出エジプト記14章5~31節「行くしかない」
総合テーマ 逆境の中でも神の導きに信頼する信仰
黙想のポイント
その1 神の徹底的な御業に目を向けましょう。
その2 神への礼拝の姿勢を正して行きましょう。
★小グループでの話し合いと発表…これは西川口教会の水曜祈祷会で実際に行った手法です。イメージできる聖書リーダーは是非チャレンジしてみて下さい。(CSリーダー会でもまた説明致します。)
・今月はまず聖書を読んだすぐ後に二人一組ないし三人で今回の箇所のテーマを3分間話し合ってみましょう。いつも聖書リーダーの説き明しを先に聞く私たちですが、まず各自でテーマについて考えることも有意義です。その後、小グループの代表に今回の箇所の中心になる教えはどんな内容だと考えたか途中までの内容でも構わないので発表してもらいましょう。間違いなどありませんので自由に発表して下さい。ただし、持ち時間は2分以内です。この分級の時間はできるだけ多くの人に発言していただくために一回一人1分を目安に2分以内で発言ができるように全員で協力し合いましょう。
この方法のメリットは、より興味と問題意識を持ってリーダーの聖書の導きを聞くことができます。また、少し遅れて来た方にも聖書リーダーの話しに間に合うことができる利点があります。
・グループ分けは時間が短いですからできるだけ二人一組でしましょう。ただし、新来者やあまり不慣れな人たちだけにならないように工夫して下さい。
出 14:5-31
◆葦の海の奇跡
14:1 主はモーセに仰せになった。
14:2 「イスラエルの人々に、引き返してミグドルと海との間のピ・ハヒロトの手前で宿営するよう命じなさい。バアル・ツェフォンの前に、それに面して、海辺に宿営するのだ。
14:3 するとファラオは、イスラエルの人々が慌ててあの地方で道に迷い、荒れ野が彼らの行く手をふさいだと思うであろう。
14:4 わたしはファラオの心をかたくなにし、彼らの後を追わせる。しかし、わたしはファラオとその全軍を破って栄光を現すので、エジプト人は、わたしが主であることを知るようになる。」彼らは言われたとおりにした。
>>>神はイスラエルの民を引き返させられる。なんとエジプト軍を神が挑発するためであり、神自らがエジプト軍を打ち破って、神の栄光を現し、エジプト人にイスラエルの神が主であることを今一度伝えるためにだめ押しとも言うべき神の御業を行われると告げる。
ここから今回の箇所
◆行くしかない!
14:5 民が逃亡したとの報告を受けると、エジプト王ファラオとその家臣は、民に対する考えを一変して言った。「ああ、我々は何ということをしたのだろう。イスラエル人を労役から解放して去らせてしまったとは。」
>>>人間は罪を一旦認めて反省した後、なんといとも簡単に心変わりをしてしまう存在でしょうか。私たちにも思い当たる経験があるのではないでしょうか。
14:6 ファラオは戦車に馬をつなぎ、自ら軍勢を率い、
14:7 えり抜きの戦車六百をはじめ、エジプトの戦車すべてを動員し、それぞれに士官を乗り込ませた。
14:8 主がエジプト王ファラオの心をかたくなにされたので、王はイスラエルの人々の後を追った。イスラエルの人々は、意気揚々と出て行ったが、
14:9 エジプト軍は彼らの後を追い、ファラオの馬と戦車、騎兵と歩兵は、ピ・ハヒロトの傍らで、バアル・ツェフォンの前の海辺に宿営している彼らに追いついた。
>>>ついに神の計画通りにエジプト軍はイスラエルに追いつきます。
14:10 ファラオは既に間近に迫り、イスラエルの人々が目を上げて見ると、エジプト軍は既に背後に襲いかかろうとしていた。イスラエルの人々は非常に恐れて主に向かって叫び、
14:11 また、モーセに言った。「我々を連れ出したのは、エジプトに墓がないからですか。荒れ野で死なせるためですか。一体、何をするためにエジプトから導き出したのですか。
14:12 我々はエジプトで、『ほうっておいてください。自分たちはエジプト人に仕えます。荒れ野で死ぬよりエジプト人に仕える方がましです』と言ったではありませんか。」
>>>心変わりをするのはイスラエルの民も同じでした。いとも簡単に生きる目的を忘れ、そして自分たちがだれの命令で今の行動を取っているのかを忘れ、目の前の困難に出会うと不平不満を言い始めるのです。
14:13 モーセは民に答えた。「恐れてはならない。落ち着いて、今日、あなたたちのために行われる主の救いを見なさい。あなたたちは今日、エジプト人を見ているが、もう二度と、永久に彼らを見ることはない。
