10月3日
実際、神はわたしたち一人一人から遠く離れてはおられません。
使徒言行録17章27節
パウロはアテネに来て、至るところに神々の像があるのを見て憤慨し、会堂や広場で人々と論じた。アテネの人々は耳新しい話を聞こうと、パウロをアレオパゴスの丘に連れて行った。
アテネでのパウロの説教は、同じ多神教の日本で伝道する私たちにとって参考になる。まず、宗教心に富むアテネの人々に、「知られざる神」は「世界とその中の万物とを造られた」(24節)創造主であり、手で造った神殿などに住まない超越者であると語った。天地も、人間も偶然の所産ではなく、神が目的をもって創造し、支配しておられる。とは言え、神による天地創造とその支配は、私たちに自明ではない。命と美と調和がある一方、死と闇と不合理がある。しかし、すべては神のみ手の中にある。神は私たちの思いを超えた方であるが、今日の聖句が語るように、私たちがへりくだって探し求めれば、見出すことができる方である。「われわれは、神のうちに生き、動き、また存在している」(28節、口語訳)。神は、「あそこに石がある」というような観察によって知る存在ではなく、私たちが今生かされているという事実によって知る方である。
日本のある識者は、今日の世界は宗教の衝突であると述べ、唯一神信仰は自己を絶対化して、異教徒を排除するが、多神教は寛容で何でも受け入れると言う。しかし、何でも受け入れて、“愛国心”や“大義”というナショナリズムに流され、他国を排除した歴史があったのではないか。キリストにおいて啓示された神への信仰は、人間が謙虚にされることはあっても、被造物である人間を神としたり、人が唱える主義主張を絶対化しない。
著者:内藤淳一郎 (1999年〜2014年 当教会主任牧師)
2020年にクリスチャンプレスに掲載されたご本人のインタビューを下記のリンクよりお読みいただけます。 https://christianpress.jp/naitou-junichiro/
朗読はすべて教会員によるものです。文章と音声の転用はご遠慮ください。
この朗読は『一日の発見 365日の黙想』の著者、内藤淳一郎氏の許可を得て、日本バプテスト連盟西川口キリスト教会が作成し毎日発信しております。