紀元前9世紀頃に両王国を脅かしていたのはアッシリア王国であった(位置関係については新共同訳聖書巻末の「聖書地図 第一図」などを参照のこと)。ニネベを首都とするアッシリア王国は紀元前9−8世紀頃に強大な力を持ち、カナンの地域を圧迫した。そのため北イエスラエルと南ユダはいつまでも反目しているわけにもいかず、一応同盟を結ぶなどの策を講じた。当時、近隣他国においてもアッシリアに抵抗するために他国と同盟を結ぶのは通常の方策であった。北イスラエルの預言者であったエリヤが戦った女王イゼベルはフェニキアの出身である。北イスラエルの王アハブがフェニキアのシドン人の娘と結婚した(列王記上16:31)ということは、フェニキアとの同盟関係を結ぶためでもあったと考えられる。王アハブは聖書においてはイゼベルが持ち込んだカナンのバアル神に「進んで・・・仕え、これにひれ伏した。サマリアにさえバアルの神殿を建て、その中にバアルの祭壇を築いた。・・・またアシェラ像を造り、それまでのイスラエルのどの王にもまして、イスラエルの神、主の怒りを招くことを行った」(列王記上16:32−33)ということで「悪い王」と判断されているが、自国の危機の場面で隣国と関係を結んだということは、政治的には「有能な王」と評価されてしかるべきであろう。しかし、「列王記」はたとえ「王の列伝記」という要素を色濃く持っているとしても、「王を賞賛する」目的で記された文章ではない。あくまえも宗教的、信仰的な面から王を評価し、判断するのである。その主要な関心事は「王が主なる神とどのような関係を持っていたか」ということである。また「列王記」は「神の代弁者」として言葉と行動で神の存在と御心を示す働きを担った預言者たちが王たちに何をどう語ったかという点にも強い関心を示す。
「列王記」は最終的にバビロン捕囚期の末期に成立を見た。信仰的な面からイスラエルの歴史を語る諸資料 を最終的に編纂した人々は律法の書である「申命記」を編纂したのと同じ「申命記史家」と呼ばれる人々である。ユダの王ヨシヤ(歴代誌下34−35章)の臣下が神殿で「モーセによる主の律法の書」(歴代誌下34:14)を発見した。それは現在の「申命記」の一部であった。王ヨシヤはもう一度主なる神を信じ従う歩みをしたいと願い、宗教改革を行った、という経緯が聖書にも記されている。
繰り返し学んできたように、イスラエルの王は当然のことながら政治的に強大な権力を有した。しかし一方で預言者は王が「主なる神に対してどのように生きているか」ということを常に見張り、必要な事柄を語った。教会は現代において「預言者」の働きをしなければならないと言われる。すなわち「国家に対する見張り」の役割を担うべきであるということである。もちろん日本には「政教分離」の原則があり、国家には「人々が安寧に生活できるために」担う独自の役割がある。しかしその国家が精神的な面(良心、人権、信教の自由)を侵し始めた時、それに反対の声を上げていくのは教会の役目である。預言者による王批判は、「近隣諸国との関わりの中でイスラエルがどう生きていくか」という方向を選び取って行く中で、「近隣諸国と同盟を結ぶ」だけではなく「相手の国の宗教さえも持ち込む」ことによってイスラエルの信仰が曖昧にされていくことへの批判である。王は民の先頭に立って神の戒めに応答すべく国を指導するべきであるのに、かえって律法を曖昧にし、民の信仰生活を希薄にしていった。それに対して預言者は批判の声をあげていたのである。
統一王国分裂後の北イスラエルと南ユダは、その時々の情勢により妥協や同盟をせざるを得ない場面にも立たされた。やがて北イスラエルは紀元前722年にアッシリアに滅ぼされ領土を奪われた。アッシリアは約200年後にバビロニアに覇権を奪われた。一方の南ユダは、前述の「ヨシヤの宗教改革」で評価を受ける部分もあったが、周辺の強大国(アッシリア、バビロニア、エジプトなど)に翻弄され、ヨシヤも帝国間の戦争に巻き込まれて戦死していった(歴代誌下35:20−25)。最終的に南ユダは完全に滅ぼされ「バビロン捕囚」の憂き目を見ることになった(紀元前587年・・・「嫌な」年、と覚える)。
捕囚期も様々な預言者が登場した。預言者と申命記史家は、「南ユダの滅亡」というこの悲惨な出来事を「民の不信仰」「罪に対する神のさばき」と評価した。アッシリアもバビロニアも神の御手の中にある。主なる神はイスラエルの民だけの神ではない。イスラエルの民を裁いた神は、そのためにアッシリアやバビロニアを用いた。神はイスラエルの民に、神の愛を思い起こし立ち返るように「悔い改めを迫った」のである。その時、神は民を祝福してくださるという希望の福音がそこには伴っている。預言者と申命記史家は、国家の厳しい時代にも民に悔い改めを呼びかけ神に立ち返るよう求め続けた。「列王記」は「王国の衰退と崩壊の物語」ではあるが、事実を記すことだけが編者たちの関心事ではない。バビロン捕囚期という、イスラエルの民の最も悲惨な時期に編まれたこの文書は「このような事が起こったのは民の不信仰の故だ」という評価が軸となっている。しかしそこには、常に預言者を通して民に語りかけ続けられた神の愛も同時に示されている。