7/24日 サムエル記下21章1-14節「粗布を広げたリツパ」
総合テーマ 主なる神を畏れ敬う
予備知識…19~20章までの概略
前回)謀反を起こした三男アブサロムの戦死に落ち込むダビデとダビデ軍の勝利の知らせをめぐる部下たちの思い
19~20)命がけで戦った家来たちの労をねぎらわないダビデ王を非難し、場合によってはもはやダビデについていかないと宣言する軍の司令官ヨアブ。ベニヤミン人シェバの下に新たに終結を始めた残りのイスラエル軍を追撃し、首謀者たちだけを滅ぼすことに成功するヨアブ軍。また、ダビデの下に集まり出したユダ族の司令官アマサを策略を持って殺害するヨアブ。徐々にダビデとの間に溝が深まっていく。…
黙想のポイント
・だれかに対して過去にひどいことをしてしまったり、犯した罪をそのままにして置いたことはないでしょうか。神はどんな罪もそのまま不問にふされることはないことを旧新約聖書の至るところで述べておられます。かりにこの世で裁かれなければ、必ず最後の審判で裁かれることになります。本当に恐れなければならないのはむしろ最後の審判における裁きですが、その前に悔い改める機会が人生には度々与えられます。神が敢えて試練に遭うことを許されるのは、犯した罪を悔い改めてこの世にいる間に罪を赦される機会となり得るからです。今回の箇所では、ダビデがどのように行動したことによって状況は変わって行ったのか、ダビデが過ちを繰り返しながらも、神の忍耐と憐みによって悔い改めへと導かれていく今回の箇所に学びましょう。
◆飢饉とサウルの子孫
21:1 ダビデの世に、三年続いて飢饉が襲った。ダビデは主に託宣を求めた。主は言われた。「ギブオン人を殺害し、血を流したサウルとその家に責任がある。」
>>>託宣を求めるとは、預言者に依頼して主の御心を知ろうとすることを言います。三年間も飢饉が続いたのでダビデはここに何らかの神のメッセージがありはしないかと考えたからでしょう。すると、イスラエルと同盟を結んでいたギブオン人を裏切って殺害に関与したサウル王への恨みを持つギブオン人に原因の一端があることが示されます。
21:2 王はギブオン人を招いて言った。――ギブオン人はアモリ人の生き残りで、イスラエルの人々に属する者ではないが、イスラエルの人々は彼らと誓約を交わしていた。ところがサウルは、イスラエルとユダの人々への熱情の余り、ギブオン人を討とうとしたことがあった。
21:3 ダビデはギブオン人に言った。「あなたたちに何をしたらよいのだろう。どのように償えば主の嗣業を祝福してもらえるだろうか。」
>>>ダビデは恨みを持っていた当事者であるギブオン人たちにどうして欲しいかを尋ねて事態を打開する糸口をつかもうとします。今回の箇所は単純に見れば、誰かから恨みを買っているとしたら、それは決してそのままにはしておかない方がいいという教訓に思えます。しかし、後で解説するように、もう少し深い神の和解の御業が語られていることを見て行きたいと思います。
21:4 ギブオン人はダビデに答えた。「サウルとその家のことで問題なのは金銀ではありません。イスラエルの人々をだれかれなく殺すというのでもありません。」ダビデは言った。「言ってくれれば何でもそのとおりにしよう。」
21:5 彼らは王に答えた。「わたしたちを滅ぼし尽くし、わたしたちがイスラエルの領土のどこにも定着できないように滅亡を謀った男、
21:6 あの男の子孫の中から七人をわたしたちに渡してください。わたしたちは主がお選びになった者サウルの町ギブアで、主の御前に彼らをさらし者にします。」王は、「引き渡そう」と言った。
>>>とんでもないことをギブオン人たちは言いました。もちろん、それはダビデが想像した最悪のシナリオではなかったことでしょう。しかし、サウル王の罪の責任が関係のない身内にあるはずがありません。また、彼らがまさに自分たちの口で言っているように「主がお選びになった者、サウルの町ギブアで」復讐をしたいと主張していますが、神が選ばれた者だということを理解しているのなら、なおさら神を畏れて、復讐心を燃やさない方が良かったのではないでしょうか。ダビデが彼らの恨みを鎮めようとしたことは理解できますが、「何でもその通りにしよう」などとは軽率に言うべきではなかったし、内容によっては別の案を知恵を絞って提案できたのではないでしょうか。人生において、これしか解決の方法はないという選択肢はほとんどないはずです。
21:7 しかし、王はサウルの子ヨナタンの息子メフィボシェトを惜しんだ。ダビデとサウルの子ヨナタンとの間には主をさして立てた誓いがあったからである。
21:8 王はアヤの娘リツパとサウルの間に生まれた二人の息子、アルモニとメフィボシェトと、サウルの娘ミカルとメホラ人バルジライの子アドリエルとの間に生まれた五人の息子を捕らえ、
21:9 ギブオン人の手に渡した。ギブオンの人々は彼らを山で主の御前にさらした。七人は一度に処刑された。彼らが殺されたのは刈り入れの初め、大麦の収穫が始まるころであった。
>>>ダビデは親友ヨナタンの子どもを差し出すことを避け、自分の妻でもあったミカルがサウルに追われてダビデが逃亡中にサウル王によって嫁がされたアドリエルとの間に生まれた五人の息子を含む7人を差し出すことにしました。もし、ヨナタンの子を含めて7人しかいなかったとしたら、ダビデはどうしていたのでしょうか?!
