使徒言行録17章28~34節「アテネの宣教」
テーマ クリスチャンとして生きる信仰
黙想のポイント
1 アテネとはどんな都市なのか、まずは予備知識なしに黙想してみましょう。
2 パウロが福音を語る時にアテネで置かれていた状況と心境を黙想してみましょう。
15章以降のパウロたちの足取り…エルサレム会議後 ⇒ アンティオキアで報告 ⇒ パウロとバルナバ別行動 ⇒
16章デルベ・リストラ ⇒ テモテ同伴 ⇒ マケドニア人の幻 ⇒ フィリピ・投獄 ⇒
17章テサロニケでの暴動を逃れ ⇒ ベレアにも追いかけてくる迫害者たち・シラスとテモテ残る ⇒
◆アテネで
17:16 パウロはアテネで二人を待っている間に、この町の至るところに偶像があるのを見て憤慨した。
>>>アテネはローマ帝国随一の国際都市として有名でした。そこは同時に異教の様々な宗教が混在していた都市でもあり、偶像の数がアテネに住んでいた人口よりも多いと言われるほど、偶像が至る所に存在していたと言います。その光景をパウロは見て憤慨したのです。
17:17 それで、会堂ではユダヤ人や神をあがめる人々と論じ、また、広場では居合わせた人々と毎日論じ合っていた。
>>>アテネは言わば学術研究都市でした。人々が好んで議論をすることができる広場も存在していたようです。それでパウロは広場で議論している人々とも福音を語る機会に恵まれたと考えられます。
17:18 また、エピクロス派やストア派の幾人かの哲学者もパウロと討論したが、その中には、「このおしゃべりは、何を言いたいのだろうか」と言う者もいれば、「彼は外国の神々の宣伝をする者らしい」と言う者もいた。パウロが、イエスと復活について福音を告げ知らせていたからである。
>>>ここで登場する有名な哲学の二つの学派の特徴について大まかに説明します。
・エピクロス派…万物は偶然に存在するようになった。神々は存在するが、遠いところにいて人間に関心も持っていない存在。肉体的にも精神的にも快楽を追求した。
・ストア派…あらゆる存在の中に神がいると信じた。神の火の霊が宿って人間を活かすと信じた。運命はすべて神が定めておられると信じた。
このような考えを持つ議論好きの人々にパウロは福音を語ったのです。容易にはいかなかったことが想像できます。
17:19 そこで、彼らはパウロをアレオパゴスに連れて行き、こう言った。「あなたが説いているこの新しい教えがどんなものか、知らせてもらえないか。
17:20 奇妙なことをわたしたちに聞かせているが、それがどんな意味なのか知りたいのだ。」
>>>アレオパゴスとは「軍神マルス(火星)の丘」という意味の公開評議場のことです。重要な裁判もここで行われていたようです。パウロはそこで主だったアテネの指導的立場の人々に福音を語る機会が与えられたのです。
17:21 すべてのアテネ人やそこに在留する外国人は、何か新しいことを話したり聞いたりすることだけで、時を過ごしていたのである。
>>>このあと訪れることになるコリントの信徒へ宛てた手紙の中でⅠコリント1章22節「ユダヤ人はしるしを求め、ギリシア人は知恵を探します…」という言葉を語ったパウロの脳裏にはきっとアテネの人々があったのではないでしょうか。
17:22 パウロは、アレオパゴスの真ん中に立って言った。「アテネの皆さん、あらゆる点においてあなたがたが信仰のあつい方であることを、わたしは認めます。
>>>パウロは語っている相手の信仰心を褒めるところから始めていることに注目しましょう。どんな人と会話する時にも、まず相手の長所を探し、ほめる態度は参考になります。議論する場合の基本かも知れません。
17:23 道を歩きながら、あなたがたが拝むいろいろなものを見ていると、『知られざる神に』と刻まれている祭壇さえ見つけたからです。それで、あなたがたが知らずに拝んでいるもの、それをわたしはお知らせしましょう。
>>>この時代より約600年前にはやったペストの際に多くの偶像への祈りが捧げられ、この時にこれらの偶像が存在するようになったと言われます。
