使徒言行録11章19~30節「神の恵みを見て喜び」
テーマ 主イエスの視点でものごとを見る…
黙想のポイント
1 このアンティオキアでの出来事は世界伝道や教会形成を考える上でどのような意義があるでしょうか?
2 バルナバはどのようにアンティオキア教会で活躍したでしょうか?
◆アンティオキアの教会
11:19 ステファノの事件をきっかけにして起こった迫害のために散らされた人々は、フェニキア、キプロス、アンティオキアまで行ったが、ユダヤ人以外のだれにも御言葉を語らなかった。
>>>7章で語られるステファノの殉教の後、8章ではフィリポのサマリアでの福音宣教とエチオピアの宦官への伝道、9章のサウロの回心を間に挟んで10章ではペトロによるコルネリウスというカイサリアに住む百人隊長の一家への伝道が語られています。これらは最初のエルサレム以外の場所でのキリスト教伝道であったことと、異邦人への伝道であったことは間違いないことですが、彼らに共通していたことはすでに旧約聖書の教えをある程度知っていたことと、イスラエルに隣接した地域での伝道でした。また、コルネリウスという異邦人は自分の方から積極的に福音を聞きたいという思いを持っていた人でもありました。そのような意味ではまだ、キリスト教もユダヤ教も知らず、聖書に関心がない異邦人への伝道がアンティオキアで開始されたことの意義は大きいと言えます。
11:20 しかし、彼らの中にキプロス島やキレネから来た者がいて、アンティオキアへ行き、ギリシア語を話す人々にも語りかけ、主イエスについて福音を告げ知らせた。
>>>ここで伝道したのは名もなく、今日まで知られていないクリスチャンたちでした。しかしその功績は非常に大きかったと言えます。このような人たちを主が応援されないはずがありません。
11:21 主がこの人々を助けられたので、信じて主に立ち帰った者の数は多かった。
>>>聖霊の助けというよりも、主ご自身が積極的に彼らを助けて異邦人に働かれていることが伺えます。
11:22 このうわさがエルサレムにある教会にも聞こえてきたので、教会はバルナバをアンティオキアへ行くように派遣した。
>>>バルナバは4章では貧しい暮らしをしていた兄弟たちを助けたことが語られている人望の厚い人物。9章27節ではサウロがエルサレム教会の兄弟姉妹たちに受け入れられるように彼を弁護しています。
11:23 バルナバはそこに到着すると、神の恵みが与えられた有様を見て喜び、そして、固い決意をもって主から離れることのないようにと、皆に勧めた。
>>>バルナバやエルサレムにいたクリスチャンたちはまさに固い決意をもって主から離れないように努力している真っ最中でした。すぐにでもキリストの再臨が実現し、世の中が変えられると思っていた初代教会の弟子たちでしたが、それよりも早く大迫害が起こり、弟子たちは試練の中でも信仰を持ち続ける必要に迫られていました。バルナバはそのような体験からもこのようにアンティオキアの信徒たちを励ます必要があったのでしょう。
11:24 バルナバは立派な人物で、聖霊と信仰とに満ちていたからである。こうして、多くの人が主へと導かれた。
11:25 それから、バルナバはサウロを捜しにタルソスへ行き、
>>>バルナバがなぜサウロを選んだのか。異邦人とも付き合える人物で、かつ現地にいるユダヤ人たちにもキリストを説得できる聖書に精通した敬虔なユダヤ人、そして異教の世界でも迫害にめげずに勇敢に伝道を続け、あらゆる人々に福音を語ることができる人物。そのような人選にパウロが最善と考えたのかも知れません。また、ここで大事だと思わされることが、バルナバが一人ですべてを担おうとしなかったことです。彼は同労者との協力伝道が何よりも大切だということを理解していた人物でもありました。教会とはそのような理解を共通認識にもっている人々の集まりだということができます。私たちは互いに主のからだの一部として互いに協力しあって伝道し、入信間もない信者たちを育てる役割を主から託されています。バルナバのこのような判断と行動には今日の私たちの教会形成にも当てはめるべき大切な考えがあるのではないでしょうか。
>>>もともとサウロは9章30節によるとタルソス出身だったことが分かります。そしてバルナバがサウロを探した時、サウロは故郷へ行っていたことがわかります。そこでサウロは何をしていたのでしょうか。ここでは想像をするしかありませんが、あれほど信仰熱心な人間を育てることができたサウロの両親です。その親族もまた敬虔なユダヤ人たちだったことが考えられます。サウロにとって自分の親族にも主イエス・キリストを伝えることと、彼らに伝わる悪いうわさに対する誤解を解くことが大切だったに違いありません。サウロが故郷で大胆に福音を語り、親族たちに主イエスこそキリストであることを伝えていたことを想像することができます。
11:26 見つけ出してアンティオキアに連れ帰った。二人は、丸一年の間そこの教会に一緒にいて多くの人を教えた。このアンティオキアで、弟子たちが初めてキリスト者と呼ばれるようになったのである。
>>>アンティオキアは当時、ローマ帝国内で3番目に大きい都市であり、ローマ、アレキサンドリアに次ぐ国際都市でした。またアンティオキアは世界に聞こえた歓楽街を持っており、戦車競技、ダフネ神殿(巫女などとの性的行為も行われる施設も備わっている)などもあり、贅沢と不道徳で有名な都市でもあったようです。そのような環境が世界伝道の最初の拠点として神が選ばれた場所だということに感じるものがあります。また、そのような場所での福音宣教が実を結んで行ったことは歴史的にも大きな意義があるように思います。このような都市で福音が伝えられ、周りの人々からアンティオキア教会員が「クリスチャン=キリスト派の連中」という名称で認知されるようになったことは特筆に値するのではないでしょうか。現代に生きる私たちにも大きな励ましになります。
11:27 そのころ、預言する人々がエルサレムからアンティオキアに下って来た。
11:28 その中の一人のアガボという者が立って、大飢饉が世界中に起こると“霊”によって予告したが、果たしてそれはクラウディウス帝の時に起こった。
11:29 そこで、弟子たちはそれぞれの力に応じて、ユダヤに住む兄弟たちに援助の品を送ることに決めた。
11:30 そして、それを実行し、バルナバとサウロに託して長老たちに届けた。
>>>アンティオキア教会は大胆に伝道しながらも常に他の教会や世界で起きる災害のための協力伝道と被災地支援にも力を入れていたことが伺えます。現代の教会への様々な模範をアンティオキア教会に見ることができます。この背後にある献身者たちと主の働きに改めて感謝したいと思います。そして、私たちもその働きにこれからも遣わされて行きましょう。