出エジプト記5章1節~6章1 節「主とは何者か」
総合テーマ 逆境の中でも神の導きに信頼する信仰
黙想のポイント
その1 ファラオとの交渉がうまく行かず、却って労働が過酷になったイスラエルの民の心境を黙想する。
その2 私たちがクリスチャンとして生きることにおいて同じようなことはないか…。クリスチャンにとって主の日の礼拝を捧げることを妨げるものはなんでしょうか?
★小グループでの話し合いと発表…これは西川口教会の水曜祈祷会で実際に行った手法です。
イメージできる聖書リーダーは是非チャレンジしてみて下さい。(CSリーダー会でもまた説明致します。)
・今月はまず聖書を読んだすぐ後に二人一組ないし三人で今回の箇所のテーマを3分間話し合ってみましょう。
いつも聖書リーダーの説き明しを先に聞く私たちですが、まず各自でテーマについて考えることも有意義です。
その後、小グループの代表に今回の箇所の中心になる教えはどんな内容だと考えたか途中までの内容でも構わないので発表してもらいましょう。間違いなどありませんので自由に発表して下さい。ただし、持ち時間は2分以内です。この分級の時間はできるだけ多くの人に発言していただくために一回一人1分を目安に2分以内で発言ができるように全員で協力し合いましょう。
この方法のメリットは、より興味と問題意識を持ってリーダーの聖書の導きを聞くことができます。また、少し遅れて来た方にも聖書リーダーの話しに間に合うことができる利点があります。
・グループ分けは時間が短いですからできるだけ二人一組でしましょう。ただし、新来者やあまり不慣れな人たちだけのグループにならないように工夫して下さい。
◆ファラオとの交渉
5:1 その後、モーセとアロンはファラオのもとに出かけて行き、言った。「イスラエルの神、主がこう言われました。『わたしの民を去らせて、荒れ野でわたしのために祭りを行わせなさい』と。」
5:2 ファラオは、「主とは一体何者なのか。どうして、その言うことをわたしが聞いて、イスラエルを去らせねばならないのか。わたしは主など知らないし、イスラエルを去らせはしない」と答えた。
>>>モーセが主から託された作戦は「カナンに帰らせて下さい」と最初から頼むのではなく、まずは礼拝を神にささげさせて下さいというものでした(出エジプト記3章18節)。しかし、エジプトの王様ファラオはその必要性を認めません。これは私たちの日常とどこか似ていないでしょうか。世の中は主の日である日曜日に地域イベントや塾やスポーツ大会、様々な資格試験、家族旅行を行います。私たちの時代にも礼拝を妨げ、礼拝に行く自由を奪うものは案外多いのではないでしょうか。そのような意味ではエジプトとは主の日の礼拝を大切にしない社会を現していると考えることができます。日本はその典型的な国ではないでしょうか。その中で子どもたちがますます日曜日の礼拝に出席することが難しくなっている現実はないでしょうか。出エジプト記はまさに私たちの現実を描き出しているのかも知れません。
5:3 二人は言った。「ヘブライ人の神がわたしたちに出現されました。どうか、三日の道のりを荒れ野に行かせて、わたしたちの神、主に犠牲をささげさせてください。そうしないと、神はきっと疫病か剣でわたしたちを滅ぼされるでしょう。」
5:4 エジプト王は彼らに命じた。「モーセとアロン、お前たちはなぜ彼らを仕事から引き離そうとするのだ。お前たちも自分の労働に戻るがよい。」
5:5 ファラオは更に、言った。「この国にいる者の数が増えているのに、お前たちは彼らに労働をやめさせようとするのか。」
5:6 ファラオはその日、民を追い使う者と下役の者に命じた。
5:7 「これからは、今までのように、彼らにれんがを作るためのわらを与えるな。わらは自分たちで集めさせよ。
5:8 しかも、今まで彼らが作ってきた同じれんがの数量を課し、減らしてはならない。彼らは怠け者なのだ。だから、自分たちの神に犠牲をささげに行かせてくれなどと叫ぶのだ。
5:9 この者たちは、仕事をきつくすれば、偽りの言葉に心を寄せることはなくなるだろう。」
5:10 民を追い使う者と下役の者は出て行き、民に向かって、「ファラオはこう言われる。『今後、お前たちにわらは一切与えない。
