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朗読 『一日の発見 365日の黙想』12月28日

12月28日

わたしは、その方の履物はきもののひもを解く値打ねうちもない。その方は、聖霊と火であなたたちにバプテスマをおさずけになる。

ルカによる福音書3章16節 

                        
 ローマ帝国に支配されていたユダヤ人の間には、メシア待望の機運が高かった。メシアを名乗って抵抗運動を起こす者たちも少なくない時代だった。人々はバプテスマのヨハネの説教を聞いて、彼がメシアではないかと考えた。ヨハネがその気になれば、人々に押し上げられて、ユダヤ人たちの指導者となることもできた。しかし、彼は自分がメシアではなく、自分のあとに来る方がメシアであること、その方は自分よりはるかにすぐれたわざをすることを、今日の聖句で人々に語った。「火」とは、「からを消えることのない火で焼き払われる」(17節)とあるように、律法が求める実を結ばない者を滅ぼす神の裁きである。しかし、だれが神の裁きをまぬかれることができようか。私たちは皆、律法によって神に義とされない罪人である。
 ヨハネがメシアと証言した主イエスは、罪人のために十字架にかけられ、神の裁きを引き受けられた。主イエスの十字架の死によって、神は私たちの罪を赦す無償の愛を現わされた。「死者の中からの復活によって力ある神の子と定められた」(ローマ1:4)主イエスは、今、聖霊によって、私たちに神の無償の愛を示す十字架の福音を語り、罪のゆるしを受けるようにと働いておられる。そして、信じる者にバプテスマを授けて、神の愛のうちに生きる神の民とする。神の民はいつも聖霊の主と共にあり、聖霊の主に導かれて、神の無償の愛を示す十字架の福音を宣教し、神の愛のうちに生きる幸いを証しする。神の民の宣教と証しを通して、人々に語りかけ、信仰に導き、バプテスマをさずけて神の民とするのは、聖霊の主である。


著者:内藤淳一郎 (1999年〜2014年 当教会主任牧師)
2020年にクリスチャンプレスに掲載されたご本人のインタビューを下記のリンクよりお読みいただけます。 https://christianpress.jp/naitou-junichiro/

朗読はすべて教会員によるものです。文章と音声の転用はご遠慮ください。
この朗読は『一日の発見 365日の黙想』の著者、内藤淳一郎氏の許可を得て、日本バプテスト連盟西川口キリスト教会が作成し毎日発信しております。

※本日は朗読のアップロードが遅れましたことをお詫び申し上げます。

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