2017年2月 祈祷会・教会学校 聖書箇所 2/26 マタイ14章22-33節「逆風の中で」
総合テーマ 主イエスの福音宣教の特色
◆前回からのあらすじ…
主イエスは生まれ故郷に帰って会堂などで教えますが、地元の人々の不信仰のために大胆な福音宣教は現地ではほとんどできませんでした。14章に入るとバプテスマのヨハネが処刑される話があり、その後男だけで5千人以上いた群衆を5つのパンと2匹の魚で養う話が続きます。そして今回の個所に繋がります。
黙想のポイント
*なぜ、主イエスは弟子たちを強いて先に向こう岸へ行かせたのでしょうか。なぜ主イエスは一人残って祈られたのでしょうか。主イエスにとって祈りとは。私たちの祈りの姿勢と比較した時、違いがあるでしょうか。今回の海上での出来事はこのことと果たして関係があるのでしょうか。様々な黙想のポイントが示されます。
◆湖の上を歩く
14:22 それからすぐ、イエスは弟子たちを強いて舟に乗せ、向こう岸へ先に行かせ、その間に群衆を解散させられた。
>>>それからすぐとは、5千人以上の人々にパンと魚を奇跡によって提供した後のことを指します。主イエスは強いて弟子たちを舟に乗せて一足先にガリラヤ湖の向こう岸に出発させました。なぜこのようなことをなされたのでしょうか。次の節に重要なヒントがあります。
14:23 群衆を解散させてから、祈るためにひとり山にお登りになった。夕方になっても、ただひとりそこにおられた。
>>>主イエスの目的の一つは、少なくともひとりになって静かに祈るためであったことが分かります。
14:24 ところが、舟は既に陸から何スタディオンか離れており、逆風のために波に悩まされていた。
>>>一方、一定の時間が経過し、夕方になっていましたが、弟子たちは縦に20km、横に12km程あるガリラヤ湖の海上で逆風と押し寄せる波に悪戦苦闘していました。1スタディオンは約185mです。従ってこの時点で弟子たちはそれほど先には進めていなかったことになります。果たして1kmも進めていたかどうか。このような状況を主イエスは山の上からガリラヤ湖を見渡しながら把握していたかも知れません。しかし、主イエスが彼らのために立ち上がって手助けをするのは次の節にあるように夜が明けるころでした。それまで主イエスは引き続き祈りに専念していたと考えられます。
14:25 夜が明けるころ、イエスは湖の上を歩いて弟子たちのところに行かれた。
14:26 弟子たちは、イエスが湖上を歩いておられるのを見て、「幽霊だ」と言っておびえ、恐怖のあまり叫び声をあげた。
14:27 イエスはすぐ彼らに話しかけられた。「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない。」
14:28 すると、ペトロが答えた。「主よ、あなたでしたら、わたしに命令して、水の上を歩いてそちらに行かせてください。」
>>>主イエスが与えて下さる平安には人知では計り知れない力があります。それまで嵐に悩まされ、命の危険を感じていたであろう弟子たち。そこへイエスの幽霊が現れて彼らはさらに戸惑ったことでしょう。まだ夜明け頃で嵐の真っただ中です。辺りは暗く、主イエスが幽霊だと思っても不思議ではありません。しかし、それが正真正銘のイエスだと分かると、ペトロは一転して自分も湖の上を歩いて主イエスのいる所まで行きたいと願い出ます。普通なら「良かった、主イエスが私たちのところへ来て下さった。これできっと安心だ。」と安堵して終わってもおかしくない場面でした。しかしペトロが、人間には本来不可能と思えるような御業を自分もしたいと願い出ることによって、その後の弟子たちの福音宣教の可能性が大きく拡大したと言えるでしょう。
14:29 イエスが「来なさい」と言われたので、ペトロは舟から降りて水の上を歩き、イエスの方へ進んだ。
>>>するとどうでしょうか、ペトロが水の上を歩くことができたのです。これは主イエスに対するペトロの信仰と主イエスの力の相互作用によって起きた奇跡と言えます。信じる者(主イエスを信じる者)にはどんなことでもできると言われる主イエスの言葉の確かさが強調されている箇所です。
14:30 しかし、強い風に気がついて怖くなり、沈みかけたので、「主よ、助けてください」と叫んだ。
14:31 イエスはすぐに手を伸ばして捕まえ、「信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか」と言われた。
>>>しかし、現実の世界というのは、主イエスにのみいつまでも集中していることができるほどやさしくはありません。強い風と荒れる波に気を取られて主イエスから目をそらしてしまいます。その瞬間に彼はすぐさま恐怖に襲われ、途端に湖に沈んで行きました。それでも主イエスはすぐに手を伸ばして彼を助けます。主イエスに頼り、信仰によって始めたことを途中で忘れてしまったペトロの姿に自分自身を重ね合わせて見る思いがします。それでも、主イエスはしっかりとペトロを捕えてすぐに助けて下さったことに励まされます。主イエスに信頼し続ける者は幸いです。
14:32 そして、二人が舟に乗り込むと、風は静まった。
14:33 舟の中にいた人たちは、「本当に、あなたは神の子です」と言ってイエスを拝んだ。
>>>なぜ主イエスが舟に乗りこむと風は静まったのか、多くは語られません。主イエスの御そば近くにいることこそ、すべての問題の根本的な解決の近道であることが示されているのではないでしょうか。そして、この出来事を目の当たりにした弟子たちは、自然に主イエスに対する礼拝の心が沸き起こり、「本当に、あなたは神の子です」という信仰告白に導かれたことが語られます。本来ユダヤ教では人間を拝むことは固く禁じられていました。しかし、それだけこの出来事は彼らに主イエスが何者なのかを確信させる出来事だったのでしょう。
このように弟子たちが導かれたのは偶然でしょうか。もしかすると、主イエスが山の上で祈っておられた時、弟子たちがさらに信仰が深まる体験ができるように執りなし祈っておられたのかも知れません。主イエスが彼らを強いて舟に乗せて向こう岸に行かせたのも、すぐに彼らを助けにいかなかったのも、今回の試練を通して彼らがさらに成長することを願ってのことだったのかも知れません。主イエスが祈られる時、この世のすべての出来事は祝福へと変わることに感謝したいと思います。
分かち合いのポイント
・主イエスの伝道や奇跡の原動力は祈りにあったことが語られています。福音宣教の合間合間に神との静かな祈りの時を敢えて作って行かれる主イエスの姿が目に留まります。この特別な時間を持ったことによって、その後の海上歩行、ペテロにも同じ業を行わせ、嵐を鎮める御業が次々に成し遂げられたと考えられます。主イエスに頼り、集中し続け、祈ることの大切さを示されます。
・私たちはこのような祈りによる特別な体験をしたことはあるでしょうか。共に分かち合いましょう。