ヨハネによる福音書8:48-59
ヨハネは「主イエスは誰なのか、どういう方なのか」というテーマに対し、「神である」「神の子である」「永遠にいますところの神である」「人となられた神である」と繰り返し語る。それらは本当に神を信じているはずのユダヤ人でさえなかなか信じられないようなことであった。ここでも主イエスは言葉を重ねながら自分を証ししている。
ユダヤ人たちは「あなたはサマリア人で悪霊に取りつかれている」(48節)と語った。「サマリア人」はもともとイスラエルに属する民族であるが、紀元前8世紀に彼らの属した北イスラエル王国はアッシリアに滅ぼされてしまった。人々は捕囚にとられたのと同時に、サマリアの地に異民族が流入した。そこでサマリア人と異民族の結婚がなされるようになっていく。血筋や血統を尊ぶユダヤ人たちは、このような「雑婚」を嫌い、軽蔑した。主イエスに投げつけられた「あなたはサマリア人」という言葉は、軽蔑の言葉だったのである。かつては日本でも他国の人と結婚する人を特異な目で見るような風習があった。同じようにどこかで血筋や血統を重んじ誇りにする思いがあったのかもしれない。そのようなものを優先的に大切にすると、差別や蔑視が生まれやすい。最近では「血筋、血統」よりも「家庭」が大切にされる方向にあり、他国の人との結婚も普通になった。「一人一人の人権と命」を大切にしていくのが歴史の進歩の姿である。それに対して「自国の血統や伝統を大事にしろ」と叫ぶ極端なナショナリズムの風潮もある。その中で「ヘイトスピーチ」という形で他国の人に侮蔑の言葉が投げつけられることがある。悲しいことである。「表現の自由」を盾に取り、このような風潮が許容されやすくなっている。日本が他国を侵略し人々の命や人権を無視したような出来事に対し、それを認めようとすることを「自虐史観」と非難し、「皇国史観」を主張する人々がいる。彼らはその信念に基づく教科書を作り、そこから日本による侵略の歴史などを削除しようとする。我々は今もなお、そのような動きに注意しなければならない。良い意味での「愛国心」は大切である。しかし、「愛国心」というものはしばしば他国や他民族を侮蔑するものになりやすい。「愛国心」の内に「自分たちの国を一つのものでまとめていこう」という面があると、そこが問題になってくる。聖書の中に「ユダヤ人」と出てくるとき、他人事として読むのではなく、自分の事柄として読むことが求められる。
「悪霊に取りつかれている」(48節)という表現は、別の箇所にも出てくる(7:20、10:20など)。ユダヤには、例えば「病気をすること」を「悪霊に取りつかれている」と理解する伝統があった。主イエスご自身もそのように言われ続けた。
そのような差別的な風潮に対して「否」を突きつけ、そこから解放してくださるのが主イエスである。人々の言葉に反論してお答えになった。「父を重んじている」(49節)とは、主イエスが「父なる神との関係の中に生きている」ということである。それゆえ、ご自身は父なる神に反抗する「悪霊」に取りつかれているのではないし、「悪霊」の力で何かをしているわけではない、という主イエスの自己弁明の言葉である。
主イエスは「自分の栄光は求めていない」(50節)と言われた。主イエスは、人から受ける「栄光」は求めておられないのである(cf., 5:41)。それゆえ、人々がご自身についてどのように言おうとも、主イエスはそれを少しも問題にされない。父なる神が主イエスの栄光を求め、主イエスを通して裁きのわざをなさるのである。
「はっきりいっておく。わたしの言葉を守るなら、その人は決して死ぬことがない」(51節)と主イエスは言われた。主イエスの言葉を「守る」とは、主イエスの言葉を「聞く」ことであり、ヨハネはそのことを繰り返し語っている。この「わたしの言葉」という語は単数形で記されている。「諸々の主イエスの教え」ということではなく、この「言葉」とは主イエスという御方そのものを指すのである。主イエスという御方そのものを信じ従う者は、「決して死ぬことがない」と言われている。それは肉体的な意味ではなく、「永遠の命」に関する事柄である。「永遠の命」とは繰り返し学んできたように、「神との交わりによって与えられる命」のことである。神との交わりに生きる者には、将来的に「死んだら復活する」ということだけではなく、既に与えられているのが、この「永遠の命」である。「永遠の命」を頂く者を、死の力は支配し滅ぼすことができない。「永遠の命」を頂く者は既に死の力に勝利し、死を乗り越えているので、死に脅かされることがないのである。
