出エジプト記1章1~21節「エジプトの苦難」
テーマ 約束の成就…どんな時にも約束を忘れず、果たしていかれる神
黙想のポイント1
その1 神の国と救いの約束の成就としての出エジプト記という視点で読んで行きましょう。
◆出エジプト記の出来事は創世記15章で神がアブラハムの信仰を義と認められた時に契約を交わし、カナン地方の土地をアブラハムの子孫に受け継がせる約束をされます。その際に神がアブラハムにされた預言に基づくものであることを念頭に置くと良いでしょう。
・創世記15:13 主はアブラムに言われた。「よく覚えておくがよい。あなたの子孫は異邦の国で寄留者となり、四百年の間奴隷として仕え、苦しめられるであろう。
>>>この時点ですでにいずれはアブラハムの子孫が他国に寄留し、そこで400年間奴隷として苦しまなければならなくなることが語られています。
15:14 しかしわたしは、彼らが奴隷として仕えるその国民を裁く。その後、彼らは多くの財産を携えて脱出するであろう。
>>>エジプトで起きて超自然的な事柄はすべて遙か以前から神が見通しておられたエジプトの非道に対する神の裁きが根底にあることが伺えます。そして、この時点ですでにイスラエルの民がエジプトを急いで出発する時にエジプトの民から多くの財宝を受け取って出発することになりますが、そのことまでもが詳細に預言されています。出エジプト記というのは、神がアブラハムに約束されたことを成就されていく物語だということができるのではないでしょうか。神がアブラハムの子孫をあらゆる危機の中でどう守り、導き、赦し、救われ、約束の地までたどり着かせられるのかという壮大な救いの物語なのです。
◆エジプトでのイスラエル人
1:1 ヤコブと共に一家を挙げてエジプトへ下ったイスラエルの子らの名前は次のとおりである。
1:2 ルベン、シメオン、レビ、ユダ、
1:3 イサカル、ゼブルン、ベニヤミン、
1:4 ダン、ナフタリ、ガド、アシェル。
1:5 ヤコブの腰から出た子、孫の数は全部で七十人であった。ヨセフは既にエジプトにいた。
1:6 ヨセフもその兄弟たちも、その世代の人々も皆、死んだが、
1:7 イスラエルの人々は子を産み、おびただしく数を増し、ますます強くなって国中に溢れた。
>>>民数記2章32節より少なくとも60万以上いたことが想定されています。
1:8 そのころ、ヨセフのことを知らない新しい王が出てエジプトを支配し、
1:9 国民に警告した。「イスラエル人という民は、今や、我々にとってあまりに数多く、強力になりすぎた。
1:10 抜かりなく取り扱い、これ以上の増加を食い止めよう。一度戦争が起これば、敵側に付いて我々と戦い、この国を取るかもしれない。」
1:11 エジプト人はそこで、イスラエルの人々の上に強制労働の監督を置き、重労働を課して虐待した。イスラエルの人々はファラオの物資貯蔵の町、ピトムとラメセスを建設した。
1:12 しかし、虐待されればされるほど彼らは増え広がったので、エジプト人はますますイスラエルの人々を嫌悪し、
1:13 イスラエルの人々を酷使し、
1:14 粘土こね、れんが焼き、あらゆる農作業などの重労働によって彼らの生活を脅かした。彼らが従事した労働はいずれも過酷を極めた。
>>>イスラエルの民が奴隷の身分に落ちていった背景にはイスラエルの民の驚異的な人口増加に恐れをなしたためであったことがわかります。エジプト人たちは巧妙に、抜かりなく彼らが国を脅かす存在にならないように国をあげて取り組んだものだったのです。
◆男児殺害の命令
1:15 エジプト王は二人のヘブライ人の助産婦に命じた。一人はシフラといい、もう一人はプアといった。
1:16 「お前たちがヘブライ人の女の出産を助けるときには、子供の性別を確かめ、男の子ならば殺し、女の子ならば生かしておけ。」
>>>とうとう来るところまで来てしまったという感じが致します。ついにエジプトの王は人口統制に着手し、生まれてくる男の子を巧妙に殺害する助産婦を送ろうと目論みました。しかし、それは神を畏れる助産婦たちによってうまくことが運びませんでした。
1:17 助産婦はいずれも神を畏れていたので、エジプト王が命じたとおりにはせず、男の子も生かしておいた。
1:18 エジプト王は彼女たちを呼びつけて問いただした。「どうしてこのようなことをしたのだ。お前たちは男の子を生かしているではないか。」
1:19 助産婦はファラオに答えた。「ヘブライ人の女はエジプト人の女性とは違います。彼女たちは丈夫で、助産婦が行く前に産んでしまうのです。」
1:20 神はこの助産婦たちに恵みを与えられた。民は数を増し、甚だ強くなった。
1:21 助産婦たちは神を畏れていたので、神は彼女たちにも子宝を恵まれた。
>>>この助産婦たちも神の憐みを受けたという一文にも希望が与えられます。しかし、全体的にはイスラエルに魔の手が及ぼうとしていました。イスラエルは大きな試練に次々に見舞われることになります。存亡の危機に直面すると言っても過言ではなりません。しかし、神の約束と御手はしっかりとイスラエルの上に置かれ続けていくことを出エジプト記は証言していくことになるのです。
◆神は執り成し祈る者たちを求めておられる
この神の力強い御手が働くためには重要な背景(準備)があることを理解して置く必要があります。神が御業を起こされる時には、必ず前もってそのために祈る者たちを立てられるということです。エジプトでのイスラエルの民の危機からの救いのために、神は冒頭で確認したように遡ること400年以上前からアブラハムに将来の民族危機のことを詳細に告げていました。それはソドムとゴモラの時と同様にアブラハムが執り成し祈ることによってソドムとゴモラに住んでいたおいのロト一家が神の御使い達の手によって無事救い出されたように、アブラハムに生涯子孫たちのために執り成しの祈りを積み重ねてもらうためだったと考えられないでしょうか。まだ子どもが一人も与えられていない時点で神はアブラハムに遠い未来の子孫に起きる存亡の危機のために祈るように要請されたのです。神には何でもお出来になり、必ず神は自分に子どもを授けて下さると信じたアブラハムです。神が言われたことがどんなに信じ難いことだったとしても信じたアブラハムですから、その際に彼の子孫が400年間奴隷として異国の地で苦しまなければならないと告げられた内容も真剣に信じたことでしょう。そしてそれ以降そのことを心に留めて祈り続けたと考えられるのです。
◆神は私たちにも祈りを要請されている
この聖書の箇所は今日の私たちにも語られている祈りの要請です。サタンが巧妙に抜かりなく人々を悪の奴隷に陥るように仕向けていきます。また、サタンは巧妙に抜かりなく民族と民族、国と国が争い、憎み、殺し合うように仕向けていきます。歴史がそれを証明しています。従って、私たちも神の約束と御業を信じて日本および世界の指導者たちのために執り成し祈りましょう。彼らが平和を実現するための最善の政治を実行していくことができる知恵と勇気と決断力が与えられるようにと。またそのための良き側近や協力者達と実行力が豊かに与えられるように祈りましょう。さらにはクリスチャンの中から将来有能な神の器が日本や世界のリーダー的位置について良いリーダーシップを発揮する者たちが与えられるように祈りたいと思います。アブラハムはそんな祈りを自分の役割と考えて祈り続けたのかも知れません。この世界の将来は今のクリスチャンたちの祈りによって大きく変わってくるのだと思います。共に国の指導者たちと世界平和とクリスチャンリーダーの増加のために熱く祈り合いましょう。