝しなければならない」。礼拝者に求められることは、私たちを生まれ変わらせる神の霊の働きを求めて、祈る姿勢である。神の霊は、私たちを神と向き合わせ、神を信じるように促し、私たちが神に仕えて捧げる奉仕を祝福してみ業を現わされる。真の礼拝者とは、神の霊によって生かされる者である。
「真理」。真理はイエスに現われた神の言葉である。 「真理」についての参照聖句
ヨハネ8:31、32 イエスは、御自分を信じたユダヤ人たちに言われた。「わたしの言葉にとどまるならば、あなたたちは本当にわたしの弟子である。あなたたちは真理を知り、真理はあなたたちを自由にする。」
ヨハネ17:17、18 真理によって、彼らを聖なる者としてください。あなたの御言葉は真理です。わたしを世にお遣わしになったように、わたしも彼らを世に遣わしました。
「真理をもって礼拝しなければならない」。礼拝者に求められることは、イエス・キリストにおいて語られる神の言葉を、祈って、聞く姿勢である。真の礼拝者とは、神の言葉によって生かされる者である。
4:25 女が言った。「わたしは、キリストと呼ばれるメシアが来られることは知っています。その方が来られるとき、わたしたちに一切のことを知らせてくださいます。」
サマリア人もやはり、ひとりのメシアを待望していた(申命記18:15 モーセのような預言者)。
4:26 イエスは言われた。「それは、あなたと話をしているこのわたしである。」
イエスの言葉の原文は「私である」(エゴー・エイミの2語)である。主イエスのメシア宣言である。待ち望まれていたメシアが、今すでに来ている。すべての人を救う神の国は今すでに始まっている。主イエスは「わたしを信じなさい」と彼女に信仰を求める。