主は豊かであったのに、あなたがたのために貧しくなられた。それは、主の貧しさによって、あなたがたが豊かになるためだったのです。
コリントの信徒への手紙二 8章9節
パウロはコリント教会にエルサレム教会支援の献金を呼びかける。彼は、マケドニア諸教会の信徒たちが激しい試練と極度の貧しさにありながら、献金によって「人に惜しまず施す豊かさとなった」例をあげる。お金に縛られない豊かさである。彼らは苦しみの中で神に守られていることを喜び、ただお金を献げただけでなく、「まず主に、……自分自身を献げた」(5節)と言う。パウロはコリント教会の信徒たちに、あなたがたは「すべての点で豊かなのですから、この慈善の業においても豊かな者となりなさい」(7節)と勧める。
パウロは献金のことを「恵み」と言う。(1、3、7節の「慈善の業」の原語も「恵み」である)。献金は神の恵みに生かされていることを感謝する神への応答である。「数えてみよ、主の恵み」という賛美歌があるが、私たちは神がくださっているたくさんの恵みを数える時、神への感謝とともに、神のご用のために自分自身を献げる。
パウロは今日の聖句によって、神の一番の恵みであるイエス・キリストの恵みを想起させる。「主の貧しさ」とは神の御子が神であることを捨てて人となり、しかも十字架において命を犠牲にされたことである。主の貧しさによって、私たちは豊かにされた。すなわち、朽ちて当然の罪人である私たちは主の死に贖われて、神のものとされ、神の栄光のために生きる豊かな人生を与えられた。神の恵みが、私たちに献身と献金を可能にする。
著者:内藤淳一郎 (1999年〜2014年 当教会主任牧師)
2020年にクリスチャンプレスに掲載されたご本人のインタビューを下記のリンクよりお読みいただけます。 https://christianpress.jp/naitou-junichiro/
朗読はすべて教会員によるものです。文章と音声の転用はご遠慮ください。
この朗読は『一日の発見 365日の黙想』の著者、内藤淳一郎氏の許可を得て、日本バプテスト連盟西川口キリスト教会が作成し毎日発信しております。