17:24 世界とその中の万物とを造られた神が、その方です。この神は天地の主ですから、手で造った神殿などにはお住みになりません。
>>>パウロの論点その一は、神は偶像に収まるお方ではないもっと大いなるお方だということ。
17:25 また、何か足りないことでもあるかのように、人の手によって仕えてもらう必要もありません。すべての人に命と息と、その他すべてのものを与えてくださるのは、この神だからです。
>>>論点その二は、命を始め、すべて人間に必要なものを備えて下さる関わりを大切にされる神だということ。
17:26 神は、一人の人からすべての民族を造り出して、地上の至るところに住まわせ、季節を決め、彼らの居住地の境界をお決めになりました。
>>>論点その三、人間の生活を導き、支配しておられる神であるということ。
17:27 これは、人に神を求めさせるためであり、また、彼らが探し求めさえすれば、神を見いだすことができるようにということなのです。実際、神はわたしたち一人一人から遠く離れてはおられません。
>>>論点その四、神は本気で探し、求めれば、見出すことができる神だということ。
17:28 皆さんのうちのある詩人たちも、/『我らは神の中に生き、動き、存在する』/『我らもその子孫である』と、/言っているとおりです。
>>>ここでアテネ人にもなじみの詩人の言葉が引用されます。ここにも参考となる知恵がありそうです。できるだけ相手に分かる例話を取り入れている点などです。
17:29 わたしたちは神の子孫なのですから、神である方を、人間の技や考えで造った金、銀、石などの像と同じものと考えてはなりません。
>>>論点その五、偶像をことさらに大切にし、人間よりも価値あるものと考えてはならないこと。
17:30 さて、神はこのような無知な時代を、大目に見てくださいましたが、今はどこにいる人でも皆悔い改めるようにと、命じておられます。
>>>論点その六、キリストが登場するまでの時代は、神の御心に背く人々を大目に見ておられたが、キリストが到来した今、世界中の人々に神に立ち返るようにと招いておられるということ。
17:31 それは、先にお選びになった一人の方によって、この世を正しく裁く日をお決めになったからです。神はこの方を死者の中から復活させて、すべての人にそのことの確証をお与えになったのです。」
>>>パウロはイエス・キリストという言葉をあまり使わないで福音宣教していることに気づきます。これは果たしてそれで良かったのかどうか考えさせられます。実際にここではあまり顕著な回心は起きていないことも確かです。最も、最後までパウロは語ることができなかったことも理由のひとつとして考えられます。
17:32 死者の復活ということを聞くと、ある者はあざ笑い、ある者は、「それについては、いずれまた聞かせてもらうことにしよう」と言った。
>>>死んだ人が生き返ったというイエスの復活へとつなげる話しのところで人々は聴く耳と興味が半減したようです。一番肝心なところをパウロは語れなかったことになります。どんなに無力を感じたことでしょう。
17:33 それで、パウロはその場を立ち去った。
>>>この一文にパウロの無念さが伝わって来ます。議論を好み、いつも疑問を抱えたままの人々はいつになっても結論や決断に行きにくいのはどの時代も同じようです。
17:34 しかし、彼について行って信仰に入った者も、何人かいた。その中にはアレオパゴスの議員ディオニシオ、またダマリスという婦人やその他の人々もいた。
>>>しかし、ここでの宣教は全くの無駄ではなかったのです。確かな福音の種が芽生えだしていることが最後に語られています。パウロはアテネでは孤独に一人で宣教しなければなりませんでした。まだ、フィリピで受けた傷やこれまでの迫害による疲れも取れていなかったことでしょう。また、共に宣教する仲間の大切さ、教会の存在の意義を考えさせられる出来事だったことでしょう。それでもパウロは精一杯宣教し、主の御手が確かにそこにもあったことに希望を見出します。