列王記下18:1-8
1節には、いわゆる「北イスラエル王国」と「南ユダ王国」に関する言及がある。彼らは同じヤハウェ信仰に立ち同じ言語を話すが、当時既に政治的に分裂していた。『列王記』は「王」を中心に書かれた歴史であり、当時の民衆が何を喜び何に苦しんだかという「民衆の歴史」ではないという点で、日本の歴史に似ているところがある。いずれにせよ、「王と預言者の関係」を学ばずに『列王記』を読むならば、それは「単なる歴史物語」になってしまう。歴史をしっかり踏まえ、その中から「神が何を語っているのか」聴きとろうとしなければならない。
また、旧約聖書の歴史物語を読む際には、批判的にその歴史を受け入れることが必要な面もある。例えば、ヒゼキヤ王は隣国に攻め込んだが、『列王記』の編纂者は王が戦争をしたことを批判的には書いていない。それを読み手がどう受け止めるかということが問われている。
ヒゼキヤの父アハズは「父祖ダビデと異なり、自分の神、主の目にかなう正しいことを行わなかった」(列下16:2)王であった。ヒゼキヤは25歳で即位し、父とは反対に「父祖ダビデが行ったように、主の目にかなう正しいことをことごとく行」う王となった(18:3)。父アハズ王は偶像礼拝を推進したが、ヒゼキヤ王は「聖なる高台を取り除き、石柱を打ち壊し、アシェラ像を切り倒し、モーセの造った青銅の蛇を打ち砕いた」(18:4)。「モーセの造った青銅の蛇」を当時の人々は「モーセを神格化するもの」とみなし、「ネフシュタインと呼んで、これに香をたいていた」(18:4)。ヒゼキヤ王は「イスラエルの神、主に依り頼んだ」(18:5)。彼は十戒を守る信仰に立ち返ったのである。
なぜ、ヒゼキヤ王はまことの神信仰に立ち返ったのであろうか。ひとつの理由として、「北イスラエルの状況」が考えられる。当時、北イスラエル王国はアッシリアからの圧迫を受け、壊滅状態に追い込まれていた。ヒゼキヤ王はその様子を見て、まことの神に依り頼む信仰に立ち戻る契機を得たという面があったと思われる。
もうひとつの理由として、「預言者イザヤの影響」が考えられる。『イザヤ書』36-37章は「センナケリブの攻撃」にまつわる物語であるが、そこにイザヤとヒゼキヤ王の関係を見ることができる。イザヤは若いヒゼキヤに政治的・宗教的助言をした。「お前たちは、立ち返って静かにしているならば救われる。安らかに信頼していることにこそ力がある」(イザヤ30:15)という主の言葉を告げたイザヤは、「アッシリアを恐れるな、エジプトにも頼るな、主にのみ信頼せよ」と皆を励ましたのである。結局、アッシリア軍は引き揚げていき、イザヤの働きが認められるところとなった。
旧約聖書の物語は一言一句がそのまま「神の言葉」なのではない。聖書全体から部分を読んでいかなければならない。そして旧約聖書の物語を「キリストの光」に照らして頂いて理解する必要がある。