列王記下13:14−21
キリスト者は聖書から神の御心を聴きとっていきたいという祈りをもって聖書を読む。しかし、聖書の中には「自分にどう語りかけられているのか分からない」箇所もある。本日の箇所もその一つかも知れない。
教案誌『聖書教育』は「建国記念日」のテーマに絡めてこの箇所を選んだようである。天皇の支配、「天皇によってこの国は成り立ったのだ」という神話が戦時中の日本にどのような事態をもたらしたのであろうか。日本で「信教の自由」が厳しく制限された時代があったことを想起し、学びのテーマとすることが提示されている。
既に学んできたように、エリシャとエリヤには相違がある。とりわけ、「王に対する関係」「政治との関わり」というところに大きな差異がある。エリヤは徹底して、北イスラエル王の「宗教に対する在り方」を厳しく問うた。一方、エリシャは王に対して協力的な立場にあった。エリヤは独りで王や王妃に対決したが、エリシャは「預言者集団」と共に活動した。イスラエルの歴史の中でこのような「預言者集団」は当然のことながら「神の戒め」に立っている。一方でイスラエルの王は国と国民を守るために隣国との戦争をせざるを得ないことが多い。ここで言及される「アラム」とは現在のシリヤにあたる。北イスラエル王国の北方に隣接しており、戦争と小康状態との繰り返しが続いていた。エリシャや預言者集団は神信仰に立ちつつ北イスラエル王に協力し、王の戦いにおける「助言者」の役割を担った。北イスラエルはアラムとの戦争において劣勢に立たされていた。列王記下13:3、7などには北イスラエルが軍事的に壊滅状態であった様子が記されている。その中で預言者は王に「この戦いは主のものだ」と進言し、鼓舞する役割を担っていたのである。
本日の箇所は、死期の迫ったエリシャと王ヨアシュの物語である。このところからも、エリシャが王にとっての軍事的な協力者であったことが分かる。エリシャを頼ってやってきた王に対し、エリシャは「弓と矢を取りなさい」と命じた(13:15)。 「弓と矢」は「戦力」を象徴するものである。続いてエリシャは「東側の窓を開け」、「矢を射なさい」と命じた(13:17)。「東側」とは敵国であるアラムの方向であり、エリシャは王に勝利を約束する。これは王に対する預言者からの一つの激励であると言える。
更にエリシャは王に「地面を射なさい」と命じた(13:18)。王はそのとおりにしたが、三度でやめた。するとエリシャは「五度、六度と射るべきであった」と叱責した。これは「徹底して戦え」という進言である。
我々はこの箇所から何を学べばよいのであろうか。ある人はこの箇所を「霊的に」解釈しようとする。「我々の敵は隣国ではないが、我々のうちにも霊的な戦いがある」という観点から、神の御心をこの箇所に求めていくという読み方である。また、『聖書教育』は「反面教師」としてのエリシャをとらえている。「宗教者は政治と一定の距離をとらなければならない」「王と預言者が一体になることはゆるされない」という観点から、この箇所に学んでいこうとしているのである。