使徒言行録18章1~11節「わたしの民が大勢いる」
テーマ クリスチャンとして生きる信仰
黙想のポイント
1 孤独な伝道を強いられたパウロがコリントではどれほど協力者に恵まれたのか、そしてそれは彼にとってどれほど大切なことだったのか黙想しましょう。
2 コリントの信徒への手紙も時間が許せば参考のために目を通して置きましょう。異教社会の中でクリスチャンとして成長することの困難さが理解できる一助となります。
◆コリントで…前回のアテネの次の伝道地
18:1 その後、パウロはアテネを去ってコリントへ行った。
>>>コリントの町…ギリシャの国はわずか東西方向に8㎞の土地によってつながっている南北二つの地域によって成り立っている国でした。その境目にあったのがコリントの町でした。そのため、コリントは南北交通の要となる町で、商業も盛んな街でした。現在はここに運河が完成し、貨物船も通ることができるようになっています。この町は港町としても有名であり、風紀の乱れで悪名高い街であり、堕落した生き方を「コリント風に生きる」と表現されることもあったようです。このような街でパウロは異例の1年半に渡る伝道活動をすることになります。もっとも、このような街だったからこそ、コリント教会ではその後に様々な信仰上の問題が生じてパウロがコリントの信徒への手紙を書くことになりますが、いずれにしても今日までも存続し続けているこのような街でキリスト教会が誕生していくことになります。
18:2 ここで、ポントス州出身のアキラというユダヤ人とその妻プリスキラに出会った。クラウディウス帝が全ユダヤ人をローマから退去させるようにと命令したので、最近イタリアから来たのである。パウロはこの二人を訪ね、
>>>このユダヤ人のローマからの退去命令は紀元49年のことだと言われています。従って、この出来事はその頃ということになります。ここでその後度々パウロたちをサポートしていくことになるアキラとプリスキラというユダヤ人夫婦に出会うことになります。この夫婦がやがて若き伝道者アポロの育ての親になって行きます。今回の聖書教育誌の成人科シリーズを担当して下さっている松藤一作先生の解説も毎回参考になります。是非ご参照下さい。
18:3 職業が同じであったので、彼らの家に住み込んで、一緒に仕事をした。その職業はテント造りであった。
>>> 彼らはパウロと同じ天幕造りをする同業者だったようです。そのような点でも気が合ったのかも知れません。
18:4 パウロは安息日ごとに会堂で論じ、ユダヤ人やギリシア人の説得に努めていた。
>>>彼らのサポートを受けながらパウロの伝道が展開していきます。
18:5 シラスとテモテがマケドニア州からやって来ると、パウロは御言葉を語ることに専念し、ユダヤ人に対してメシアはイエスであると力強く証しした。
>>>そしてシラスとテモテの合流でいよいよ伝道活動が本格化して行きました。
18:6 しかし、彼らが反抗し、口汚くののしったので、パウロは服の塵を振り払って言った。「あなたたちの血は、あなたたちの頭に降りかかれ。わたしには責任がない。今後、わたしは異邦人の方へ行く。」
>>>しかし、ユダヤ人たちへの伝道はあまりうまく行かないどころか、やはり厳しい反抗にあったようです。そして、あらためて自分たちが異邦人伝道に重点を置く必要があることを改めて認識したようです。
18:7 パウロはそこを去り、神をあがめるティティオ・ユストという人の家に移った。彼の家は会堂の隣にあった。
>>>ここでユニークなのは、勢いよくユダヤ人の会堂を後にして決別宣言をしたパウロでしたが、彼が移り住んだのはなんと会堂の隣にあったティティオ・ユストの家だったということです。しばらく彼はそこを拠点に伝道をしていくことになります。
18:8 会堂長のクリスポは、一家をあげて主を信じるようになった。また、コリントの多くの人々も、パウロの言葉を聞いて信じ、洗礼を受けた。
>>>パウロの伝道は何人かのユダヤ人たちにも功を奏したようです。会堂長のクリスポ一家もそうでした。そしてその他多くのコリントの人々も信じてバプテスマを受けたことが語られています。ただし、コリントの信徒への手紙1章14・16節によるとパウロはコリントではクリスポとガイオとステファナの家以外には直接バプテスマを授けていないことが語られています。
18:9 ある夜のこと、主は幻の中でパウロにこう言われた。「恐れるな。語り続けよ。黙っているな。
18:10 わたしがあなたと共にいる。だから、あなたを襲って危害を加える者はない。この町には、わたしの民が大勢いるからだ。」
>>>ある夜、主からコリントの町に留まって神が目を留めておられる人々に引き続き福音を語り続けるように幻の中で励ましを受けます。
18:11 パウロは一年六か月の間ここにとどまって、人々に神の言葉を教えた。
>>>結局彼の伝道旅行の中でエペソについで2番目に長期滞在となる一年半に渡ってコリントの街で伝道しました。この背後には主の励ましと守りのほか、アキラとプリスキラ、シラスとテモテ、ティティオ・ユスト、クリスポなどの仲間が与えられていったことはどんなにパウロにとって励ましになったことでしょう。アテネでの孤独な伝道とは対照的です。コリントの街もまた今日の日本の伝道環境に似ているように思います。しかし、私たちにも主は豊かに共に伝道する仲間を与えて下さっていることに目を留め、感謝しながら共に伝道して参りましょう。