使徒言行録28章17~31節「もはや止まらない」
テーマ クリスチャンとして生きる信仰
黙想のポイント1
その1 パウロにとって福音宣教の妨げになるもの、状況、環境とは何かを黙想しましょう。
その2 私たちにとって福音宣教の妨げになるものと比較して黙想しましょう。
20章以降のパウロの足取り…エペソの長老たちとの最後の別れを済ませ、エルサレムに戻ったパウロだったが、そこで訴えられて投獄されただけでなく、ユダヤ人たちは何とかしてパウロを殺害しようと目論む。中には裁判を開催させ、その裁判所に護送する時にパウロを殺害しようとする計画までパウロは告げ知らされたため、思い切って上訴してローマに厳重な警護のもとに移送されることになる。途中難船の危機に合いながらも無事ローマまで到着する。
28:16 わたしたちがローマに入ったとき、パウロは番兵を一人つけられたが、自分だけで住むことを許された。
>>>ローマでの裁判を受けながらの生活はパウロに一定の自由時間を与えることになりました。しかも、ただ牢獄に入れられてなんの身動きも取れない不自由な生活をするというのでなく、昔日本でも一定の地位にあった者が島流しの流刑になったように、パウロには番兵が付けられて見張られてはいたものの、幽閉されながらも質素な生活をそこですることができたようです。そして、その間なによりも都合が良かったのは、来客と会うことが赦されていたことです。
◆パウロ、ローマで宣教する
28:17 三日の後、パウロはおもだったユダヤ人たちを招いた。彼らが集まって来たとき、こう言った。「兄弟たち、わたしは、民に対しても先祖の慣習に対しても、背くようなことは何一つしていないのに、エルサレムで囚人としてローマ人の手に引き渡されてしまいました。
>>>ローマに到着したパウロは落ち着くや否やユダヤ人たちに伝道をしようとローマに滞在していた著名なユダヤ人たちを招待しました。恐らくパウロにとって少し助けになったのは、お互いにローマ市民権を持っているような者たちだったということでしょう。そこにはエルサレムにいたユダヤ人たちとは違う、同郷のよしみという共通点があったのではないかと想像します。アキラとプリスキラとの出会いの箇所で語られていたように、もはやユダヤ人はローマに居住することは許されていませんでした。当時ローマに残れたのはローマ市民権を持っていて、ローマで一定の活躍をしていたユダヤ人たちだけだと考えられます。従って、ここでパウロが招待し、面会している人たちは文字通り、主だった人たちだったのでしょう。
28:18 ローマ人はわたしを取り調べたのですが、死刑に相当する理由が何も無かったので、釈放しようと思ったのです。
28:19 しかし、ユダヤ人たちが反対したので、わたしは皇帝に上訴せざるをえませんでした。これは、決して同胞を告発するためではありません。
28:20 だからこそ、お会いして話し合いたいと、あなたがたにお願いしたのです。イスラエルが希望していることのために、わたしはこのように鎖でつながれているのです。」
>>>パウロは自分の身の上の潔白を語ると共に、中心の話題である福音宣教に単刀直入に入って行こうとする姿勢が伺えます。彼は「イスラエルが希望していること」という表現で彼らに興味を持ってもらおうとしています。これはとても賢い表現ではないかと思います。それは言い得て妙な表現ではないでしょうか。確かにパウロのユダヤ人宣教の中心は長年イスラエルが待ち望んできたメシアこそイエス・キリストだと言うものでした。そのような意味ですべてのイスラエル人の希望であるに違いありません。パウロは中心主題と互いの利害関係における共通点を明確にしながら話しを始めているのが特徴です。
28:21 すると、ユダヤ人たちが言った。「私どもは、あなたのことについてユダヤから何の書面も受け取ってはおりませんし、また、ここに来た兄弟のだれ一人として、あなたについて何か悪いことを報告したことも、話したこともありませんでした。
