出エジプト記13章17~22 節「遠回りの道」
総合テーマ 逆境の中でも神の導きに信頼する信仰
黙想のポイント
その1 彼らはどのように回り道をしながら旅をつづけたのでしょうか。地図をもとにイスラエルの民がカナンにたどり着くまでの旅路を確認しましょう。
その2 荒野での40年間、イスラエルの民を導いていくことになる雲の柱についてそれがどのようなものであったのか、またどのような役割と影響を与えたのか黙想しましょう。
★小グループでの話し合いと発表…これは西川口教会の水曜祈祷会で実際に行った手法です。イメージできる聖書リーダーは是非チャレンジしてみて下さい。(CSリーダー会でもまた説明致します。)
・今月はまず聖書を読んだすぐ後に二人一組ないし三人で今回の箇所のテーマを3分間話し合ってみましょう。いつも聖書リーダーの説き明しを先に聞く私たちですが、まず各自でテーマについて考えることも有意義です。その後、小グループの代表に今回の箇所の中心になる教えはどんな内容だと考えたか途中までの内容でも構わないので発表してもらいましょう。間違いなどありませんので自由に発表して下さい。ただし、持ち時間は2分以内です。この分級の時間はできるだけ多くの人に発言していただくために一回一人1分を目安に2分以内で発言ができるように全員で協力し合いましょう。
この方法のメリットは、より興味と問題意識を持ってリーダーの聖書の導きを聞くことができます。また、少し遅れて来た方にも聖書リーダーの話しに間に合うことができる利点があります。
・グループ分けは時間が短いですからできるだけ二人一組でしましょう。ただし、新来者やあまり不慣れな人たちだけにならないように工夫して下さい。
◆火の柱、雲の柱
13:17 さて、ファラオが民を去らせたとき、神は彼らをペリシテ街道には導かれなかった。それは近道であったが、民が戦わねばならぬことを知って後悔し、エジプトに帰ろうとするかもしれない、と思われたからである。
>>>本来ならば、カナンの地に変えるには地中海沿岸沿いにペリシテ街道を通っていくことが一番近道であり、通常2週間前後でカナンに戻ることができる道のりでした。しかし、男子だけでも60万人以上いたと言われるイスラエルの民が地域住民と争わずに平和に通過できると考えられる方法では到底なかったようです。神はイスラエルの民と地域住民の心の中までよくご存知でした。そして神は彼らの想像を遙かに超える方法と長い道のりを用意しておられたのです。
13:18 神は民を、葦の海に通じる荒れ野の道に迂回させられた。イスラエルの人々は、隊伍を整えてエジプトの国から上った。
>>>聖書巻末の地図などを参照して、イスラエルのたどった道を確認して下さい。シナイ半島の先の方に十戒を授かったとされるシナイ山もあります。この地域を中心にイスラエルの民はこれから40年間荒野で放浪することになるのです。
13:19 モーセはヨセフの骨を携えていた。ヨセフが、「神は必ずあなたたちを顧みられる。そのとき、わたしの骨をここから一緒に携えて上るように」と言って、イスラエルの子らに固く誓わせたからである。
>>>創世記の最後の箇所50章の終わりの部分にヨセフの遺体が防腐処理をされてミイラにされ、棺に納められたことが語られています。ヨセフもまた、先祖アブラハムたちから伝えられた神の預言を聞いて、それに対応したのかも知れません。
13:20 一行はスコトから旅立って、荒れ野の端のエタムに宿営した。
13:21 主は彼らに先立って進み、昼は雲の柱をもって導き、夜は火の柱をもって彼らを照らされたので、彼らは昼も夜も行進することができた。
13:22 昼は雲の柱が、夜は火の柱が、民の先頭を離れることはなかった。
>>>ここで昼と夜に登場する柱は二つの別のものと考える必要はありません。出エジプト記の最後40章の終わりの部分には臨在の幕屋の上に雲が覆って常に留まり、その間は民はその地に留まり、雲が幕屋から離れて民を扇動し始めたら民はそれについて行くという荒野での旅をカナンの地に入るまで続けていくことになります。その出エジプト記の最後の節40章38節の描写では、「旅路にあるときはいつも、昼は主の雲が幕屋の上にあり、夜は雲の中に火が現れて、イスラエルの家のすべての人に見えたからである。」とあるように、イスラエルを導いた雲の柱というのは中に火を宿していたと考えられます。日中は明るいためにその火が見えなかったようですが、夜になると雲の中に火が存在していたのが見えたのではないかと考えられます。
今回の箇所の最後である22節で夜は火の柱が民を離れることはなかったとは、そのような意味ではないかと考えられます。そして、荒野はとても日中過酷な暑さになる場所です。そのため、むしろ夜の涼しい時間帯に民は移動することがあったため、夜も移動したと書かれていると考えられます。いずれにしても、40年に渡ってこれから神は昼も夜もイスラエルの神を片時も離れずに民を常に守り、導かれたことが語られているのです。どのような過酷な環境の中にあっても、神自らがイスラエルの民を守り導きました。人生において、何が本当に大切なのかを考えさせられます。
私たちの時代や環境もいかに厳しくても、神は荒野のような環境の中で私たちを守り、導いて下さることのできる救い主です。主の導きに信頼して共に歩んで参りましょう。