6/12 サムエル記上章17章41-54節「ダビデを守ったもの」
総合テーマ 神の御手に委ねる
黙想のポイント(文末の分かち合いのポイントもご参照下さい)
・ダビデをここまで心身共に強い者に育んだものとはいったい何だったのでしょうか。彼の過去にどのような神の導きがあったのか共に確認しましょう。
・また聖書教育誌にはペリシテやゴリアトの出身地についての解説やゴリアトの身長などについても詳しく書かれています。聖書教育誌も是非ご併用下さい。
予備知識…16章14節~17章40節までの概略
◆ダビデ、サウルに仕える
サムエルから油注ぎを受けて以来、ダビデに聖霊の働きが顕著になり、サウルは逆に聖霊が手を引いたために悪霊に悩まされるようになります。聖書にはまるで神が悪霊を送ったかのような表現になっていますが、これは神がそれまでの祝福の手を引いたことによる結果として起きたことと理解するのが良いでしょう。そんな家臣の助言もあって、戦士でもあり、羊飼いでもあり、竪琴を巧みに奏でることで知られていたダビデに白羽の矢が向けられます。その結果、ダビデはサウルの心に適い、サウル王の武器を持つ者に取り立てられて行きます。7章15節によれば、その後「このダビデは行ったり来たりして、サウルに仕えたり、ベツレヘムの父の羊を世話したりしていた」ようです。そんなある日、ペリシテ軍との戦が始まり、ゴリアトと言う先方の巨人が1対1の戦いをイスラエル軍に挑みます。そこに戦場にいた兄たちの様子を伺いに、父の使いで出てきたダビデが戦況を知ることになります。ダビデはサウル王に自分に勇士ゴリアトと戦う許しを求め、ゴリアトと向き合うことになります…
◆ダビデとゴリアト
17:41 ペリシテ人は、盾持ちを先に立て、ダビデに近づいて来た。
17:42 彼は見渡し、ダビデを認め、ダビデが血色の良い、姿の美しい少年だったので、侮った。
17:43 このペリシテ人はダビデに言った。「わたしは犬か。杖を持って向かって来るのか。」そして、自分の神々によってダビデを呪い、
17:44 更にダビデにこう言った。「さあ、来い。お前の肉を空の鳥や野の獣にくれてやろう。」
>>>1対1の戦いをしようと呼びかけながら、盾持ちを利用して自分の防御を万全にするゴリアトに対して、武具も付けず、通常の武器も持たないダビデが巨人ゴリアトに挑む姿は周りの戦士たちに無謀に見えたことでしょう。ゴリアトはダビデを自分の神々によって呪ってもいます。他宗教の中には、他者を呪うことを容認する宗教もあるということです。宗教と言うのはどの宗教も教えが似通っているとは到底言うことはできません。そして、ダビデはゴリアトの体格にも、武装にも、そして言葉にも臆せずに堂々と返答します。
17:45 だが、ダビデもこのペリシテ人に言った。「お前は剣や槍や投げ槍でわたしに向かって来るが、わたしはお前が挑戦したイスラエルの戦列の神、万軍の主の名によってお前に立ち向かう。
17:46 今日、主はお前をわたしの手に引き渡される。わたしは、お前を討ち、お前の首をはね、今日、ペリシテ軍のしかばねを空の鳥と地の獣に与えよう。全地はイスラエルに神がいますことを認めるだろう。
17:47 主は救いを賜るのに剣や槍を必要とはされないことを、ここに集まったすべての者は知るだろう。この戦いは主のものだ。主はお前たちを我々の手に渡される。」
>>>ダビデはどこでこのような深い主に対する信頼を培って来たのでしょうか。17章36節に「わたしは獅子も熊も倒してきたのですから、あの無割礼のペリシテ人もそれらの獣の一匹のようにしてみせましょう。彼は生ける神の戦列に挑戦したのですから。」とサウル王に述べているように、元を正せば野原で羊の番をしている時に獅子や熊と繰り返し戦って勝利を治めた、命掛けの経験が彼をここまで強くして来たことが分かります。そして、彼はすべてのこれまでの勝利を神のおかげだと答えているところに、神が彼を特別に選んでサムエルに油を注がせた理由の一端を垣間見ます。ダビデは神への信頼が人一倍厚い人物だったことが分かります。そして、その信仰は目の前の恐怖を払いのけるだけの力があったのです。
17:48 ペリシテ人は身構え、ダビデに近づいて来た。ダビデも急ぎ、ペリシテ人に立ち向かうため戦いの場に走った。
17:49 ダビデは袋に手を入れて小石を取り出すと、石投げ紐を使って飛ばし、ペリシテ人の額を撃った。石はペリシテ人の額に食い込み、彼はうつ伏せに倒れた。
17:50 ダビデは石投げ紐と石一つでこのペリシテ人に勝ち、彼を撃ち殺した。ダビデの手には剣もなかった。
17:51 ダビデは走り寄って、そのペリシテ人の上にまたがると、ペリシテ人の剣を取り、さやから引き抜いてとどめを刺し、首を切り落とした。ペリシテ軍は、自分たちの勇士が殺されたのを見て、逃げ出した。
>>>勝負はあっという間に決しました。ダビデの勝利です。それと共に戦況が一変してイスラエル軍の大勝利へと発展して行きました。
17:52 イスラエルとユダの兵は立って、鬨の声をあげ、ペリシテ軍を追撃して、ガイの境エクロンの門に至った。ペリシテ人は刺し殺され、ガトとエクロンに至るシャアライムの道に倒れていた。
17:53 イスラエルの兵士はペリシテ軍追撃から帰ると、彼らの陣営を略奪した。
17:54 ダビデはあのペリシテ人の首を取ってエルサレムに持ち帰り、その武具は自分の天幕に置いた。
>>>54節と55節以降の内容とは、若干時間的推移において逆転が生じていますが、ダビデはこの後、サウル王にゴリアトの首を持参し、改めて王と軍の司令官アブネルに自分の功績を認めてもらうことになります。
分かち合いのポイント
・私たちはこれまで、どのように神によって信仰を育てられてきたのか、あるいは様々な悪の誘惑からどのように信仰によって守られて来たでしょうか。その結果、私たちの人生にどのような違いが生じたと考えられるでしょうか。互いに分かち合いましょう。
・聖書教育誌の少年少女科の引用…戦勝物語として読むのではなく、「ダビデを守ったものとは何であったのか」を改めて考えるための物語として読み直したいと思います。その時、現在直面している世界の戦いの危機や、この国の「安全保障」と言われる事柄の「正しい見方」について考えることができるのではないでしょうか。…とあります。合わせて、近づく6月23日「沖縄(命どぅ宝)の日」(沖縄における地上戦終結記念日)を迎えるにあたって、改めて武力に頼る平和維持の落とし穴について考える機会となるのではないでしょうか。