西川口キリスト教会 斎藤 信一郎
総合テーマ 「神の忍耐と決断」
◆前回からの流れ
ノア家族と動物たちが箱舟から出ます。ノアが最初にしたことは祭壇を築いて神に最大限の感謝の礼拝を捧げることでした。立ち昇る燔祭の香りを嗅いだ神は、二度と同じように全世界を水で滅ぼさないことを誓います。今回の箇所はその誓いの後に続く神の言葉です。
黙想のポイント
・命である血の理解と神の祝福の対象について黙想しましょう。
◆祝福と契約
9:1 神はノアと彼の息子たちを祝福して言われた。「産めよ、増えよ、地に満ちよ。
9:2 地のすべての獣と空のすべての鳥は、地を這うすべてのものと海のすべての魚と共に、あなたたちの前に恐れおののき、あなたたちの手にゆだねられる。
9:3 動いている命あるものは、すべてあなたたちの食糧とするがよい。わたしはこれらすべてのものを、青草と同じようにあなたたちに与える。
>>>再びノア一家にアダムの時と同様に祝福と生き物たちを管理する責任、そして食糧についての指示が与えられます。ただし、今回はあらゆる動物を含めた生き物が食糧として認められます。また、次節で語られるように、この世の生き物を殺して食糧にする場合と生き物を殺す行為に関して、一定の条件が加えられました。
9:4 ただし、肉は命である血を含んだまま食べてはならない。
>>>この箇所は難解です。伝染病などを防ぐための昔の知恵だと解釈する立場や、文字通りに血には命が宿っていると受け取る立場もあります。しかし、私は前者のように一見合理的ではあっても聖書に確証がない解釈も、エホバの証人のようにこれを根拠に輸血をしてはならないと拡大解釈することも正しいとは思えません。それでは他にどんな解釈が可能なのでしょうか。それはまだ血液が体の中を巡っている間にその生き物を食べるようなことがあってはならないという理解です。神はすべての生き物の命を慈しまれる神です。たとえ食糧にされる場合でも、その生き物が苦しみながら残酷に殺されたり、食べられることを望まれる神ではありません。従ってこの箇所の適切な解釈とは、生き物を食糧とする時、生きている状態で食べてはならないということです。食糧にされる生き物はすべて適切に苦しまない仕方で殺してから、食糧にしなければならないと神は命じておられるのです。生き物を窒息させたり、心臓の鼓動を停止させただけでは完全に死んだとは言えません。命を吹き返すことがあるからです。しかし、殺した上で血抜きをされた生き物は決して蘇生しません。祭壇に捧げられる神への燔祭の殺し方を考えた場合、この原則は守られています。何故なら最初に行うのが燔祭を殺して血を抜く作業だからです。この原則を守らないことは、生きたまま動物を捧げることを前提とする「生贄」や、生きたまま食べるという聖書で禁じられている行為に通じてしまいます。猛獣が時に他の動物を生きている状態で食べるような行為を人間は決してしてはならないのです。神が定められた原則を守ることは、命の尊厳を守ることにつながり、また命と霊をすべての生き物に与えられる神を畏れることに通じるのです。この原則から外れた殺しはすべて神の目に有罪であり、その罪を犯す者についての刑罰が次節で語られます。
9:5 また、あなたたちの命である血が流された場合、わたしは賠償を要求する。いかなる獣からも要求する。人間どうしの血については、人間から人間の命を賠償として要求する。
>>>「血が流される」と言う意味は、前節で神が定められた原則に沿わない殺人や殺し方を意味すると考えて良いでしょう。殺害者は罪を賠償する責任を負うと神は語られます。特に人が殺人を犯した場合には、特別な刑罰が要求されています。なお、ここで語られている「人間から人間の命を賠償として要求する」という言葉には非常に重要な意味が含まれています。この表現だと、必ずしも殺人を犯した張本人が命の賠償をしなくても良いことになるからです。原則としては、殺人者自身が命の賠償を要求されるのは言うまでもありませんが、ここには全人類の罪をあがなって下さるまことの人となられた神のひとり子イエス・キリストが念頭に置かれている言葉遣いになっています。また、この表現は別の意味でも私たちに熟慮を要求しています。何故なら、ここにはストレートに「その殺人者は殺されなければならない」とは書いてないからです。「人間の命を賠償とする」というあり方には死刑以外にも「人間から人間の命を賠償する」処罰の可能性が残されていると考えることができるのではないでしょうか。
9:6 人の血を流す者は/人によって自分の血を流される。人は神にかたどって造られたからだ。
>>>5節を理解していく時、6節の解釈も様々に意見が分かれるところです。「人の血を流す者は/人によって自分の血を流される。」とは、殺人者が結局は他の人に殺されることになると解釈することもできるし、死刑容認論者はこの箇所を引用して、「国は神の代理人として殺人者を死刑にする権限が神から与えられている」と解釈します。皆様はどう理解されるでしょうか?
