ヨハネの黙示録 4章1-11節「 天の玉座に座っておられる方 」
総合テーマ 神様のこれからのご計画
…すぐにも起こるはずのこと…そしてすでに始まっていること…
黙想のポイント1
・今回の箇所は特に想像の翼を広げてじっくりと天の情景を思い浮かべながら理解を深めていくと良い箇所です。天の神の御座の情景とそこに座られる創造主(=イエス・キリスト)を想像しましょう。
黙想のポイント2
・ここで行われる礼拝の質の高さに思いを向けましょう。私たちもその礼拝に招かれていることへの畏れと感謝が湧きあがって来ます。
◆天上の礼拝
4:1 その後、わたしが見ていると、見よ、開かれた門が天にあった。そして、ラッパが響くようにわたしに語りかけるのが聞こえた、あの最初の声が言った。「ここへ上って来い。この後必ず起こることをあなたに示そう。」
>>>天の門が開かれていることを黙想して見て下さい。…いつ開かれたのでしょうか?だれが開けたのでしょうか?イエス・キリストでしょうか?この門は閉じられるのでしょうか?10人の花嫁のたとえのように閉じられる時が来るのでしょうか?など…様々な想像からこの箇所は豊かに広がります。
>>>ラッパが響き渡ります。…さぞ大きな心地よい響きが天の世界に広がることでしょう。ラッパには昔から二つの大切な働きがあります。ラッパで遠くまで合図を送ることと、音楽として用いられることです。ヨハネに語りかける声はさぞ威厳に満ちて天の世界に澄み渡ったことでしょう。
>>>今後起こるかもしれないことではなく「この後必ず起こる」こととして語られています。
4:2 わたしは、たちまち“霊”に満たされた。すると、見よ、天に玉座が設けられていて、その玉座の上に座っている方がおられた。
>>>たちまちヨハネは霊に満たされたと語られています。天の特別な世界、それはまた玉座がある場所が視界に入る場所です。霊に満たされないでは、到底近づくことも、恐らく耐えることもできない場所なのではないでしょうか。私たちが当たり前のように日々浴びている太陽光線ですが、実は地球の厚い大気層によって様々なものが遮断され、薄められて届いています。太陽から約1億5千万km離れていると言われる地球ですが、それでも一歩地球圏外に出ると宇宙服で守られない限り私たちの生身の体は強烈な太陽光線には耐えられません。また、強力な保護眼鏡なしには直視することなどできません。玉座の周りを飛び回るというセラフィムという六つの翼を持つ天の生き物も4つの翼を持って全身を保護しなければ玉座の周りを飛ぶことができませんでした(イザヤ書6章参照)。聖霊は私たちが神に近づくことを手助けして下さる、必要不可欠の助け主です。ヨハネが聖霊に満たされたとは、このような一面もあったのではないでしょうか。
>>>玉座に座っておられる方とは、ヨハネ黙示録および聖書全体の情報を集めるならば、それがイエス・キリストを指し示していることがお分かりいただけると思います。この世界はイエス・キリストのご性質が用いられて造られた世界であり、この世界ができる前からイエス・キリストは存在しておられたお方だと聖書は証言しています。
4:3 その方は、碧玉や赤めのうのようであり、玉座の周りにはエメラルドのような虹が輝いていた。
>>>豊かな色彩に富んだお方が御座におられることが表現されています。この章はラッパの音から始まり、視覚的にも豊かな世界が展開して行きます。(宝石の解説は聖書教育参照)
4:4 また、玉座の周りに二十四の座があって、それらの座の上には白い衣を着て、頭に金の冠をかぶった二十四人の長老が座っていた。
>>>24人の長老の色彩は対照的に単純ではありますが、白い衣を着て、金の冠を被った人々が玉座の周りにいたことがわかります。その白さや金の輝きも、地上とは比べられないほどの純白と輝く金の色だったことを想像します。また、この長老たちが24人いた理由については様々な解釈がありますが、イスラエルの十二部族と十二弟子で代表されるイスラエルと異邦人の両方の代表を表現しているとする解釈。あるいは神殿祭儀が24組に分けられて礼拝が行われていたことから、礼拝を司る人々を象徴しているとする説もあります(歴代誌上24章参照)。
4:5 玉座からは、稲妻、さまざまな音、雷が起こった。また、玉座の前には、七つのともし火が燃えていた。これは神の七つの霊である。