14:14 主があなたたちのために戦われる。あなたたちは静かにしていなさい。」
>>>この2節の言葉をしっかりと胸に刻む必要があるのではないでしょうか。私たちの人生においても問われる言葉であり、信仰です。本気でこの言葉を自分の人生に当てはめ、主に信頼する者は幸いです。主の生きた御業を見て、体験し、実感することができるようになるからです。悪魔を象徴するエジプトの攻撃を恐れず、主の救いの御業を落ち着いて静かに霊の目で見る者たちは主の救いの御業を見ることができるという約束です。このような経験があれば分かち合いましょう。このような経験こそ人前で証ししましょう。
14:15 主はモーセに言われた。「なぜ、わたしに向かって叫ぶのか。イスラエルの人々に命じて出発させなさい。
14:16 杖を高く上げ、手を海に向かって差し伸べて、海を二つに分けなさい。そうすれば、イスラエルの民は海の中の乾いた所を通ることができる。
14:17 しかし、わたしはエジプト人の心をかたくなにするから、彼らはお前たちの後を追って来る。そのとき、わたしはファラオとその全軍、戦車と騎兵を破って栄光を現す。
14:18 わたしがファラオとその戦車、騎兵を破って栄光を現すとき、エジプト人は、わたしが主であることを知るようになる。」
>>>神は想定外の海の道を通って進むことを示します。神のご計画はこのようなものだと心得て置きたいと思います。私たちの常識とは違う戦い方であり、解決の仕方があるのだということを。
14:19 イスラエルの部隊に先立って進んでいた神の御使いは、移動して彼らの後ろを行き、彼らの前にあった雲の柱も移動して後ろに立ち、
14:20 エジプトの陣とイスラエルの陣との間に入った。真っ黒な雲が立ちこめ、光が闇夜を貫いた。両軍は、一晩中、互いに近づくことはなかった。
>>>イスラエルを導いていた雲の柱が民の後ろに移動し、エジプト軍との間に入り込みました。光が闇夜を貫いたという表現や切迫した状況を黙想しましょう。
14:21 モーセが手を海に向かって差し伸べると、主は夜もすがら激しい東風をもって海を押し返されたので、海は乾いた地に変わり、水は分かれた。
>>>すさまじい東風が起こり、海に渇いた場所が生じました。自然現象とは到底言えない出来事であることがここで語られています。川上の水が一時的に流れて来なかったというような出来事ではないのです。次の節の表現もそうですが、これは明らかに常識では有り得ないことが神の御手によって起こされているのです。
14:22 イスラエルの人々は海の中の乾いた所を進んで行き、水は彼らの右と左に壁のようになった。
14:23 エジプト軍は彼らを追い、ファラオの馬、戦車、騎兵がことごとく彼らに従って海の中に入って来た。
14:24 朝の見張りのころ、主は火と雲の柱からエジプト軍を見下ろし、エジプト軍をかき乱された。
14:25 戦車の車輪をはずし、進みにくくされた。エジプト人は言った。「イスラエルの前から退却しよう。主が彼らのためにエジプトと戦っておられる。」
14:26 主はモーセに言われた。「海に向かって手を差し伸べなさい。水がエジプト軍の上に、戦車、騎兵の上に流れ返るであろう。」
14:27 モーセが手を海に向かって差し伸べると、夜が明ける前に海は元の場所へ流れ返った。エジプト軍は水の流れに逆らって逃げたが、主は彼らを海の中に投げ込まれた。
14:28 水は元に戻り、戦車と騎兵、彼らの後を追って海に入ったファラオの全軍を覆い、一人も残らなかった。
14:29 イスラエルの人々は海の中の乾いた所を進んだが、そのとき、水は彼らの右と左に壁となった。
>>>この描写から分かることは、エジプト軍の方には海の水は流れ込み、彼らを飲み込んだが、イスラエルの民の場所は引き続き壁となって最後まで渡り終えることができたことが分かります。映画でしばしば脚色されているような自然現象ではないことを理解する必要があります。
14:30 主はこうして、その日、イスラエルをエジプト人の手から救われた。イスラエルはエジプト人が海辺で死んでいるのを見た。
14:31 イスラエルは、主がエジプト人に行われた大いなる御業を見た。民は主を畏れ、主とその僕モーセを信じた。
>>>神の御業の前に圧倒されたイスラエルの民の姿があります。そして主を心底恐れるに足りる出来事だったことでしょう。私たちはこのような御業を行うことができる神を信じているのです。神を礼拝する者の姿勢と信仰をもう一度正されて行きたいと思います。