しかしこれらの言葉を聞いたユダヤ人たちは、「死ぬことがない」という意味が理解できなかった。「アブラハムは死んだし、預言者も死んだ」(52節)からである。彼らは「いったい、あなたは自分を何者だと思っているのか」(53節)と主イエスに詰め寄った。主イエスの言葉を信じられない者にとって、主イエスは「誇大妄想する者」「神を冒涜する者」でしかなかったのである。自分を「神の子」と称する者は、ユダヤ人たちにとっては「狂人」である。主イエスが「神の子」であるということは、論理的に知性のみをもって信じたり証明することができない、「信仰の世界」「霊の世界」の事柄である。そのことに対して目が開かれない限り、我々は「主イエスは神の子である」と言うことができない。それを信じることがあるならば、それは神の導きによるのであり、またそれは奇蹟以外の何物でもない。それゆえ、この箇所を読む者は「なぜ、ユダヤ人たちは分からないのだろう」などとは言えないのである。
主イエスはご自身と父なる神の関係をもう一度語られた(54節)。そして父なる神について「あなたたちはその方を知らないが、わたしは知っている」(55節)と言われた。原語では、ここでユダヤ人たちが父なる神を「知らない」という語と、主イエスが「知っている」という語は別の語を用いている。「知識として知る」という語と「人格的に知る」という語は、ギリシャ語では区別されているのである。ユダヤ人たちは「神はわたしたちの神だ、その神はこういう方だ」というように、「~について知っている」という仕方で神を知っていた。一方、主イエスが父なる神を「知っている」とは、主イエスが「父なる神との生きた関係の中にある」ことを指している。我々も神との人格的な交わりの中で、神の言葉を聞き、祈り、御心に従い、神に信頼して生きるところで、主イエスのような意味で神を「知る」ようになるのである。
「わたしたちの父アブラハムよりも、あなたは偉大なのか」(53節)というユダヤ人たちの問いに対し、主イエスは「あなたたちの父アブラハムは、わたしの日を見るのを楽しみにしていた。そして、それを見て、喜んだのである」(56節)という言葉をもってお答えになった。「わたしの日」とは、主イエスがこのようにご自身をあらわされ、この世に来られ生きられた「日」のことである。アブラハムは自分の子孫からやがてメシアがあらわれ、全ての民が祝福されるという約束を受け、信じ、待望しながら、その「日」が到来した時に天において喜びにあふれたのである。
しかしユダヤ人たちはその言葉に反発した。「五十歳」(57節)とは、ユダヤ社会では「円熟」を示す年齢であり、反対に言えば「まだ五十歳にもならないのに」というのは、「未熟である」ということを意味するのである。そのように未熟な者がアブラハムよりも偉いような物の言い方をする、ということで彼らは立腹した。
それに対し、主イエスは「はっきり言っておく。アブラハムが生まれる前から、『わたしはある』」(49節)と言われた。この「わたしはある」という表現については以前にも学んだ。出エジプトの出来事の中で神が語られた「わたしはある」(3:14、文語訳では「ありてある者」)とは、「全ての存在をあらしめる存在」という意味である。この「わたしはある」という表現の意味が、ユダヤ人たちには分かった。主イエスが「わたしはある」という表現を用いて「神と等しい者」としてご自身を宣言されたがゆえに、彼らは「石を取り上げ、イエスに投げつけようとした」(59節)のである。アブラハムは、歴史の中に生きて死んだ。しかし主イエスは永遠から永遠にわたっておられる方であると、聖書は我々に語る。「わたしはアルファであり、オメガである」(黙示録21:6)という言葉があるが、ギリシャ語の最初の文字が「アルファ」、最後の文字は「オメガ」であるということから、「永遠」ということを指し示す表現である。主イエスが「永遠におられる神である」ということは、キリスト教会の歴史の中でも容易に信じられ受け入れられたわけではなかった。様々なキリスト論が主張されてきたが、やはり聖書に基づいて「イエスは神の子である」と告白する信仰が正統の信仰となっていった。現在でもキリスト教を名乗りつつ「イエスを神の子とは信じない」宗教が存在する。しかし聖書は「イエスは神の子である」ということを書き続けている(ヨハネ20:30-31)。そのことは人間の思いからすれば信じがたいことである。しかし、信じることで神との交わりの中に生かされることが可能となる。我々はその恵みの中で証しをし続けなければならない。