5:11 お前たちはどこにでも行って、自分でわらを見つけて取って来い。ただし、仕事の量は少しも減らさない』」と言ったので、
5:12 民はエジプト中に散ってわらの切り株まで集めた。
5:13 追い使う者たちは、「わらがあったときと同じように、その日の割り当てをその日のうちに仕上げろ」と言って、せきたてた。
5:14 ファラオに任命された追い使う者たちは、監督として置いたイスラエルの人々の下役の者らに、「どうして、今までと同じ決められた量のれんがをその日のうちに仕上げることができないのか」と言って、彼らを打ったので、
5:15 イスラエルの人々の下役の者らはファラオのもとに行って、訴えた。「どうしてあなたは僕たちにこのようにされるのですか。
5:16 僕らにはわらが与えられません。それでも、れんがを作れと言われて、僕らは打たれているのです。間違っているのはあなたの民の方です。」
5:17 彼は言った。「この怠け者めが。お前たちは怠け者なのだ。だから、主に犠牲をささげに行かせてくださいなどと言うのだ。
5:18 すぐに行って働け。わらは与えない。しかし、割り当てられた量のれんがは必ず仕上げよ。」
5:19 イスラエルの人々の下役の者たちは、「れんがの一日の割り当ては減らすな」と命じられて、自分たちが苦境に立たされたことを悟った。
>>>ファラオは労働を忙しくすることによって彼らの心の余裕を奪う作戦に出ました。…今日でも同じようなことはないでしょうか?人々はあまりにも忙しい毎日を過ごしてはいないでしょうか。日曜日にまで様々な行事やイベント、レジャーがあって休む間もありません。あるいは土曜まで寝る間もないくらいに働かされて日曜日に礼拝に行く元気も出ないようなことはないでしょうか。このように考えると日本の現代にもファラオは存在するのではないかと考えさせられます。すべて、主の日の礼拝を阻むものと、主の日の礼拝に落ち着いて出かけることを妨げるものはまさに今日のエジプトの国のようなものではないでしょうか。
5:20 彼らがファラオのもとから退出して来ると、待ち受けていたモーセとアロンに会った。
5:21 彼らは、二人に抗議した。「どうか、主があなたたちに現れてお裁きになるように。あなたたちのお陰で、我々はファラオとその家来たちに嫌われてしまった。我々を殺す剣を彼らの手に渡したのと同じです。」
5:22 モーセは主のもとに帰って、訴えた。「わが主よ。あなたはなぜ、この民に災いをくだされるのですか。わたしを遣わされたのは、一体なぜですか。
5:23 わたしがあなたの御名によって語るため、ファラオのもとに行ってから、彼はますますこの民を苦しめています。それなのに、あなたは御自分の民を全く救い出そうとされません。」
>>>民は不満をモーセたちにぶつけました。異教社会で礼拝を守ろうとすることはリスクがあります。普通の人以上に忙しい環境に身を置かなければならないかも知れません。社会はクリスチャンの立場や考え方を理解してくれません。私たちの信仰や忍耐も試されます。そんな時、どうすればいいのでしょうか。モーセのようにまずは神の前に助けを祈り求める必要があります。時には神に直談判してもいいのかも知れません。あなたの思いと願いを率直に神に信頼しつつ、祈りの内に聞いていただきましょう。
6:1 主はモーセに言われた。「今や、あなたは、わたしがファラオにすることを見るであろう。わたしの強い手によって、ファラオはついに彼らを去らせる。わたしの強い手によって、ついに彼らを国から追い出すようになる。」
>>>神の側には理由がありました。これまでのことは世界中の人々に知られるところとなるような大いなる神の御業を行うためのご計画の一部だったのです。確かに神は私たちの祈りに直ちに応えて下さらないことがしばしばあります。しかし、神の御心に適う祈りである場合、祈りが叶えられない時は、神の側には特別なご計画があることを意味していることをこの箇所から知らされます。神のご計画の中にある忍耐として、神の御心とご計画が実現するために、私たちも今を精一杯生き、必要ならば忍耐しながら神に信頼して歩んで参りましょう。クリスチャンにとってこの世は旅人としての仮住まいであり、本国は天にあるのですから…。