2018年11月14日 聖書研究要旨 「荒れ野でも 谷間でも」イザヤ書63章7節~19節
教会音楽スタッフ 山嵜美奈
本日はイザヤ書63章からみ言葉をききます。聖書教育誌(15頁参照)によると、この時代は必ずしもバビロン捕囚から帰還した人々にとって、平安な状況ではなかったようです。
「バビロンから帰還した人々を待っていたのは、同胞の敵意と妨害でした。彼らがバビロンに抑留されている間に、残された同胞は抑留者の土地を自分のものとしてしまいました。・・(以下略)」つまり、帰還した人々は跡形もなく無残にも破壊された神殿を目の当たりにし、さらに自分たちの土地や家もない状況に直面します。「さらにやっとのことで神殿再建をなしとげたものの、彼らの日ごとの生活は好転せず、社会的環境も見通しがたちませんでした。」まさに「希望がとん挫し、先行きの見えない時代」といった状況といえるでしょう。そのような状況のなか、主を慕い求める祈りが生まれます。
63:7 わたしは心に留める、主の慈しみと主の栄誉を/主がわたしたちに賜ったすべてのことを/主がイスラエルの家に賜った多くの恵み/憐れみと豊かな慈しみを。
>>前述のような不安な状況の中でありながら、心を込めて主に感謝の祈りをささげます。これほどまでの感謝を、私たちは言い表したことがあったでしょうか。困難のさなかにあってこそ、なお心込めて主に祈ることの大切さを教えられます。「心に留める」とは、言い換えれば「心に刻んで忘れることは決してありません」ということでしょう。
63:8 主は言われた/彼らは私の民、偽りのない子らである、と。/そして主は彼らの救い主となられた。63:9 彼らの苦難を常にご自分の苦難とし/御前に仕える御使いによって彼らを救い/愛と憐れみをもって彼らを贖い/昔から常に/彼らを負い、彼らを担ってくださった。
>>63:7の祈りに答えて、主はイスラエルの民をわが子とし、「主は彼らの救い主」となられます。主は決して彼らをお見捨てにはなりません。主は民の苦難を共に苦しみ、民を救ってくださいます。ここに主の深い愛が示されます。また、63:9にある「愛と憐れみをもって彼らを贖い」「彼らを負い、彼らを担ってくださった」という表現に、思い起こされるお方がないでしょうか。さらに、「昔から常に」と、意図的に行間をあけて書かれている言葉の意味を考えてみましょう。
63:10 しかし、彼らは背き、主の聖なる霊を苦しめた。主はひるがえって敵となり、戦いを挑まれた。
>>これほどまでに恵みを与え、共に歩んでくださる主に対するイスラエルの民の裏切り、そして背き。それによって主なる神が心を痛められたことが切ないほどに伝わってきます。
63:11 そのとき、主の民は思い起こした/昔の日々を、モーセを。/どこにおられるのか/その群れを飼うものを海から導き出された方は。/どこにおられるのか/聖なる霊を彼のうちにおかれた方は。63:12 主は輝く御腕をモーセの右に伴わせ/民の前で海を二つに分け/とこしえの名声を得られた。63:13 主は彼らを導いて淵の中を通らせられたが/彼らは荒れ野を行く馬のように/つまずくこともなかった。63:14 谷間に下りて行く家畜のように/主の霊は彼らを憩わせられた。/このようにあなたは御自分の民を導き/輝く名声を得られた。
>>「自ら主から離れ、苦境に立たされた民が思い起こしたのは、出エジプトの出来事でした。」(聖書教育65頁より)「谷間に下りて行く家畜のように」(63:14)とは、水を求めて谷間の水辺に下りて行く家畜を見守り、憩わせる羊飼いの姿が、民を見守る主の姿としてあります。モーセの活躍は主なる神によってこそなされ、また主はイスラエルの民と常に共に歩まれ、見守ってくださった、そのように主はわたしたちと親密な関係であった、と。今こそ民は主に呼びかけます。「どこにおられるのか」と。
63:15 どうか、天から見下ろし/輝かしく聖なる宮からご覧ください。/どこにあるのですか/あなたの熱情と力強い御業は。/あなたのたぎる思いと憐れみは/抑えられていて、わたしに示されません。63:16 あなたはわたしたちの父です。/アブラハムがわたしたちを見知らず/イスラエルがわたしたちを認めなくても/主よ、あなたはわたしたちの父です。/「わたしたちの贖い主」/これは永遠の昔からあなたの御名です。
>>民の心からの嘆願がここにあります。バビロンから帰って来たイスラエルの捕囚の民を待っていたのは、同じイスラエルの民でありながら、イスラエル人として迎えてもらえない、「故郷を失った人々」の立場でした。63:16にある、「アブラハムが私たちを見知らず、イスラエルが私たちを認めなくても」という表現は、彼らの心をもっとも傷つける切実な問題を浮き彫りにするものであったことでしょう。それでもなお、「主よ、あなたはわたしたちの父」「わたしたちの贖い主」と信仰を力強く告白します。
63:17 なにゆえ主よ、あなたはわたしたちを/あなたの道から迷い出でさせ/わたしたちの心をかたくなにして/あなたを畏れないようにされるのですか。/立ち帰ってください、あなたの僕たちのために/あなたの嗣業である部族のために。
>>民の背きを誰より悲しみ、ひたすら民の「立ち帰り」を求め、待っていた主に対し、今度は民が「立ち帰ってください」と懇願する興味深い表現がここにみられます。
63:18 あなたの聖なる民が/継ぐべき土地をもったのはわずかの間です。/まもなく敵はあなたの聖所を踏みにじりました。63:19 あなたの統治を受けられなくなってから/あなたの御名で呼ばれないものとなってから/わたしたちは久しい時を過ごしています。/どうか、天を裂いて降ってください。/御前に山々が揺れ動くように。
>>バビロン捕囚によって主の神殿を破壊されたことは、イスラエル民族全体に、この上ない衝撃をあたえました。古代世界において、民族間、国家間の戦いは、同時に神と神との戦いを意味したともいわれています。イスラエルの民が出エジプトののち、カナンの地に定住した、まさに主の祝福の出来事を、「わずかの間」と表現させてしまう程。さらに、「あなたの統治をうけられなくなってから」「あなたの御名で呼ばれないものとなってから」「わたしたちは久しい時を過ごしています」(63:19)という表現に、我々がすっかり神から見放されてしまった、共に歩んで下さった主なる神はもういない、という民の渇きがあります。63:19後半には、「どうか、天を裂いて降ってください。/御前に山々が揺れ動くように」と、主の臨在を切に願う民の希求があります。
今回の箇所を通して、私たちはなにを御言葉からきくことができるでしょう。この祈りの言葉を通して、主に対する深い信頼を見る思いがします。そして、主に望みをおき、決してあきらめずに、粘り強く祈り求める姿に、感動さえ覚えます。私たちの祈りはどうでしょうか。せわしないこの世にあって、あらためて主に向き合い、心から静まって主と語る祈りを心掛けてはいかがでしょうか。
※『聖書教育』誌は日本バプテスト連盟発行の教会学校教案誌です。詳細は下記のURLでご照会下さい。 http://www.bapren.com/index.html (『聖書教育』ホームページ)