ルカによる福音書22章24~30 節 「民に仕える指導者たち」
・今月のみことばの学びの視点…その1
与えられている財産を何に一番用いるべきか?
・今月のみことばの学びの視点…その2
何に時間を費やすことが最も大切か?
黙想のポイント1
・主の晩餐の席で弟子の裏切りの話しの直後にこの話しが登場するのは何故だろうか?前後の文脈に関係があるとすれば、どんなつながりがあるのでしょうか?
黙想のポイント2
・主イエスはどのような将来の御国を弟子たちと分かち合いたいと教えておられるのでしょうか?
今月は合わせて総合テーマとしてスチュワードシップについて御言葉から学んでいます。
主題聖句はペトロの手紙一4章10節
「あなたがたはそれぞれ、賜物を授かっているのですから、神のさまざまな恵みの善い管理者として、その賜物を生かして互いに仕えなさい。」
◆今回の箇所の直前の節…
22:23 そこで使徒たちは、自分たちのうち、いったいだれが、そんなことをしようとしているのかと互いに議論をし始めた。
>>>今回の箇所の直前には、だれかが主イエスを裏切るとの予告がなされます。そして弟子たちはそのことで互いに議論し始めたことが語られています。その流れから考えると、そんな裏切り者は同じ席に付くなどけしからんという話しが起こり、そんな人物がイエスの一番近くに座るなど、とんでもないことだと話しが展開し、今回の箇所につながるというふうに考えることもできるでしょうか。
◆いちばん偉い者
22:24 また、使徒たちの間に、自分たちのうちでだれがいちばん偉いだろうか、という議論も起こった。
>>>今日においてもそうであるように、主イエスの時代にも食卓に大勢が付く時には主人を真ん中にして次にその右に最も重要な人物が座り、左にその次に重要な者が、後は交互に同じようにして席が決められていくという具合に、主人に近いほど地位や重要度が高い人が座ることになっていたようです。従って、だれが一番偉いかという議論は、だれが主イエスのそば近くに座ることができるのかということと密接に関わっている可能性があります。
>>>興味深いことに、今回の箇所と非常に似ている展開を見せているのがマルコ10章やマタイ20章です。ただし、今回の箇所は主の晩餐の席上であるのに対して、後の二つはエルサレムに向かう途上の話しとなっています。そしてどちらも主イエスが受難予告をした後で、ヤコブとヨハネがイエスの左右に座らせてほしいとお願いした後に次のように語っています。マルコ10章…
10:42 そこで、イエスは一同を呼び寄せて言われた。「あなたがたも知っているように、異邦人の間では、支配者と見なされている人々が民を支配し、偉い人たちが権力を振るっている。
10:43 しかし、あなたがたの間では、そうではない。あなたがたの中で偉くなりたい者は、皆に仕える者になり、
10:44 いちばん上になりたい者は、すべての人の僕になりなさい。
10:45 人の子は仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのである。」
今回の箇所も同じようなことを主イエスは弟子たちに語ります。
22:25 そこで、イエスは言われた。「異邦人の間では、王が民を支配し、民の上に権力を振るう者が守護者と呼ばれている。
22:26 しかし、あなたがたはそれではいけない。あなたがたの中でいちばん偉い人は、いちばん若い者のようになり、上に立つ人は、仕える者のようになりなさい。
>>>長い間私は弟子たちが主イエスが間もなく捉えられて十字架に付けられてしまうというような大事な時にどうして「だれが一番偉いか」などと議論していたのだろうと不思議に思っていました。まるで主イエスの考えを無視しておのおの利己的な考えで互いに言い争っているように思えたからです。しかし、実際には弟子たちは単におのおの少しでも主イエスのみそば近くで役に立つ働きがしたいと純粋に願ってのことだったのかも知れないと思うようになりました。そんな彼らに対して主イエスは神の国におけるスチュワードシップについて語られたのが今回の箇所かも知れません。神の国で評価される人、高い位に付く人というのは、人の上に立つ人というよりも自分を犠牲にしてでも他の人のために自分が神から授かっている全ての能力を活用して仕える人だと主イエスは教えられたのではないでしょうか。
22:27 食事の席に着く人と給仕する者とは、どちらが偉いか。食事の席に着く人ではないか。しかし、わたしはあなたがたの中で、いわば給仕する者である。
22:28 あなたがたは、わたしが種々の試練に遭ったとき、絶えずわたしと一緒に踏みとどまってくれた。
22:29 だから、わたしの父がわたしに支配権をゆだねてくださったように、わたしもあなたがたにそれをゆだねる。
22:30 あなたがたは、わたしの国でわたしの食事の席に着いて飲み食いを共にし、王座に座ってイスラエルの十二部族を治めることになる。」
>>>ルカ福音書では弟子たちが主イエスと一緒に将来の御国で支配する者たちになることが預言されています。ただし、主イエスが語る支配者とは、国を支配するような支配者のことではなく、むしろホテルをオーナーから任される支配人のような存在ではないかと考えられます。支配人は自分に与えられた役割を果たすためにホテル全体に目を配り、各従業員がそれぞれの働きに専念できるように職務環境にも目を配り、ホテル全体として来客に最上のおもてなしができるように責任を持つのと一緒で、主イエスが勝ち取って下さる神の国においては、主イエスに忠実に仕え、他の人のために尽くして生きる者たちを最大限に一緒に用いて下さるとの約束ではないかと考えられます。
>>>新約聖書には他にも次のような教えもあります。
ロマ 12:10 兄弟愛をもって互いに愛し、尊敬をもって互いに相手を優れた者と思いなさい。
フィリ 2:3 何事も利己心や虚栄心からするのではなく、へりくだって、互いに相手を自分よりも優れた者と考え、 2:4 めいめい自分のことだけでなく、他人のことにも注意を払いなさい。
2:5 互いにこのことを心がけなさい。それはキリスト・イエスにもみられるものです。
>>>受難節にあたり、私たちが何に重きを置いて生きているのか問われる今回の御言葉です。主イエスに見られる生き方とはどんな生き方だったのか、へりくだり、他人を自分の命のように愛して下さり、自分の命を私たちのために犠牲にして下さった主イエス。このお方と共に互いに神から授かった人生における使命を正しく受け止めて今週も歩んで参りましょう。