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朗読 『一日の発見 365日の黙想』12月1日

12月1日

主であり、師であるわたしがあなたがたの足を洗ったのだから、あなたがたも互いに足を洗い合わなければならない。

                  ヨハネによる福音書13章14節

                        

 最後の晩餐ばんさんの時、主イエスはたらいに水をくんで弟子たちの足を洗った。当時のユダヤでは、洗足せんぞくしもべのする仕事であった。ペトロは戸惑い、主に「わたしの足を洗わないでください」と懇願した。すると、主はペトロに「わたしのしていることは、今あなたには分かるまいが、後で、分かるようになる」(37節)と言った。
 事実、弟子たちが洗足せんぞくの深い意味を悟ったのは、主イエスの死と復活の後であった。福音書は洗足せんぞくの意味を、「イエスは、この世から父のもとへ移る御自分の時が来たことを悟り、世にいる弟子たちを愛して、この上なく愛し抜かれた」(1節)と記す。弟子たちはしばしば罪を犯して主イエスを悲しませたが、主は彼らを愛し抜かれて、罪にまみれた彼らの足を洗われた。「キリストは神の身分でありながら、……自分を無にして、しもべの身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現われ、へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした」(フィリピ2:6-8)。
 主イエスは弟子たちの足を洗い終わり、席に着いてから、今日の聖句を語った。私たちは主に従う道を歩みながら、罪を犯し、主を悲しませる人間である。しかし、私たちは落ち込んだり、開き直ったりしない。罪にまみれた足を洗ってくださる主がおられるからである。私たちは大胆に主の前に、罪にまみれた自分の足を差し出し、洗っていただく。主イエスが私たちの罪を十字架の血で洗ってくださると知る時、私たちの内に主の愛があふれ、私たちは新しい力を得て、互いに足を洗い合う主の弟子として立ち上がらせていただく。


著者:内藤淳一郎 (1999年〜2014年 当教会主任牧師)
2020年にクリスチャンプレスに掲載されたご本人のインタビューを下記のリンクよりお読みいただけます。 https://christianpress.jp/naitou-junichiro/

朗読はすべて教会員によるものです。文章と音声の転用はご遠慮ください。
この朗読は『一日の発見 365日の黙想』の著者、内藤淳一郎氏の許可を得て、日本バプテスト連盟西川口キリスト教会が作成し毎日発信しております。

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