サムエル記上21章1-16節「ダビデの逃亡生活」
総合テーマ 神の御手に委ねる
黙想のポイント
・神から油注ぎを受けることは、今日で言うバプテスマ(洗礼)に似ているのではないでしょうか。バプテスマを受ける時、司式者と会衆から祝福の祈りを受けてクリスチャンとしての歩みが始まります。しかし、多くの人が経験するように、バプテスマを受けることはその後の人生がすべて順風満帆に行くことを保証するものではありません。ダビデのように、却って試練の連続に遭ったことはないでしょうか。
予備知識…18章~20章までの概略
ダビデの功績を高く評価したサウルは、彼を戦士の長に任じて王の近くで仕えるようにしました。しかし、ダビデが勝利を重ねて自分よりも民の間で評判が良くなるのに従って、彼を妬むようになります。ある時などは悪霊に煩わされていることを利用して槍で彼を殺そうとしますが、失敗に終わります。その後、ダビデを遠ざけつつも彼を千人隊長に任命します。また、ダビデに好意を持った次女のミカルをダビデに妻として与え、油断させて殺そうと謀りますが、これもミカルに阻まれて失敗に終わります。サウルの息子のヨナタンもダビデを無二の親友のように慕い、父がダビデを殺そうとしていることを知って、ダビデに身の危険を知らせ、逃亡を手引きし、互いに永遠の友情を誓いながら別れます…。
◆アヒメレクのもとでのダビデ
21:1 ダビデは立ち去り、ヨナタンは町に戻った。
21:2 ダビデは、ノブの祭司アヒメレクのところに行った。ダビデを不安げに迎えたアヒメレクは、彼に尋ねた。「なぜ、一人なのですか、供はいないのですか。」
21:3 ダビデは祭司アヒメレクに言った。「王はわたしに一つの事を命じて、『お前を遣わす目的、お前に命じる事を、だれにも気づかれるな』と言われたのです。従者たちには、ある場所で落ち合うよう言いつけてあります。
21:4 それよりも、何か、パン五個でも手もとにありませんか。ほかに何かあるなら、いただけますか。」
21:5 祭司はダビデに答えた。「手もとに普通のパンはありません。聖別されたパンならあります。従者が女を遠ざけているなら差し上げます。」
21:6 ダビデは祭司に答えて言った。「いつものことですが、わたしが出陣するときには女を遠ざけています。従者たちは身を清めています。常の遠征でもそうですから、まして今日は、身を清めています。」
21:7 普通のパンがなかったので、祭司は聖別されたパンをダビデに与えた。パンを供え替える日で、焼きたてのパンに替えて主の御前から取り下げた、供えのパンしかなかった。
>>>ノブはエルサレムの北方、ベニヤミン領にある祭司の町でした。そこの祭司の一人であったアヒメレクのところへダビデは逃亡の途中で立ち寄りました。ダビデに共の者がいない不自然さを感じていたアヒメレクに、ダビデはそれらしい言い訳をしてパンを手に入れます。しかし、アヒメレクのところへ立ち寄ったことが後で問題になることをダビデは知りませんでした。
21:8 そこにはその日、サウルの家臣の一人が主の御前にとどめられていた。名をドエグというエドム人で、サウルに属する牧者のつわものであった。
>>>彼が後でサウルにダビデのことを告げ口することになります。
21:9 ダビデは更にアヒメレクに求めた。「ここに、あなたの手もとに、槍か剣がありますか。王の用件が急なことだったので、自分の剣も武器も取って来ることができなかったのです。」
21:10 祭司は言った。「エラの谷で、あなたが討ち取ったペリシテ人ゴリアトの剣なら、そこ、エフォドの後ろに布に包んであります。もしそれを持って行きたければ持って行ってください。そのほかには何もありません。」ダビデは言った。「それにまさるものはない。それをください。」
>>>こうしてダビデはうまく食料と武器を手に入れて旅を続けることができるようになりましたが、22章で明らかになるように、その時に居合わせたエドム人、ドエグの密告により、ノブの住民は老若男女を問わず、サウルの命によって大勢虐殺されてしまいます。そもそも、ダビデがアヒメレクのところで取った行動は本当に正しかったのでしょうか。疑問が残ります。何故なら、これまでもダビデは絶対的な危機の時に神が彼を幾度となく救って下さったことを体験して来た人物です。ゴリアトと戦う時にも剣を用いずに石投げの道具で勝利を治めて来た人物です。今になってゴリアトの剣を目の前にして「それにまさるものはない。それをください。」と言うダビデ。本来ならば神に供えた祭司しか食べてはならない食料を喜んで受け取ったり、ゴリアトの剣を求めたりと、神への信頼がどこかへ行き、自分の知恵と力でこの局面を打開しようともがくダビデの姿があります。
21:11 ダビデは立ってその日のうちにサウルから逃れ、ガトの王アキシュのもとに来た。
21:12 アキシュの家臣は言った。「この男はかの地の王、ダビデではありませんか。この男についてみんなが踊りながら、『サウルは千を討ち、ダビデは万を討った』と歌ったのです。」
21:13 ダビデはこの言葉が心にかかり、ガトの王アキシュを大変恐れた。
21:14 そこで彼は、人々の前で変わったふるまいをした。彼らに捕らえられると、気が狂ったのだと見せかけ、ひげによだれを垂らしたり、城門の扉をかきむしったりした。
21:15 アキシュは家臣に言った。「見てみろ、この男は気が狂っている。なぜ連れて来たのだ。
21:16 わたしのもとに気の狂った者が不足しているとでもいうのか。わたしの前で狂態を見せようとして連れて来たのか。この男をわたしの家に入れようというのか。」
>>>ダビデは、ガトの王アキシュが治める地域まで逃れて行きましたが、家臣たちの言葉に恐れをなしたダビデは、とっさに気が狂っているように演じて、その場からどうにか災いに遭わずに逃れていくことになります。14節で城門の扉をかきむしる場面では、きっと爪から血が出るほどの迫真の演技をして見せたことでしょう。こうしてダビデの辛い、生き抜くためとは言え、相手を欺く偽りに満ちた放浪生活が始まります。また、祭司アヒメレクの家でのダビデの軽率な行動が、祭司アヒメレクだけでなく、その一族が後でサウル王によって虐殺されるきっかけとなって行きます。また、アヒメレクのところにゴリアトの剣がありましたが、それはダビデが自分の力に頼らず、神の守りに信頼して戦い、勝利したゴリアトとの戦いを思い出させるための、神の備えだったのかも知れません。神は常に試練の時に励ましと、逃れる道を用意して下さいます。ただし、私たちが正しく神に信仰を向けていないならば、普段はどんなに信仰深い人でも、いとも簡単に道を誤ってしまい、他人にまで災いを招いてしまうことがあるという教訓として、今回の箇所を受け止めてみてはどうでしょうか。
分かち合いのポイント
始めこそ試練の中で神に祈り、神に頼っていたはずが、いつの間にか自分の力に頼って問題を解決しようと悪戦苦闘し、心を乱し、神に愚痴すらこぼすようなことを多くの人は経験して来たのではないでしょうか。試練の中でどのように神が私たちを守り、導いて下さるのかを知ることも、私たちの信仰の成熟に大いに役立ちます。試練を通して知ることができた神のご計画や信仰が深められた体験を互いに分かち合いましょう。