28:22 あなたの考えておられることを、直接お聞きしたい。この分派については、至るところで反対があることを耳にしているのです。」
>>>招待されたユダヤ人たちは幸い、パウロたちに対する偏った非難は耳に入っていないことが分かりました。ただ、「この分派」と表現されるイエスの弟子たちの分派については方々で反対する人がいることだけは彼らのところにも伝わって来ていたということでした。
28:23 そこで、ユダヤ人たちは日を決めて、大勢でパウロの宿舎にやって来た。パウロは、朝から晩まで説明を続けた。神の国について力強く証しし、モーセの律法や預言者の書を引用して、イエスについて説得しようとしたのである。
>>>パウロの招待した目的を知った彼らは、日を改めることにしました。そこでパウロはもっと大勢に、もっとじっくりと彼らに宣教することができました。朝から晩まで説明を続けたパウロの情熱が伺えます。
28:24 ある者はパウロの言うことを受け入れたが、他の者は信じようとはしなかった。
>>>しかしパウロの宣教の結果は満足のいくものではなかったようです。人々は次の箇所で語られているように賛成反対に分かれて議論をするだけで、バプテスマを受けてユダヤ人クリスチャンになろうという人は出なかったようです。もっとも、異教社会における数少ない仲間内です。互いに仲良くしていくためにはパウロの宣教を全面的にその場で受け入れてバプテスマを受けるという具合にはいかなかったのでしょう。このあたり、日本における環境とどこか類似しているのではないでしょうか。狭い島国に生きる民族として、まわりの人々の動向を意識し、気を配りながら生きていく生活文化を持った日本とどこか似ているのではないかと思います。
28:25 彼らが互いに意見が一致しないまま、立ち去ろうとしたとき、パウロはひと言次のように言った。「聖霊は、預言者イザヤを通して、実に正しくあなたがたの先祖に、
28:26 語られました。『この民のところへ行って言え。あなたたちは聞くには聞くが、決して理解せず、/見るには見るが、決して認めない。
28:27 この民の心は鈍り、/耳は遠くなり、/目は閉じてしまった。こうして、彼らは目で見ることなく、/耳で聞くことなく、/心で理解せず、立ち帰らない。わたしは彼らをいやさない。』
28:28 だから、このことを知っていただきたい。この神の救いは異邦人に向けられました。彼らこそ、これに聞き従うのです。」
28:29 (†底本に節が欠落 異本訳)パウロがこのようなことを語ったところ、ユダヤ人たちは大いに論じ合いながら帰って行った。
>>>彼らのどっちつかずの態度に対してパウロは再度旧約聖書の言葉を引用して彼らの取っている態度についても聖書は何世紀も前から預言していることを伝えますが、議論が止まることはありませんでした。ユダヤ人たちは熱心に議論を続けながら帰って行きましたが、肝心の決断をすることはなかったのです。当時ローマ帝国は世界の中心都市でした。生活水準もかなり高かったことでしょう。たえず新しい物や情報が飛び交い、平和と安定を他のどこよりも手に入れていたことでしょう。世界のほとんどの国々よりも恵まれた環境の中にあったローマに住んでいたユダヤ人たちでした。そんな彼らに福音が届かない理由はなんだったのか、この箇所から学ぶことはなんでしょうか、考えさせられます。
28:30 パウロは、自費で借りた家に丸二年間住んで、訪問する者はだれかれとなく歓迎し、
28:31 全く自由に何の妨げもなく、神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストについて教え続けた。
>>>それでもパウロは与えられた環境を最大限福音宣教のために用いました。パウロの生き方を見ていると、福音宣教は本当にどのような境遇の中にいてもできるものだと教えられます。また、あらゆる状況を利用して聖霊は福音宣教の機会を導いて下さることを示されます。私たちは今という時と場所と機会を聖霊からどう導かれているのでしょうか。使徒行伝29章を生きる私たちの使徒言行録はどのように書かれていくのでしょうか。