マルコ11:12-19
15節以降の記事は主イエスの「宮清め」の事件としてよく知られている。主イエスがエルサレムの神殿に入られ、その在りように憤りをもって働かれた場所である。この記事は4福音書すべてに収録されているが、それぞれ多少時期などに関する記載が異なっている。今回はマルコの記述に沿ってこの箇所を学びたい。
エルサレムに入られた「翌日」、主イエスは「空腹を覚えられ」(12節)、実を求めて「いちじくの木」(13節)をご覧になったが、そこに実はなかった。すると主イエスは「今から後いつまでも、お前から実を食べる者がないように」(14節)と言われた。この言葉は、15節以下の記事に関連している。すなわち、神殿に対する「裁き」の言葉だったのである。主イエスがご覧になった神殿礼拝は、まさに見かけ倒しのものであった。あのいちじくの木が葉を盛んに茂らせておりながら実をつけていなかったように、神殿も盛んな様子を見せておりながら主イエスが求められる礼拝の内実は見当たらない。そのような現状に対する「裁き」のしるしとして、マルコはこの「いちじくの木」の記事をこの位置に配置しているのである。
エルサレム神殿を最初に建設したのはソロモン王であった。ソロモンは父王ダビデの遺志を継ぎ、紀元前900年頃にエルサレム神殿を完成させた。しかしその後、バビロニアにより神殿は破壊されてしまう。そして、いわゆる「バビロン捕囚」からの解放の後、エルサレム神殿の改築が始められた。しかし、再び建てられた神殿は以前のものより貧しい姿であったと言われる。主イエスの時代にユダヤを統治していたのはヘロデ王であった。ヘロデはユダヤ人ではなくイドマヤ人であったが、ユダヤ人の歓心を買おうとして、私財を投じて壮大な神殿を建設しようとした。紀元前20年に始まった工事は64年に終わっている。主イエスがこの神殿の様子をご覧になった時点を30年頃と想定するならば、その姿はまだ工事中のものであった。しかし、素晴らしい神殿の外観部分は既に完成していた。弟子は主イエスに向かって「先生、ご覧ください。なんとすばらしい石、なんとすばらしい建物でしょう」(マルコ13:1)と語りかけている。高台に建てられたこの神殿が、完成していないとはいえいかに大きく壮麗な建物であったかが想像できる。
当時の「神殿礼拝」の中心は、犠牲の動物を献げて自らの赦しを乞う祭儀であった。主イエスがエルサレムに入られた時も、「過越祭」の時期であったため、大勢の人が神殿の境内に集まっていた。神殿で献げられる犠牲の動物については厳格な規定があり、例えば傷の付いた牛・山羊・羊などを献げることは禁じられていた。これらの動物を人々は持参することもできたが、神殿で祭司のチェックを受け、もし傷がついていたら、その動物を献げ物とすることはできなくなってしまう。16節に主イエスが「境内を通って物を運ぶこともお許しにならなかった」とあるが、この「物」とは「祭儀に使用する器」のことである。やはり神殿祭儀に使用する「器」は傷のない、きよめられたものでなければならないというこだわりがあった。また、神殿には異邦人や女性の立ち入りが許可されたスペースが限定されており、その定めを破った場合は「死罪」となったという。このように、エルサレム神殿には様々な面でいわゆる「聖俗二元論」的な強いこだわりがあった。
主イエスは神殿の境内で、「売り買いしていた人々を追い出し始め、両替人の台や鳩を売る者の腰掛けをひっくり返された」(15節)。日常、ユダヤの人々の間で流通していた通貨はデナリオンなどであったが、神殿では古代からユダヤ人が使用していたシェケルでないと献金としてささげることができなかった。そのため、人々は両替手数料を払って両替人のところで両替をしなければならなかったのである。また「鳩」は、貧しく牛や羊などを用意することのできない人々がその代わりに献げるものと定められていた。そのため、境内では「鳩」の販売がなされていたのである。
これらの商売を管理していたのは、ユダヤの祭司たちであった。彼らは礼拝を通して暴利をむさぼっていたのである。このように見かけは盛んな礼拝の状況があったものの、神礼拝の内実においては堕落していた神殿の状況を主イエスはご覧になり、憤られた。「こう書いてあるではないか。『わたしの家は、すべての国の人の祈りの家と呼ばれるべきである。』ところが、あなたたちはそれを強盗の巣にしてしまった」(17節)。礼拝は「すべての国の人に開かれた」場所であり、「祈り」の場所である。「礼拝」は「祈り」である。「祈り」とは「神と向き合う」場所であり、そこで我々は神との関係を点検し、悔い改め、そこで恵みによって神との関係が回復される。それが「礼拝」であるということを大切にしたい。
形式的な手続きは順当に踏んでいるものの、「神への祈り」がない礼拝を、主イエスは神の裁きとして呪われた。そして預言者を通して約束されたように、すべての国の人が集まることのできる「礼拝」を成就するため、十字架の苦しみに入っていかれた。これらの記事は、十字架の途上の出来事である。主イエスは十字架の死による贖いによって、すべての人の罪が赦され、すべての人が神の前に立ち、心からの礼拝をすることができるように、「まことの神の宮」を形成された。それはもはや立派な建物や施設のことではなく、「主によって贖われた者の群れ」を指す。主イエスに贖われ、主イエスを中心に呼び集められた者の群れが「神の宮」であり、それは主イエスを中心とする「礼拝共同体」である。それを建て上げるために、主イエスは十字架に架かってくださった。
「礼拝」は「祈りの家」である。「祈り」は一方通行のものではない。そこで我々は主の言葉を聴き、主に応答し、悔い改めたり賛美したりする。「礼拝」の中の一部が「祈り」なのではなく、「礼拝」そのものが「祈り」である。儀式の形式は整然と踏むがそこに「祈り」のない「礼拝」、それは神の求める「礼拝」ではない。サマリアの女との出会いの中で主イエスは「まことの礼拝をする者たちが、霊と真理をもって父を礼拝する時が来る。今がその時である」と宣言され、神の意志を表わされた(ヨハネ4:23)。我々はいつも祈って礼拝に臨みたい。「み言葉を聴かせてください」と祈って聴き、「み心が成るように」と祈る。その祈りを合わせる場所が「礼拝」であるということを確認したい。ダビデの時代の礼拝では「民は皆、アーメンと答えよ」と教えられた(歴代誌上16:36)。「アーメン」は「祈りの合い言葉」である。心をこめ、「アーメン」という言葉がこだまするような礼拝をささげたい。