9:7 あなたたちは産めよ、増えよ/地に群がり、地に増えよ。」
>>>前節ような過ちを犯すことなく、「あなたたちは」と言及した上で、命を増やす本来の使命に生きるようにと神は語られます。
9:8 神はノアと彼の息子たちに言われた。
9:9 「わたしは、あなたたちと、そして後に続く子孫と、契約を立てる。
9:10 あなたたちと共にいるすべての生き物、またあなたたちと共にいる鳥や家畜や地のすべての獣など、箱舟から出たすべてのもののみならず、地のすべての獣と契約を立てる。
>>>ここには神が人間だけでなく、すべての生き物を念頭に置きながら契約を立てようとされる聖書の神の特徴が出ています。神は人間だけの幸福を願う神ではありません。すべての命を慈しまれる神です。だからこそ、人間をその管理人として立てておられる神だと言えます。
9:11 わたしがあなたたちと契約を立てたならば、二度と洪水によって肉なるものがことごとく滅ぼされることはなく、洪水が起こって地を滅ぼすことも決してない。」
9:12 更に神は言われた。「あなたたちならびにあなたたちと共にいるすべての生き物と、代々とこしえにわたしが立てる契約のしるしはこれである。
9:13 すなわち、わたしは雲の中にわたしの虹を置く。これはわたしと大地の間に立てた契約のしるしとなる。
9:14 わたしが地の上に雲を湧き起こらせ、雲の中に虹が現れると、
9:15 わたしは、わたしとあなたたちならびにすべての生き物、すべて肉なるものとの間に立てた契約に心を留める。水が洪水となって、肉なるものをすべて滅ぼすことは決してない。
9:16 雲の中に虹が現れると、わたしはそれを見て、神と地上のすべての生き物、すべて肉なるものとの間に立てた永遠の契約に心を留める。」
9:17 神はノアに言われた。「これが、わたしと地上のすべて肉なるものとの間に立てた契約のしるしである。」
>>>虹、それは現代に生きる私たちにもなじみのある存在です。この虹が現れる時代は、少なくとも神の約束の中にあり続けていることを感謝することができます。虹が見えている間に、神の確かで永遠の契約の中に生きる者となるよう、ひとりでも多くの人に福音を宣教する働きにますます励みましょう。
分かち合いのポイント
・今回まででノアと洪水の箇所は終わりです。次回はバベルの塔のはなしです。これまでの箇所からどれほど神が忍耐してこられたかを理解できたのではないでしょうか 。普段の私たちの忍耐度を確認し合ってはいかかでしょうか。案外、短気になりがちな日常がありはしないでしょうか。
<参考> 今月の4週の聖書教育誌採用箇所は棒線で示します。
4章)◆カインとアベル…カインとその末裔レメクまで
5章)◆アダムの系図…ノアと三人の子どもたちの誕生まで
6章)◆洪水…箱舟を造り、すべての肉なるものから二つずつ箱舟に連れてくるよう命じられ、果たすノア
7章)箱舟に入り、洪水150日まで
8章)雨が降りやみ、アララト山に止まり、外へ出て祭壇を築くノア
9章)◆祝福と契約…契約の虹
◆ノアと息子たち…ノアの裸事件、ノアの死950歳
10章)◆ノアの子孫…系図
11章)◆バベルの塔…
10節~◆セムの系図
27節~32節◆テラの系図