ヨハネ15章1-17節「イエスさまの愛に留まる」
総合テーマ 命の輝かせ方
黙想のポイント1
・実を結ぶためには何が必要だと主イエスは教えておられるでしょうか。
黙想のポイント2
・主イエスはまず互いに愛し合うことを実践しなさいと命じておられます。この命令をどのように実践すると良いでしょうか。黙想し、教会で話し合いましょう。
◆イエスはまことのぶどうの木
15:1 「わたしはまことのぶどうの木、わたしの父は農夫である。
15:2 わたしにつながっていながら、実を結ばない枝はみな、父が取り除かれる。しかし、実を結ぶものはみな、いよいよ豊かに実を結ぶように手入れをなさる。
15:3 わたしの話した言葉によって、あなたがたは既に清くなっている。
15:4 わたしにつながっていなさい。わたしもあなたがたにつながっている。ぶどうの枝が、木につながっていなければ、自分では実を結ぶことができないように、あなたがたも、わたしにつながっていなければ、実を結ぶことができない。
15:5 わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。わたしを離れては、あなたがたは何もできないからである。
>>>聖書教育誌が指摘しているように、私たちの選択に関わらず主イエスは先に私たちにつながっておられます。しかし、本当に力を発揮するためには自らも主イエスにつながろうとする意志が必要です。そうでない人は免疫力を次第に失った枝のように次第に虫に蝕まれて行き、どうしようもなくなるのです。今回の箇所には豊かに実を結ぶという言葉が繰り返し出てきます。単に実を結ぶのではなく、神が望んでおられるのは劇的に豊かに私たちが実を結ぶことです。また、自分の力だけで生きようとする者は少しだけできるというのではなく、まったく何もできないと主イエスははっきりと言われます。
15:6 わたしにつながっていない人がいれば、枝のように外に投げ捨てられて枯れる。そして、集められ、火に投げ入れられて焼かれてしまう。
>>>主イエスにつながっていない、あるいはつながろうとしない枝が将来どうなってしまうのかが比喩で表現されています。最後は地獄が待っていることが語られています。それほどに主イエスとつながり続けることは重要なこととして主イエスはここで語っているのです。
15:7 あなたがたがわたしにつながっており、わたしの言葉があなたがたの内にいつもあるならば、望むものを何でも願いなさい。そうすればかなえられる。
>>>簡単には信じ難い主イエスの約束です。望むものが何でも叶えられると聞くと、それでは高額な宝くじも当たるようになるのかとか、一国の大統領や総理大臣になれるのかなどと、途方もないことを考える人もいるのではないでしょうか。そうです、それさえも適います。しかし、それはそう進むように神に道を示された人の場合です。キリストは実在する人物です。そしてキリストが行った奇跡は事実であり、物語ではないのです。そのお方が約束して下さることもまた、今日まで事実であり続け、奇跡もその後の弟子たちによって続いているのです。
15:8 あなたがたが豊かに実を結び、わたしの弟子となるなら、それによって、わたしの父は栄光をお受けになる。
>>>逆に言えば、私たちが実を結ぶこと、しかも豊かに実を結ぶことは父なる神の御心なのです。神が何よりも喜んで下さることなのです。
15:9 父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛してきた。わたしの愛にとどまりなさい。
15:10 わたしが父の掟を守り、その愛にとどまっているように、あなたがたも、わたしの掟を守るなら、わたしの愛にとどまっていることになる。
>>>これまで主イエスが語って来たことを実現するには何が要になるのかが明確にされています。父なる神の愛を知り、愛を理解し、その愛の中に留まり続け、その愛を実践することだということです。
15:11 これらのことを話したのは、わたしの喜びがあなたがたの内にあり、あなたがたの喜びが満たされるためである。
>>>この主イエスの愛に留まる者には、喜びが伴います。もし、喜びが伴わない時は、それは本物の愛ではない可能性があるので判断の方法となります。本当の愛から出ていることは、その行為を喜んでいる自分に気づくでしょう。楽しみと違って、喜びは苦しみや悲しみの中にさえ存在できる聖霊から与えられる賜物の一つです。
15:12 わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。これがわたしの掟である。
15:13 友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。
15:14 わたしの命じることを行うならば、あなたがたはわたしの友である。
15:15 もはや、わたしはあなたがたを僕とは呼ばない。僕は主人が何をしているか知らないからである。わたしはあなたがたを友と呼ぶ。父から聞いたことをすべてあなたがたに知らせたからである。
15:16 あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ。あなたがたが出かけて行って実を結び、その実が残るようにと、また、わたしの名によって父に願うものは何でも与えられるようにと、わたしがあなたがたを任命したのである。
15:17 互いに愛し合いなさい。これがわたしの命令である。」
>>>この愛を実践し、実を結ぶために最後にもう一つ大事なヒントが語られています。16節の「出かけて行って実を結び」という言葉です。そして主イエス「の名によって父に願う」ことです。守りの姿勢からは真の愛の実践はできません。また、祈り無しにも本当の愛の行いは実現しません。このことが伴う時に真の愛の実践はどんな人にも可能になると主イエスは教えておられるのではないでしょうか。