>>>御座がある世界の空間的な広さが際立ちます。また、重厚な響きの音や光とともし火などの色彩も表現されています。ここでは7という数字が登場します。これらの数字については後でまとめて考えます。
4:6 また、玉座の前は、水晶に似たガラスの海のようであった。この玉座の中央とその周りに四つの生き物がいたが、前にも後ろにも一面に目があった。
>>>玉座の前には広範囲の表現しがたい海のような場所があるようです。そしてその周りに4つのこの地上には存在しない生き物が登場します。それらの生き物の全身が目で覆われているのを想像するのは、少し気味が悪いくらいですが、人間が二つの目で見ることが可能な範囲が僅かであるのに対して、それらの生き物たちによって全世界が余すところなく視野に入れられていることが表現されていると解釈すると良いのではないでしょうか。あらゆる時代と民族と人の心の中の次元までも見通す目が神の御元にあるということです。
4:7 第一の生き物は獅子のようであり、第二の生き物は若い雄牛のようで、第三の生き物は人間のような顔を持ち、第四の生き物は空を飛ぶ鷲のようであった。
>>>聖書教育誌にも解説されている通り、旧約聖書のエゼキエル書などにも類似の表現が登場しますが、セラフィムのように六つの翼を持っている生き物です。
4:8 この四つの生き物には、それぞれ六つの翼があり、その周りにも内側にも、一面に目があった。彼らは、昼も夜も絶え間なく言い続けた。「聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな、/全能者である神、主、/かつておられ、今おられ、やがて来られる方。」
>>>彼らが口にする賛美は第一に聖なるかな、第二も第三も聖なるかなです。そう繰り返さざるを得ないほど玉座におられるお方は表現しえないほどに聖なるお方だということが伝わって来ます。
4:9 玉座に座っておられ、世々限りなく生きておられる方に、これらの生き物が、栄光と誉れをたたえて感謝をささげると、
4:10 二十四人の長老は、玉座に着いておられる方の前にひれ伏して、世々限りなく生きておられる方を礼拝し、自分たちの冠を玉座の前に投げ出して言った。
>>>すべてが神の御前においては色あせてしまうほど神の現臨。そして、神の御前には自分の最も栄誉となるような金の冠さえも、神の御前に差出さざるを得ないほどの桁違いの主イエス・キリストの存在価値が表現されています。神である主イエス・キリストがおられるところ、そこが礼拝の場になるのです。
4:11 「主よ、わたしたちの神よ、/あなたこそ、/栄光と誉れと力とを受けるにふさわしい方。あなたは万物を造られ、/御心によって万物は存在し、/また創造されたからです。」
>>>キリストと共にいることが赦されることの絶大な価値と幸福について、魂を込めて賛美する天における礼拝をヨハネは垣間見ることが赦されました。私たちもその一員になる希望が与えられています。
*なお、この箇所には24、7、4というような特別な数字が登場します。これらの意味には諸説がありますが、今回私の心に特に響いた理解とは、24は一日を現す時間の単位であり、日本にいる者にとっての24時間と地球の各地にいる者の24時間はそれぞれに違っていて、朝を迎えるところもあれば、昼、夜、深夜を迎えているところもあります。24人の長老はそれぞれの時間を覚えて執り成し祈り続けて下さっている方々の代表として受け取りたいと思います。また、7と言う数字は一週間を現す単位です。「神の7つの霊」とは、神が7人存在するということではなく、一週間の一日一日を特別な日として祝福し、導かれる神の姿が表現されているものとして受け取りたいと思います。そして4とは、一年の四季として理解し、天における礼拝を中心にした世界は、永遠の時間が流れてはいるものの、常に新鮮で特別な24時間であり、一週間であり、一年であることが表現されているのではないでしょうか。この世界の現実に目を向けると、永遠に礼拝するなど、いつか飽きが来るのではないかと考えてしまう私たちですが、それは取り越し苦労だとこの箇所を通して考えさせられます。だれもが、これこそ永遠に味わい続けたかった世界だと思える場所、それが神が用意しておられる変化に富んだ天における礼拝の場だと示されます。