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朗読 『一日の発見 365日の黙想』10月16日

10月16日

実に、キリストはわたしたちの平和であります。

エフェソの信徒への手紙2章14節

 神は人が殺し合い、命を粗末にする戦争を望まない。神はイスラエルの律法に、また人間の良心に、「殺すな」という神の意志を刻んだ。神はいつまでも神の意志を踏みにじる世界を放っておかれない。神は時を定めて、神の意志を実現するために人間の歴史に介入される。
 今、神は「殺すな」と言う律法によらず、今日の聖句が宣言するように、御子キリストによって平和を実現する。すなわち、神はキリストの十字架によって人の罪を明らかにしつつ、その罪を赦し、敵意というへだての壁を取り壊す。神の方から、神の意志を踏みにじった罪人に和解の手を差し伸べる。私たちがキリストによって差し伸べられた罪の赦しと和解の手を握って、自分の罪を告白し、ゆるしを願うとき、私たちは神に義とされる。神に義とされ、神との正しい関係を持つようになった者は、人と人との新しい関係を築いてゆく。
 アパルトヘイト(人種隔離)撤廃のために非暴力で戦ったデズモンド・ツツ司教は、「和解は罪の事実を認めて、神と人との前に赦しを乞うことである。そのために過去の事実を検証するのである。過去を忘れるものは未来に同じことをする」と語った。神と人間との間が引き裂かれている限り、人間が平和を叫んでも、世界は変わらない。キリストによる罪の赦しを受け、神に義とされて初めて、勇気をもって罪を告白し、謝罪が可能となる。罪の赦しを求めるところに、正義と和解が実現する。「主は国々の争いを裁き、多くの民を戒められる。彼らはつるぎを打ち直してすきとし、やりを打ち直してかまとする。国は国に向かって剣を上げず、もはや戦うことを学ばない」(イザヤ2:4)。


著者:内藤淳一郎 (1999年〜2014年 当教会主任牧師)
2020年にクリスチャンプレスに掲載されたご本人のインタビューを下記のリンクよりお読みいただけます。 https://christianpress.jp/naitou-junichiro/

朗読はすべて教会員によるものです。文章と音声の転用はご遠慮ください。
この朗読は『一日の発見 365日の黙想』の著者、内藤淳一郎氏の許可を得て、日本バプテスト連盟西川口キリスト教会が作成し毎日発信しております。

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