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朗読 『一日の発見 365日の黙想』10月28日

ことばは肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。

ヨハネによる福音書1章14節

 「ことばは肉となった」とは、神の御子みこが私たちと同じ体を持つ人間となられたということである。体について、パウロは「『内なる人』としては神の律法を喜んでいますが、わたしの五体にはもう一つの法則があって心の法則と戦い、わたしを、五体の内にある罪の法則のとりこにしている」(ローマ7:22~23)と言う。人を愛することや世界の平和を願いながら、人間の体は人を退け、憎むのである。主イエスはまさに第一に、罪のために神の栄光を受けられなくなっている人間の罪をあがなうために、私たちと同じ体を持つ人間となった。「イエスは罪をつぐなうために、すべての点で兄弟たちと同じようにならねばならなかったのです」(ヘブライ2:17)。私たちの罪をその体に引き受けてあがなった主イエスによって、私たちは罪をゆるされ、神の和解と交わりを得た。そして、罪の体が完全にあがなわれる終わりの日を待ち望みつつ、日々、主イエスの言葉に従うのである。 
 第二に、主イエスははかない体を持つ私たちを思いやるために、私たちと同じ体を持たれた。主イエスは病み、衰え、死ぬ、はかない体を持つ者として、この世を生きられた。地上の生涯において、その十字架の死において、主イエスは人間の体のはかなさを極限まで味わわれた。それゆえに、私たちは主イエスが「私たちの弱さを思いやることのできないような方ではない」(ヘブライ5:2)と知る。苦難を通って栄光に入られた主を仰ぐ者には、生、老、病、死の苦難が伴う世において、体の弱さ、はかなさを覚えることがあっても、決して神に見捨てられた人生を送るのではない。


著者:内藤淳一郎 (1999年〜2014年 当教会主任牧師)
2020年にクリスチャンプレスに掲載されたご本人のインタビューを下記のリンクよりお読みいただけます。 https://christianpress.jp/naitou-junichiro/

朗読はすべて教会員によるものです。文章と音声の転用はご遠慮ください。
この朗読は『一日の発見 365日の黙想』の著者、内藤淳一郎氏の許可を得て、日本バプテスト連盟西川口キリスト教会が作成し毎日発信しております。

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