マグダラのマリアは弟子たちのところへ行って、「わたしは主を見ました」と告げ、また、主から言われたことを伝えた。
ヨハネによる福音書20章18節
マグダラのマリアは主イエスの墓の前にたたずみ、泣いていた。頼りにしていた人を奪い去った死が悲しかった。人間は死には勝てない。ただ死者を手厚く葬ることと、墓の前で泣くことしかできない。マリアが墓の中を見ると、二人の天使がいて、彼女に語りかけた。しかし、マリアは天使を墓守と思った。マリアは墓の中を見て、死んだ主イエスのことに心を奪われていた。墓ばかりを見ているならば、天使を通して語る神の言葉は耳に入らないであろう。
主イエスは墓の中を見ていたマリアの背後から「マリア」と呼びかけた。そのように、今も、復活の主は墓の反対の方から私たちに呼びかけられる。マリアが「後ろを振り向くと」(14節)、そこに復活の主が立っておられるのを見た。「後ろを振り向くと」とは、主イエスの言葉を聞いて、墓に向けていた目を主のほうに向けることである。今までの常識からではなく、信仰の目で見る。そこに復活の主が立っておられるのが見える。主イエスの言葉を聞いて、信仰の目で主を仰ぐとき、私たちは復活の主イエスにお会いする。その方は私たちの名を呼び、み手をもって私たちを導いてくださる活ける主である。
「わたしは主を見ました」という冒頭のマリアの言葉は、肉眼で見たとか、幻の中で見たというのではない。主イエスの言葉を聞いて、主を仰いだ時、死から復活し、生きておられる主イエスにお会いしたという証言である。人間の望みの尽きるところに復活の主が立って、私たちの名前を呼んでおられる。
著者:内藤淳一郎 (1999年〜2014年 当教会主任牧師)
2020年にクリスチャンプレスに掲載されたご本人のインタビューを下記のリンクよりお読みいただけます。 https://christianpress.jp/naitou-junichiro/
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この朗読は『一日の発見 365日の黙想』の著者、内藤淳一郎氏の許可を得て、日本バプテスト連盟西川口キリスト教会が作成し毎日発信しております。