21:10 アヤの娘リツパは粗布を取って岩の上に広げた。収穫の初めのころから、死者たちに雨が天から降り注ぐころまで、リツパは昼は空の鳥が死者の上にとまることを、夜は野の獣が襲うことを防いだ。
>>>当時の掟として重罪により死刑になった者たちはそう簡単に遺体を葬ることは赦されなかったからでしょう。7人のサウルの子孫の内、二人の息子を殺されたアヤの娘リツパは、聖書教育誌によれば収穫期から雨が本格的に降る時期までの約半年間必死で遺体を守り続けたことになります。母親の心の痛みの深さと愛情が伝わります。せめてもの自分にできる精一杯の行動だったと考えられます。
21:11 サウルの側女、アヤの子リツパのこの行いは王に報告された。
21:12 ダビデはギレアドのヤベシュの人々のところへ行って、サウルの骨とその子ヨナタンの骨を受け取った。その遺骨はギレアドのヤベシュの人々がベト・シャンの広場から奪い取って来たもので、ペリシテ人がギルボアでサウルを討った日に、そこにさらしたものであった。
21:13 ダビデはそこからサウルの骨とその子ヨナタンの骨を運び、人々は今回さらされた者たちの骨を集め、
21:14 サウルとその子ヨナタンの骨と共にベニヤミンの地ツェラにあるサウルの父キシュの墓に葬った。人々は王の命令をすべて果たした。この後、神はこの国の祈りにこたえられた。
>>>今回のところの勘所は、ダビデがギブオン人たちに自分たちが願っていた通りの復讐を遂げさせた時に恨みが晴らされ、飢饉が止んだということではなく、その後にダビデが忘れ去られていたサウル王とその子たちの遺骨と今回の犠牲者たちの遺体の両方を丁重に葬った後で飢饉が止んだことを報告しています。今回の出来事は、実は一方が恨みを晴らす代わりに、また別の恨みが生じるという泥沼になっていく場面です。ダビデは殺されたサウルの子どもたちを嘆く母リツパのことを聞いて、戦争は多くの人に恨みと悲しみを背負わせるものであることを考えさせられたことでしょう。そして、自分にもその責任があることを自覚したのではないでしょうか。彼は過去に遡って、正式な葬りができていなかったサウル王とその子どもたちの埋葬も含めて埋葬するところに、ダビデの悔い改めを見るのではないでしょうか。そして、敵と言えども、その者の死の背後に大勢の家族の悲しみが存在することを今まで以上に理解したダビデだったのではないでしょうか。戦争は敵味方区別なく、多くの人を巻き添えにし、悲しみと恨みを増やします。戦争や復讐に加担したことを悔い改め、敵を赦し、愛する行動を取ることの大切さ、これこそ神が導こうとされていたことではなかったかと考えさせられます。
分かち合いのポイント
・ダビデが試練を通して過去や現在の自分の罪に対する悔い改めに導かれたように、私たちも悔い改めへと導かれた経験はないでしょうか。共に分かち合いましょう。