イザヤ書65章17~25「喜び踊れ」
総合テーマ 神のみ言葉の確かさと力
・今月のみことばの学びの視点…その1 神が示される救い主とは
・今月のみことばの学びの視点…その2 神が望んでおられる救いとは
◆黙想のポイント
1.イザヤ書65~66章は新約聖書における黙示録のようなものです。どのような神の国が神の御手によって始まって行くのか黙想しましょう。
◆聖書箇所…
65:17 見よ、わたしは新しい天と新しい地を創造する。初めからのことを思い起こす者はない。それはだれの心にも上ることはない。
・この箇所が描写していることは、これまで私たちが住んで来たこの地上世界の常識や生活習慣とはまったく違った異次元の新しい神の世界に私たちは住むことが赦されるため、やがては現在のような私たちの住む世界はまったくの過去のものになるどころか、忘れてしまうほどそれは素晴らしいものとなることが語られているのではないでしょうか。聖書中に唯一似た場所があるとするならば、それはエデンの園に違いありません。
65:18 代々とこしえに喜び楽しみ、喜び躍れ。わたしは創造する。見よ、わたしはエルサレムを喜び躍るものとして/その民を喜び楽しむものとして、創造する。
・エルサレムとは神を礼拝する神殿があるところを象徴していることから、この表現は新しい天と地が到来した際の礼拝とそこに参列する者とがどれほど大きな幸せに包まれるかが表現されているように思います。
65:19 わたしはエルサレムを喜びとし/わたしの民を楽しみとする。泣く声、叫ぶ声は、再びその中に響くことがない。
・これまでの世界と全く違うことの一つに、泣く声=つまり悲しみが無くなること。そして叫ぶ声、不当な仕打ちや危険な目に遭う人がいなくなる=つまり平和で安全な世界に変わることが表現されています。
65:20 そこには、もはや若死にする者も/年老いて長寿を満たさない者もなくなる。百歳で死ぬ者は若者とされ/百歳に達しない者は呪われた者とされる。
・この箇所で「若死にする者」は口語訳や新改訳では「数日で死ぬみどりご」、「乳飲み子」となっています。従って、ここで表現されているのはもはや死別の悲しみをしなくて済む全く新たな世界が始まることが表現されているようです。
65:21 彼らは家を建てて住み/ぶどうを植えてその実を食べる。
65:22 彼らが建てたものに他国人が住むことはなく/彼らが植えたものを/他国人が食べることもない。わたしの民の一生は木の一生のようになり/わたしに選ばれた者らは/彼らの手の業にまさって長らえる。
65:23 彼らは無駄に労することなく/生まれた子を死の恐怖に渡すこともない。彼らは、その子孫も共に/主に祝福された者の一族となる。
・新しい世界での暮らしは安定し、戦争や戦争による他国からの占領もなくなることが語られています。この世では、自分が努力したことが必ずしも報いられません。しかし、かの世では自分の働きは決して無駄にならないことが表現されているとも考えられます。
65:24 彼らが呼びかけるより先に、わたしは答え/まだ語りかけている間に、聞き届ける。
・ここには私たちと主なる神との関係の近さが表現されています。いつでも主なる神は隣にいて下さる。まさしくインマヌエル(神、我らと共にいる)の名にふさわしい世界が到来することが約束されています。神の決意であり、約束として語られていることに注目したいと思います。
65:25 狼と小羊は共に草をはみ/獅子は牛のようにわらを食べ、蛇は塵を食べ物とし/わたしの聖なる山のどこにおいても/害することも滅ぼすこともない、と主は言われる。
・イザヤ書を始め、他の聖書の箇所でも登場する真の平和が実現した世界の表現がもう一度ここで登場します。すべての生き物が幸せに、平和に共存する世界こそ、神が最終的に目指して下さっている世界であることに希望と感謝を持って歩んで行きたいと思わされます。